父親から音楽業界入りを反対され、乗馬のインストラクターや美容師など職を転々としていたレナート・ヴァンデパペリエルがレコード店に勤務しながらレーベルに関わったのは、1983年に1枚のシングルを発表した《ミロス・ミュージック・ベルジウム〉が最初だった。「マーヴィン・ゲイやジャイムズ・ブラウンのようなソウルやファンクが好きだったんだよ」レナートは当時をそう回想している。「ベルギーからファンキーでソウルフルな音楽が出てくることを望んでいたんだ」
2009年7月18日土曜日
Thoroughbreds -Best of R&S
父親から音楽業界入りを反対され、乗馬のインストラクターや美容師など職を転々としていたレナート・ヴァンデパペリエルがレコード店に勤務しながらレーベルに関わったのは、1983年に1枚のシングルを発表した《ミロス・ミュージック・ベルジウム〉が最初だった。「マーヴィン・ゲイやジャイムズ・ブラウンのようなソウルやファンクが好きだったんだよ」レナートは当時をそう回想している。「ベルギーからファンキーでソウルフルな音楽が出てくることを望んでいたんだ」
2001年6月19日火曜日
ザ・プロディジー 「エクスペリエンス:エクスパンデッド」
僕がThe Prodigyのライヴを初めて見た場所は芝浦のジュリアナ東京だった。たぶん'93年だったと思う。ジュリアナ東京はその頃一世を風靡していたゴージャスなディスコで、ボディーコンシャス&ミニスカートのお姉さんがお立台に昇って扇子を振りまくるという、かなりきわどい路線を看板にしていた。'80年代から続いていたバブル文化の象徴的存在だったと言ってもよい。そこではなぜかハードコア・テクノが人気だったので、The Prodigyはその流れでブッキングされていたのだ。とはいえ、ジュリアナ東京で人気だったハードコア・テクノは、ユーロビートの延長ともとれるような4つ打ちキックが”ドンドンドンドン”って鳴ってるような曲だったので、僕は最初この話を聞いた時、頭の中に“?”が100個位出たのを覚えている。実際のライブはその“?”にたがわぬ結果で、最初は盛り上がっていたお姉様達が彼らの複雑なリズムに全くノれず、次から次へと脱落していく様は不謹慎ながら爽快な眺めであった。最前列にはたぶん20人位の場違いな正当派レイヴァー達もいた。The Prodigyの日本デビューはこのように大きな誤解とわずかな正解(?)が入り乱れたものだったのだ。
The Prodigyは'90年、UKで結成されている。メンバーは、ヒップホップに傾倒し、DJとしても知られていたサウンド・クリエイターのリアム・ハウレット、ヒッピー・カルチャーに大きく影響されたダンサー/MCのキース・フリント、ジェームス・ブラウンを師と仰ぐダンサーのリーロイ・ソーンヒル(2001年に脱退)、レゲエのサウンド・システムで活動していたマキシム・リアリティーの4人だ。バンド名は有名なモーグ・シンセサイザーの1機種からリアムがつけたらしい。
結成直前の'80年代後半、UKのクラブシーンでは激変が起きていた。シカゴで生まれたハウス・ミュージックが上陸、それまでUKのクラブを支配していたスノッブでファッショナブルなヴァイブを更新してしまったのだ。ミニマルかつメカニカルなハウス・ビートに身をゆだね、汗だくになって踊ることは、クラビングのメインストリームとなった。その波が徐々に大きくなり爆発した結果、生まれたのがレイヴだ。野外の会場に数千人もの人を集め一晩中踊り明かすレイヴは、その“Love&Peace"な雰囲気とアナーキーさから'60年代のヒッピー文化や'70年代のパンクと対比されるほどの大きなムーヴメントとなり、'90年代前半のUKを席巻した。そのヴァイブは世界中に飛び火し、ヨーロッパはもとよりここ日本やアメリカにも波及、'90年代を世界的"ダンスミュージックの時代”へと導いた。
ここに御紹介する『Experience:Expanded』は、The Prodigyのデビュー・アルバム『Experience』にリミックスやシングルのB面を加えた増強盤だ。UKのアルバム・チャートで10位を記録、25週間に渡ってチャートに居座り続け、ゴールド・ディスクを獲得した'92年リリースのこの作品には、The Prodigyがレイヴ・シーンを代表するハードコア・バンドへと成長していく軌跡が完璧に収録されている。
中でも注目は「Charly」だろう。'91年リリースのこの曲は、彼らのセカンド・シングルで、ポップチャートの3位を記録する大ヒットとなっている。The Prodigyに最初のブレイクをつくった最重要作品だ。サンプリングされているのは、'70年代につくられた子供向け教育映像の台詞「チャーリーが"どっか行く時は必ずママに言ってからね”って言ってた」とその登場人物のネコ“チャーリー”の泣き声。なんでもこの教育映像はUKの若者の間ではかなり有名なものらしく、そのキャッチーさと、これがレイヴでかかるというミスマッチ感覚もヒットのきっかけとなったようだ。ちなみに『Experience』の方には"Trip Into Drum And Bass"ヴァージョンが収録されているが、ドラムンベースが大ブレイクする3年も前に彼らはこのリズムとジャンル名を早々と使っていたことになる。一方、『Expanded』に収録されている"Alley Cat Remix"はシングル・ヴァージョンで、やっぱりこっちが好きという人も多い。
続いてリリースされた「Everybody In The Place」はデビュー・シングル「What Evil Lurks」のB面に収録されていた曲のニュー・ヴァージョンで、こちらもポップチャートの2位という異例の大ヒットとなった。爽快なシンセリフとその場に居合わせた人すべてを盛り上げてしまう単純明快なMCは『Expanded』11曲目のシングル・ヴァージョンで堪能できる。
フォース・シングルは「Fire」と「Jericho」のカップリング。「Fire」は'60年代末~'70年代前半に活躍したサイケ・ロック・アーティスト、アーサー・ブラウンの「俺は地獄の火の神、お前に火を与えよう」というサンプルが印象的だ。なんでも、この人は頭のヘルメットから火を吹くというキース顔負けのパフォーマンスが売りだったらしい。
そして、ファンの間で傑作と言われているのがマックス・ロメオ/リー・ペリーの手による「Chase The Devil」を大胆にサンプリングした「Out Of Space」だ。The Prodigyとレゲエの組み合わせを意外に思う人もいるかもしれないが、UKのレイヴ・シーンにおいてレゲエの影響力は極めて大きい。ジャマイカ系移民のサウンド・システムが、レイヴのルーツにあることを忘れてはいけない。
このアルバムからは最後に「Wind It up」がシングル・カットされた。オリジナル・アルバム12曲から5曲のシングル・カット、しかもそのどれもが成功をおさめたという事実は、一発屋ばかりだった当時のクラブ・シーンに衝撃を与えた。そう、The Prodigyは間違いなくこの時代を征したNo.1ハードコア・バンドだったのだ。
さて、ここまでThe Prodigyをレイヴ・ミュージック=ハードコア・バンドとして紹介してきたが、サード・アルバム『The Fat Of The Land』で彼らを知った人には、かなりの違和感かもしれない。「The Prodigyはデジタル・ロックじゃないの?」っていう疑問も出るだろう。しかし、The Prodigyがロックへと接近するのはセカンド・アルバム以降なのだ。このデビュー・アルバムには、むしろヒップホップやファンク、レゲエといった彼らのルーツであるブラック・ミュージック側の視点から、あるいはパンクに匹敵する革命的ムーヴメントとして、レイヴを捉えた時代感覚が詰め込まれている。
'90年代初頭はそれまでのダンス・ミュージックがハウスやレイヴの名のもとに融合、そこで様々な実験が行われた時代だった。アンダーワールドやケミカル・ブラザーズもここから生まれているし、プライマル・スクリームもこの時代を通過して成長した。そんな中でThe Prodigyがそこから歩んだ道は極めて特異なものだ。セカンド・アルバム、サード・アルバム、そしてフォース・アルバム『Always Outnumbered,Never Outgunned』と聴いてみれば、その意味はより明確になってくるだろう。かつて、ここまで進化したダンス・バンドがあっただろうか?
(トモ ヒラタ/LOUD)
1999年3月25日木曜日
エレクトリック・ミュージック「エスペラント_プラス」
エレクトリック・ミュージックの本題へ入る前にお約束のクラフトワークの話をすこしばかり‥。
それにしても昨年(98年)はちょっとしたクラフトワーク旋風が巻き起こった。なんといっても強烈だったのは17年ぶりの来日公演。赤坂ブリッツで3日間行われた公演は連日満員礼で、これだったら武道館でも出来たんじゃないかというくらいの盛況だった。個人的にはスペインでもライヴを見る機会があってまさに感無量この上無い体験だった。クラフトワークへの熱狂ぶりというのは何も日本だけでなく、あらゆる国でズバ抜けた支持が感じられる。仕事の関係でいろんな国の中古レコード屋を回っているが、どこへ行ってもクラフトワーク関係のレア盤は高いのなんのって(笑)。もう切が無いので完璧にコレクションするのはとっくに断念しているが、値段が高いということはそれだけ需要があるということで彼らの世界的なカリスマぶりが伺える。91年の「THE MIX」以降、正式なクラフトワークとしてのリリースは無いものの(余談だが、97年にEMI、クリングクラングからオフィシャルもの限定250セットの4枚組BOXセット+Tシャツがリリースされた。トライバル・ギャザリンでのライブを記念したものでトランス・ヨーロッパ・エキスプレスのインスト・ヴァージョンも収録されている。さらに後に4枚のシングルをバラして1000枚ずつプレス。これは一応正式リリースということになるのか??)ラルフとフローリアンのオリジナル・メンバーを残してカールとウルフガングが相次いで脱退しソロプロジェクトを進行している。
そろそろ本題に入っていくが、周知のようにこのELEKTRIC MUSICがカール・バルトスのグラフトワーク脱退後のユニットだ。今回リリースされたこの「エスペラント~プラス」は93年にリリースされたファースト・アルバム「エスペラント」(独SPV 084 92832)をリマスタリングしなおして、さらにボーナス・トラックを6曲加えたもの。日本だけの独占企画盤ということだ。まずリマスタリングに関してだが、大袈裟な変化は無いもののさらなる微妙な音の処理が施されているものと思われる。クラフトワーク時代もそうであったが、微妙に音が違うヴァージョンが何種類も存在している故にその伝統を引き継いだものか。今ぼくの手元にあるのは試作段階のカセット・テープだが、微妙にサウンド処理が違うと思われる箇所がいくつか認められた。オリジナルの「エスペラント」をお持ちの方は2枚同時にプレイしたりして微妙な違いを発見して楽しんでみて下さい。参加アーティストはカール・バルトス御大の他に70年代末にヴァージン・レコード傘下のディンディスク(モノクローム・セットやマーサ&ザ・マフィンズ等も在籍)からデヴューしてエレクトロ・ポップを先導してきたOMDことオーケストラル・マヌヴァーズ・イン・ザ・ダークのアンディ・マクルスキーがヴォーカルで、さらにクラフトワーク時代からの付き合い、エミール・シュルツがアートワークを担当している。ミキサーはステファン・イングマン、続いてポーナストラックだかELEKTRIC MUSICのシングル盤を輸入盤でお持ちの方はお分かりだろうが、9曲目から12曲目までは93年にリリースされた3枚目のシングルにあたる「ライフスタイル」(ASPV 055-93853)からのもの、13曲目と14曲目は92年にリリースされたファーストシングル「クロストーク」(ASPV 056-110363)からのものである。なお「ベイビー・カム・バック」は1968年のエディー・グラントによるファンキー・ロック・パンド、イコールスのヒットでおなじみのクラッシク・ロックン・ロール・ナンバーのカバー。ちなみにこの曲だけエンジアはジョン・カフェリーが担当している。そういえば賛否両論(否の方が圧倒的に多い?)のセカンド アルバム「エレクトリック・ミュージック」のオールディーズ・ロック志向はこの段階で既に見え隠れしていたといえるのではないだろうか。「べイビー・カム・バック」はシングル「クロストーク」に収録される以前にイギリスの有名な音楽誌ニュー・ミュージカル・エキスプレス(NME)による編集盤の三枚組CD「RUBY TRAX」(英NME 40 CO)に収録されていたものである。
さて、このアルバム「エスペラント〜ブラス」に収録されている音源は92、3年頃のものであるが当時始めていた時の印象というのは正直言うとちょっと古臭いなというのが本音だった。というのも時代はテクノ新世代が台頭してきており、エイフェックス・ツインだのケン・イシイだのアンダーグラウンドレジスタンスだの新たな方向性を提示する若いテクノ・クリエーターが次から次へと名乗りあげてきていた状況だったからである。次から次へとハウス・ミュージックの流れを汲んだテクノサウンドがクラブなどでもてはやされ、80年代的なメロディアスなエレクトリック・ポップ、あるいはテクノ・ポップといった類が妙なレトロ感を臭わせていたのである。本家クラフトワークでさえ「THE MIX」ではハウス的なアレシジ(とはいってもあくまでもクラフトワークはクラフトワークの音になってしまうのだか)を大胆に取り入れ時代の流れを取りこもうとした。そんな現期の中、このELEKTRIC MUSICはもろにストレートにテクノポップのド真中に入ってきたので本当に惑ってしまったのだ。だが、こうして改めて聴きなおすと妙にしっくりとくる、故器に帰ってきたかのような安感があるのである。ぼくの世代はウルトラヴォックスやヒューマン・リーグ、ヘウン17、ゲイリー・ニューマン、デベッシュ・モード、ヴィサージ、ソフト・セル・・・挙げれば切が無いが、そういったサウントを思いて育った。特にOMDのアンディの声を悪いた時に思わずニヤリとした方は同世代でしょう。「エスペラント」は最近には無い聴ける音楽、そう音楽が聴けるのはあたりまえだが、しっかりとを腰を据えて聴いていたいエレクトロニック・ミューシックなのだ。ポップスの黄金時代なんてのがあったとしよう、カール・バルトスがこのELEKTRIC MUSICで表現したかったのはそのポップスのすばらしさ、メロディの楽しさではなかっただろうか。エレクトロニックなスタイルはそれを表現するための一つの手段ではなかったのだろうか。特にセカンド・アルバムを思いた時にぼくはそう思った。カール・バルトスが若い頃心打たれたロックンロール、オールディズ・ポップス、シンプルでしかりとしたメロディこそがELEKTRIC MUSICの一番の特徴でありすばらしさであるだろう。思えばクラフトワークのあのメロディ・センスのすばらしさはカール・バルトスの手前によるところが多いのは確かた。だれもが口ずさめるメロディ、シンプルなコード・ワーク、軽快なビート、やはりクラフトワークでカールの存在というのは大きなものだったに違いない。ELEKTRIC MUSICではその音楽的な部分をさらに発展させたユニットだといえるだろう。そういった点では本当に何か忘れていた感覚を蘇らせてくれる、そんな作品なのだ。昔は良かったなんて言うつもりはこれっぽっちも無い。今がいいに決まっている。そう思いたいし、実際にそうありたい。だが世紀末の混法とした時代にはもう一度自分の辿った道を振り返るのも重要である。本当に今の時代は全くもって混沌としすぎている。今だからこそ改めてこのELEKTRIC MUSICを素直に受け入れられる気持ちになったといえるだろう。テクノというジャンルももはや取り望めのないくらいに幅の広いものとなった。エレクトロニック ミュージックだけでほくらは十分にいろいろな表情を楽しめる。アンビエント、テトロイト・テクノ、シカコハウス、プログレッシヴ・テクノ、ゴア・トランス、ミニマル・テクノ、ドラムン・ベース、エレクトロ、ビッグビート、ブレイクビーツエレクトロニックのカテゴリーはもうロック以上に広がったのではないか? そんな中にELEKTRIC MUSICのようなサウンドがあってもまったく和感は無い。そう、今だからこそ。
ELEKTRIC MUSICはセカンド アルバム「ELECTRIC MUSIC」を昨年リリースしたが、次の予定は今のところ不明、そういえばカール・バルトスがクラフトワークの「ツール・ド・フランス」をセルフ(?)カバーし「ツール・ド・フランス98」としてリリース(TOUR DE FRANCE RACING HITS 211(WARNER 398424027-2)という2枚組のコンビ)しているという情報があるか残念ながら私はまだ現物を持っていない。最後に、このCDに収録の「CROSSTALK」、「TV」、「LIFESTYLE」はプローション・ビデオが作られており、カールも顔を出す楽しいものなので根会があれば是非まとめて日本でりリースしていただきたいものだ。
(佐久間英夫)
1998年10月21日水曜日
ハードフロア 「TBリサシテイション」
やっと、ようやく、遂に、5年もの時を経て、テクノ・アルバム史上十本の指には間違いなく入るであろうこの名作が日本盤でリリースされた。めでたい。
あの頃、まだ右も左もわからなかった時代、遥か遠いドイツでこんなカッコイイことをやってる連中は、ホントに憧れの的だった。某出版社で編集の仕事をやってた僕は、片手間とは思えない労力を費やしてミニコミを作ったりして、その過程で当時はまだ“電気グルーヴのラップのひと”だと思ってた卓球や、渋谷のシスコにひとりでテクノ・コーナーを作って頑張ってた佐久間くんや、「宝島」とか「パンプ」といった商業誌で無謀なテクノ記事を展開してた野田さんや、YMOに憧れて入社したアルファー・レコードでなんとかテクノを盛り上げようとしていた弘石くんに出会っていた。仕事の畑はバラバラながら、テクノに対する熱は異常なほどだったこの辺の連中みんなが、一様にノックアウトされていたのが、このハードフロアのデビュー盤だった。
そうこうしてるうちに毎週末が狂乱の宴だった93年のトランス・サマーも過ぎ去って、みんなが何かを本腰でやろうとし始めていた94年に突入する。その年、たぶん日本のテクノ・ファンにとって一番の驚きは、まさに絶好調を極めていたハードフロアが来日したことだったろう。当時卓球がやっていたパーティー<TAB>のスペシャル版として、日本盤もリリースしてない彼らが来日、東京、大阪、福岡のツアーをやってしまったのだから。
僕はあのとき、ツアコン兼通訳として全行程に同行したけれど、あれほどハードな一週間もなかった。あのときはホントに死ぬんじゃないかと思ったけど、今思い返すと、手作りで手探りで楽しい珍道中だったような気もする。
さて今回何を書こうかと思い、いろいろ悩んだ。でも、今さらこのアルバムの音をここでうんぬん言うのもアホらしい。まだ一度も聴いてないひとは一刻も早く聴くべきだし、もう何回も聴いてるひとは懐かしさとともに新たな発見をするためにまだ何回でも聴くべきだと思う。だから、今回は、このハードフロアの日本初上陸のときの、いろんなエピソードを思い出せる範囲で紹介したいと思う。当時フロアで騒いでいたひとたちには記憶と重ね合わせて楽しんでもらえるだろうし、新しいファンのひとには、新鮮でオモシロイ話だろうから。
あらかたの大物アーティスト/DJが来日しつくした感のある今では信じられないかもしれないが、当時のテクノには情報もパーティーも、何もかもが不足してるような状況で、もちろん海外のDJのプレイが聴けることなんてめったになかった。卓球のたっての希望もあって、夏にフランクフルトまで足を伸ばして直接交渉し、ハードフロアの来日の確約をとりつけてきた。この黄色アルバムの後も、ミニ・アルバム「ファナログ」、シングル「フィッシュ&チップス」をヒットさせ、波に乗りまくっているという時期に重なっての来日。それは1994年9月のことだった。
9月14日水曜日、朝から車でオリヴァーとラモンを成田に迎えに行く。噂通りの凸凹コンビぶりで、人混みの中でも即みつかる。オリヴァーはライヴだけでなくDJもやる予定が組まれていたが、出てきた荷物の中で彼のレコード・ボックスの取っ手の部分が破損。いきなりクレームを付けて弁償してもらえるかどうかの交渉に入る。前途多難。車で東京へ向かうあいだ、ずっとはしゃぐオリヴァー。対照的に静かなラモン。ショッピングの予定などをいろいろ考えるオリヴァーに向かって、「ボクは寝る」と言うラモン。オリヴァーは「こいつはこういうつまらん性格なんだ」と一言。
その夜、時差ボケと買い物疲れでバテバテのふたりに、取材が数本。いきなり不機嫌なふたり(でも取材ではハードフロアの名前の由来や、初めて303を使いはじめたころの話などが聞けて面白かった)。前途多難。でも大好物のマクドナルドに連れて行くと、なぜかハッピー。マクドナルドに救われた夜。でも、その後毎日マクドナルドを食べることになろうとは…。
9月15日木曜日(祭日)、午後からリキッドルームでセッティング。ふたりはともかくセッティングなんて5分で終わると力説。なるほど、ライヴの機材はアナログ・シンセ1台、303が2台、サンプラー1台といった超シンプルなものだった。この日は、通常の夕方からのライヴ時間で、深夜にはイヴェント終了だった。しかし、初ライヴお披露目ということで、ステージ袖にはたくさんのギャラリーがいた。1曲目がはじまると「オー!」というどよめき。ふたり横に並んで、頭を振りながらつまみを動かすあの独特のステージ。そしてお馴染みの曲の連発(もちろんほとんどがこのアルバムからのセレクション)! ホンモノだった。背筋がゾクゾクする感じ。呼んで良かったと誰もが思ってた。イヴェント終了後は焼鳥屋で会食。当時憧れの的だったラモンに、機材のことや古いドイツのエレクトロニック・ミュージックのことなど、質問をぶつけまくる卓球。このとき、実はラモンはアシッド・ハウスどころか、他人のレコードを全然聴かないことが発覚。彼は生粋の職人だった(だからべリーニとか平気で作れちゃうんだよね)。
9月16日金曜日、リキッドルーム2日目。この日は深夜から朝までのクラブ・イヴェント。よって昼間はオフ。オリヴァーがスニーカーを買いたいというので、渋谷、原宿をさんざん歩くがサイズが合わず断念。かなり不機嫌になるオリヴァー。前途多難。パスタが食べたいというふたりを、まともなイタリアンの店に連れて行こうとすると、そういう店じゃないと言われ、なぜかイタトマで夕食。その後会場入り。前日を上回る超満員の客入りに、関係者全員驚き。この日は、卓球→ハードフロア→僕→オリヴァーという順番でプレイしたと思う。とにかくめちゃくちゃな盛り上がりで、特にライヴの時は轟音のような歓声が飛び交ってた。さすがの卓球もこのときばかりは満面の笑み。楽屋では卓球を交えて、3人が303を手に雑誌用の撮影。これはなかなか壮観だった。
9月17日土曜日、ほとんど寝ずに新幹線で大阪へ移動。スタッフは機材車が出ないとかで、全員で手分けして機材を持って乗り込んだ。大阪と福岡はちょうどいい会場がないので、夜はコンサート・ホール、深夜からクラブでという変則的なイヴェントだった。大阪のコンサート・タイムではライヴ前にDJした卓球がラストに“サーカス・ベルズ(ハードフロア・リミックス)”をかけたのに全然盛り上がらず、不安なままライヴ・スタート。不安が的中してライヴもいまひとつの盛り上がり。でも、フミヤが仕切ったロケッツでのアフターアワーは、バリバリに盛り上がって一安心。オリヴァーのDJは、みんなが一目置く、渋いシカゴ・アシッド中心のプレイだった。そういえば、行く先々でファンに追いかけられ、サインをねだられたふたりは、「アイドルになったみたい!」とほざいてた。同日に大阪でライヴしていた某人気ロック・グループの追っかけが新大阪駅で待ちかまえていたのを見て、自分たちのファンだと思ったほど(笑)。
9月18日日曜日。休む間もなくこの日は大阪観光。口レックスのバッタもんが欲しいというオリヴァーのために、フミヤと探し回る。その後、ファンの子ふたりと合流して、セガのジョイポリスへ。エアホッケーのフミヤVSオリヴァーはどっちが勝ったか忘れたが、勝ち気なオリヴァーはどんなゲームもかなりマジに勝負を挑んでた。対してラモンはまったくゲーム系ダメなのが面白かった。遅い夕飯の後、ラモンは寝たらしいがオリヴァーはさらにスタッフと夜の街へ繰り出して飲み続けた...。
9月19日月曜日、新幹線で福岡へ移動。スタッフ全員の疲労が色濃い。イヴェントは月曜日だというのに大入りで、かなり盛り上がってた。ハードフロアのふたりは、この日が一番機嫌が良かったように思う。心配されたクラブ・イヴェントもそこそこの入りで、フミヤやオリヴァーのプレイで盛り上がった…はずだが、僕は途中で疲労のため爆睡。気付くと横でラモンとオリヴァーが心配してくれてた(笑)。
9月20日火曜日、飛行機で東京へ。原宿でキディー・ランドへ行った後、ビンテージ・シンセの店へ。ここでそれまでまったく買い物に興味を示さなかったラモンの目が輝きまくる。あれこれ質問するわ、あらゆる機材をいじり倒すわ、大変な騒ぎだった。記念撮影に応じたり、ラックマウント用に中身を抜き取ったTB-303のケースだけを「インテリア用に」と3つも購入。その後、別の店でラモンはローランドのシステム100Mを買っていた。その夜は当然のように深夜までどんちゃん騒ぎ。翌朝早く、成田からデュッセルドルフへ彼らは帰っていった。そのときの「サイコーだったぜ。また絶対来るよ」って彼らの言葉は嘘ではなく、その後も何度も日本へやって来て、ファンを喜ばせてくれた。
しかし、その後の彼らのステージを観たが、やっぱりこの最初のときのインパクトに勝るものではなかった。もちろん、何度も同じアーティストのライヴを観たら慣れてしまうし、新鮮味が薄れるという意味でも最初が一番良く感じるのかもしれない。でも、それだけではない、何かスペシャルなものが、あのときのステージにはあったような気がする。1+1が3になったような、すべてのパズルのピースがいっぺんにはまったような、どこからともなくパワーがみなぎってくる感じ。同じようなスペシャルなものは、このアルバムからも感じられる。何度聴いても飽きないし、初めて聴いたときの感動が蘇ってくるのだ。
長いことリリースが噂されながら、なかなか発表されなかったニュー・アルバムでは、ぜひこの最初の会心の一撃を吹き飛ばすくらいのものを投げかけて欲しい。同じように自分の最初の作品を超えられなかった師匠スヴェンが、今年『フュージョン』という起死回生の大ヒットを放ったのだし。
1996年1月26日金曜日
ムービング・シャドウ-クロニクルズ・オブ・ハードコア
クラブDJやレコード・コレクターの大部分は、レーベル買いができるレーベルを個々にそれぞれ持っている。それが、ハウスだったり、テクノだったり、ヒップホップのレーベルであったり、ジャンルに違いはあるが、それぞれ信頼できる良質のレーベルという共通点がある。この信頼という2文字がポイントで、ここで言う信頼とは、確固たるポリシーを貫き通していること。おのずとレーベルのアイデンティティある音をイメージできることが必然的に必要になってくる。商売や金儲に色気を出さず、こだわりを持ったリリースに撤する本物志向なレーベル。このような条件を満たすレーベルは、数少ない。これからご紹介するMOVING SHADOWは、ジャングル・レーベルの中で、多くの人達から、信頼できるレーベルの筆頭にあげられているレーベルだ。「メロディが美しく、芸術的。それでいて、DRUM&BASSもクラブ・ユースで、しっかりしている。」MOVING SHADOWのサウンドイメージに対し、このように答えるジャングリストは多い。(余談だが、僕も95年において、アナログ盤を最も多く購入したレーベルでもある。もちろん僕にとっても、レーベル買いを安心してできる数少ないレーベルのひとつだ。)レーベルのしっかりとしたサウンド・イメージを定着させるには、実際にサウンドデザインが描け、音楽にかなり精通した知識の持主の存在が要求されるMOVING SHADOWでは、レーベル・オーナーであるロブ・プレイフォードが自らその大役を担っている。
1985年ぐらいから、ヒップホップのクラブDJとしてDJデビューしたロブは、後にハウス・ミュージックに魅了され、ハウスのDJに転向、その後アシッド、ハードコア、そしてジャングルへと傾倒。90年にMOVING SHADOWを設立した。もともと、エンジニア、マニユピレイターとしての評価が高かった彼は、自ら、2 BAD MICEというユニット名で、91年以降、精力的に作品をリリースしてきた。さらに、95年のジャングル・シーンの向上に大貢献したゴールディーのマニュピレイターとして、ゴールディーのアイディアを、ロブの才能あふれるマニピュレイティングとエンジニアリングで具現化。絶賛を浴びたゴールディーのアルバム「タイムレス」には、まさしくロブの才能が光っていたのだ。ちなみに、ロブのフェイバリッツ・アーティストは、クインシー・ジョーンズ、ナイル・ロジャース、そしてマスターズ・アット・ワークにデヴィッド・モラレス。さすが、プロダクション・ワークとスタジオワークを兼任している彼ならではの答えである。
さて、ここで本アルバムに収録されている曲についてふれていきたい。まずは、DISC-1のトラック①から、重厚なベースラインとヒップホップに通づるビート、そして途中から飛び出すチェンジ・ザ・ビートを使用したスクラッチ。もしかすると元ヒップホップDJだったロブがこすっているのかもしれない。いずれにしろロブのデザインによる曲であることには間違いないだろう。(92年3月リリース) ②は、トッド・テリーの影響を思わせる作品。パーカッションのサンプリングも効果的に使用。(92年10月リリース) ③は、ヌーキーの初期の作品。ハードコアハウスに傾倒していた彼のセンスが伺い知れる。(93年3月リリース)④は、MOVING SHADOWを代表するFOUL PLAYによるリミックス・ヴァージョン、ハードステップのルーツ的作品。(93年7月リリース) ⑤は、言わずと知れたロブ・ヘイのワンマン・プロジェクト、オムニ・トリオの名曲のリミックス・ヴァージョン。FOUL PLAYのリミックス・センスがキラリと光る。(94年1月リリース) ⑥は、トナカイがサンタを乗せて雪国を走る光景をついついイメージしてしまうアンビエントなトラック。でもトナカイさん転ばぬように気をつけてね! 途中テンポがスローダウンするところもトナカイを思いやる気持ちか? (93年12月リリース) ⑦は、94年に来日し、ハードコアなDJプレイを堪能させてくれたレイ・キースをフィーチャーしたハードステップの名曲。(94年6月リリース) ⑧は、ドライなキックにエッジの効いたベースラインが印象的なトラック。それにしてもヌーキーって、美しいメロディ作るよね。今度、松尾"KC"潔に聴かせて美メロのラインナップに入れてもらおう。(94年7月リリース) ⑨は、ジェイとアレックス、そして女性シンガーでもあるケリーの3人によるジャジーなユニット。まさに彼らのサウンドってジャズ・ステップというネーミングがはまりそう。(94年8月リリース) ⑩は、ソウルフルでダイナミックな女性ヴォーカルをフィーチャーしたトラックベースラインも重厚。いいサウンドシステムのあるクラブで体感したい一曲。(94年9月リリース) ⑪は、ロンドンのジャングル・パーティーでパワープレイされていた曲。またこの曲にMCがばっちりはまります。(94年10月リリース)
続いては、DISC-2の①からMOVING SHADOWの今後を担っていくであろう注目のユニット。クールでジャジーなサウンドは96年主流となりうるジャズ・ステップ・ジャングル。個人的にクラブとラジオで押してます。(95年末リリース) ②は、色っぽいホーンの音がたまらないジャズステップ。街のイルミネーションが似合うムードあるトラック。恋人とのドライブにどうぞ! (95年末リリース) ③は、ジャズ・ハウスに通づるトラック起承転結がきれいにまとまっているメロウでなごめる曲。こちらは、アフター・アワーズにどうぞ! (95年6月リリース) ④は、オムニトリオもジャズ・ステップにトライといった作品DJ KRUSTの名曲「JAZZ NOTE」のフレーズがフィーチャー。(95年7月リリース) ⑤は、映画のサウンドトラックを思わせる雄大なアートコア・ジャングル。人気のDJ BUKEMがSPEED"でスピンしてそうな曲。(95年7月リリース) ⑥は、BLUE NOTEでFABIOもスピンしていたジャズ・ステップ。それにしてもJMJ&RICHIEのここ最近の作品は、かなりイイ! (95年7月リリース) ⑦は、オリジナルよりもさらにジャジーにしたリミックス・ヴァージョン。この曲もアフターアワーズにどうぞ! 時々入る女性の叫び声は、グエン・ガスリーのサンプリングに違いない。(95年7月リリース) ⑧は、セクシーなジャズステップ。トランペットの泣きは、トム・ブラウンの名曲「FUNKY FOR JAMAIKA」のサンプリング。(96年リリース) ⑨は、タイトルのごとく都会の香りのするトラック。でも時折入るパトカーのサイレンが治安の悪い街を臭わす。(95年7月リリース) ⑩は、こちらもクラブで使用頻度の高いジャズステップ。もちろん僕もヘヴィー・ローテーション中です。(95年7月リリース) ⑪は、ロンドンのKISS-FMでよくオンエアされていた曲。そういえば、ジャイルス・ピーターソンもアクア・スカイ押していた。(95年8月リリース)
いうことで、本アルバムの収録曲を簡単に紹介してみたが、やはりMOVING SHADOWは、はずれなし! 特にここ最近のトラックは良質のジャズ・ステップが多く、特にオススメ! あなたもレーベル買いしませんか?!
DEC.1995 Toshiaki"DAZZLE--T"Komiya
1995年6月21日水曜日
ムーヴィング・シャドウ&サブアーバン・ベース・プレゼント~ザ・ジョイント
JOINT
UKにおけるパーティの歴史についてざっと触れてみよう。
'87年頃より始まったウエア・ハウス・パーティ・シーンの規模はますます大きくなり、レイヴと呼ばれる様になる。'89年頃には英国中に広がり、各地で何千人何万人という規模でパー ティが行われるようになった。
この頃、このジョイント・アルバムCDの2つのレーベル、Suburban Baseレーベルのダニー・ドネリー氏とMoving Shadowレーベルのロブ・プレイフォード氏は、既に顔見知りのDJ同士として知り合っていた。ロンドンの北東部、電車で約30分程行った所。ダニー氏のホームタウンに、’Boogie Times’というダンス・ミュージック専門のレコード・ショップを開いたのが89年。その同時期、ロブ氏はMoving Shadowというレコードレーベルを、これもまたLONDONの北部、郊外をベースに始める。'91年に入ると、レイヴ・パーティもドラッグの悪いイメージの為、警察の弾圧により縮小を余儀なくされ、だんだん盛り下がっていく。ダニーもロブも、それまでメインだったDJ活動を減らし、クリエイティブな方向へ力を注いでいく。'92年には、ロブに次いで、ダニーもレコード・ショップの上にSuburban Baseという郊外をベースにした「Sub Bassのかっこいいレーベル」という意味あいを持ったレーベルを立ち上げる。尚、Moving Shadowの名前の由来は、友達が挙げたいくつかの名前の候補から、「クラブの中でゆれ動く、ダンスする影」というMoving Shadowを選んだというもの
この様なクラブ系の音楽では、12インチ・シングルをリリースしていくというのが通常。その場合、まずマスター・テープをカッティングする前に、ダブ・カッティングといって、1 枚〜2枚だけ試験的に皿にする事もしばしばある。そのダブプレートをもって、知り合い のDJやレコードショップで、回して現場の音を実感し、客の反応を見て、さらにミックス・ ダウンをし直す場合もあるし、そのままメインをカッティングするという決断を出す時もある。
Moving Shadowのロブは自分のレーベルの次のシングルのダブプレートや、また、その後 のテスト・プレスを友達の、ダニーの店、'Boogie Times'というレコードショップへ持って 行っては試聴し、対策を練っていた。また、その後'91年に、レーベルを発足させた Suburban Baseのダニーにとって、ロブの助言は有益なものであった。そして同時にお互い の音楽に対する信頼関係も深まっていった。Suburban Baseレーベルからは 'Drum and Base'というコンピレーション・アルバムシリーズが、'93年に出され、2枚目、3枚目をリ リースするうちに評判を呼び、大成功を収める。デザイン、アルバム・タイトルの選び方と いったようなダニーの企画力と選曲の良さが評価されたのだ。'Boogie Times'に出入りして いたロブのMoving Shadowレーベルの音 (サウンド)を気に入っていたダニーの申し入れに
より2つのレーベルの共同コンピレーション’JOINT I’を発売する事になった。そして、その後'94年に、’JOINT II’をひき続き発表した。このメルダックより、発売された 'Joint Album’は’JOINT I’と’JOINT II’を、更にジョイントさせて1枚にしたスペシャルバージョンである。今のところ世界でも、この日本発売のものしか手に入れることができないのである。初期のジョイントにはハード・コア系のものが多かったが、その中でも光っていたのが、2BAD MICEプロジェクトによるUNDER WORLDという楽曲。'92年頃の作品だが、この頃よりMoving Shadowレーベルの代表的な特色ともいえるIntelligent Jungleの傾向をはっきりと出している代表的な作品と言えるであろう。また、この2BAD MICEプロジェクトにはレーベル・マネージャーのロブ自らも加わっているのである。またSuburban Bassレーベルより参加D'Cruteプロジェクトの作品は ‘JOINT I '、'JOINT II’とそれぞれ一曲ずつ選曲されている実力のあるプロジェクトチームである。Claud Nineの'Blissful Knorance’や、Lick Back Organizationの’Ruff N Rugged'は、質の高いインテリジェント・ジャングルとして英 国でも評価は高い。また、Deep Blueの’The Helicopter Tune' は、ヨーロッパ・ジャングル界で大ヒットとなった。
ここで、少しジャングルという音楽の特徴と、またその中で、どのように分かれているかに ついて説明しよう。
ジャングルと言われ始めたのが、'87年〜'90年の間。いつも、新しい形態の音楽が生まれる時には、いろいろな人がいろいろな事を言うが、総合した地元ストリートのうるさ方の意見をまとめると、どうやらこの時期、イーストLONDONあたりのウエア・ハウス・パーティでラガのMCが、ハード・コアテクノのビートにあわせ、マイクでライブMCを乗せていたスタイル。ハード・コアとの大きな違いは、Big Bass Soundで、ベースラインと音色だけを、取り上げてみるとジャマイカのダンス・ホール・スタイルに似ていると言えるだろう。
そして、ビート感の違いは、ハード・コアの方は、ブレイクビーツといって、代表的なも のが、James Brownの昔の曲のドラム・パターンの一小節をサンプリングして、スピードをはやくして、BPM 130~150に上げ、ループを基本のグルーブとして使っているものが多いのに対し、ジャングルのビートとしてサンプリングしたものは、ドラム・マシーンのパターンを細かく切って、1拍、2拍、時には、1/4拍、半拍といったような、神技的なビートの組み合わせでグルーヴを作っているものが多い。サンプリングしたものをKeyboardにアサインし、それを手動でコンピューターに打ち込んでいるプロデューサーやプログラマーも、ジャングルには多い。ちょっと聴くと、速くて、チャカチャカしている様なビート感には、実に微妙なグルーブ感が隠されているのがジャングルの特色であろう。ドラムのパターンだけを聴いただけで、その作品にかかわっているアーテイストが判るというのも特色。例えばSHY FXや、Roni Sizeなどは代表的なプロデューサーである。また、ダンス・ホールのように、ベースの重低音、大きなノリも重要な役割を果たす。沢山の余分なダビング、例えばVocalやラガMCなどを省き、ビートとベースを前面に出したドラム&ベースというミックスの方法は、ジャングルの中でもクラブで人気のある代表的なスタイルである。
初期の頃は、Jungle Technoや、Happy Jungleという言葉にも代表されるように、ハード・ コアや、テクノの流れの“イケイケJungle"が多かったが、'93年頃からは、より重厚なラガ・ スタイルのジャングルが、数々の話題を集めた。これは、その言葉の通りラガMCや、レゲエの昔の曲のサンプルとジャングルのコンビネーションである。UKアパッチやジェネラル・ リービィといったTVにも顔を出すようなメジャー系ジャングルもこのラガスタイル。'94年春〜夏にかけて、一気にアンダーグランドからメジャーに、勢いを増して行く。またソウル、ファンク系のジャングルとしては、M-Beatの'Sweet Love' や、Tom & Jerry の 'Maximam Style' が耳慣れした楽曲のJungleバージョンとしてヒットした。
また一方、クラブや海賊ラジオ局が支えてきた、アンダーグラウンドでの人気を不動のもの にしたドラム&ベースの形態は、確実にファンを捕え、人気も以前とかわらず引き続いている。インストものの多いドラム&ベースの形態には、実験的なダビングをあわせるような作 品も出てきた。テンポも、以前の速いものから、メローなグルーヴのものへと移っていく傾 向にある。'95年に入ると、このような形態をIntelligent Jungleと呼ぶ様になった。ドラム&ベースの形態で、代表的なレーベルとされるのがSuburban Baseレーベル。そしてアンビエント、インテリジェントの形態で代表的なレーベルとして挙げられるのが、Moving Shadow と言えるだろう。2つのレーベルとも、音楽的にとても質の良いレーベルとして、ただヒット・ チャートを追いかけている様なレーベルとは一線を画している。それは、2つのレーベルと 深いかかわりのある’Boogie Time’レコード・ショップのシステムの音を聴いて頂ければ解ってもらえると思う。そして、耳の良い人は、直ぐに解るだろう。また、置いてあるレコード のセレクションや、訪ねてくる人々の雰囲気は、LONDONの郊外、電車で30分にある小さな 街にあるレコード・ショップとは思えない程、トンがっている。英国には、自分の街からは離れず、それをむしろ誇りに思って頑張っているレーベルがたくさんあり、皆、それぞれに都心から遠いにもかかわらず実力が有ることで、逆に人を引き付ける結果を招いていることがよくある。
このアルバムの、Moving Shadowのロブ・プレイフォードとSuburban Bassのダニー・ド ネリーも、その中の代表的な二人の若者として、今、最高潮にノっているレーベル・マネー ジャーである。
(WRITTEN BY NUTTY ‘M'/UMU Productions LONDON 0171-706-0140)
1994年9月19日月曜日
グリッド 「イヴォルヴァー」
この夏、イギリスでは、ラジオやテレビでバンジョーの音が鳴りっぱなしだった。といっても、カントリーがヒットしたわけではない。その音の仕掛人は、このCDの主役グリッドだったのである。6月にシングル・カットされた「スワンプ・シング」は、あっけらかんとした明るい曲調と、一度耳についたら離れないバンジョーのサビで、じわじわとクラブを中心に売れていき、7月になるとナショナル・チャートでも1位を何週も続けるほどになっていた。U.K.は、もともとダンスものの強い国だし、チャートの上位にダンスものが食い込むことも珍しくない。しかし、それはほとんどの場合2アンリミテッド、カルチャー・ビート、Mピープル、スナップなどのコマーシャルで歌の入ったポップ・ソングである。純粋にクラブ向けに作られた曲が、こんなに売れてしまうのはあまりあることではない。しかし、それだけ「スワンプ・シング」が完成度の高い曲だったと言えるだろう。
グリッドは、このアルバムが既に3枚目となり、めまぐるしく新人の出てくるダンス・ミュージック界ではベテランと呼べるキャリアを持っている。メンバーはデイヴ・ボールとリチャード・ノリスの2人。デイヴ・ボールは80年代初期に活躍したエレクトロニック・ポップ・グループ『ソフト・セル』のメンバーで、妖艶な声を持ったマーク・アーモンド(現在はソロで活動中)とともに「テインテッド・ラヴ」ほかのヒット曲と3枚のアルバムを残している。リチャード・ノリスは、もともとイギリスの音楽新聞『N.M.E.』の記者という変わり種で、アシッド・ハウスがイギリスで猛威を振るった87年から88年頃には、ジェネシス・P・オーリッジ(もとスロッビング・グリッスル、サイキック・TV)率いる『ジャック・ザ・タブ』や『MESH』というアシッド・ハウスのユニットに参加。そこでやはりハウスに目覚めていたデイヴ・ボールと出会う。リチャードは、15人が同時にレコーディングを進め、それぞれが1曲に1時間しか使ってはいけないというジェネシスの奇抜なアイディアを破り、1時間半を使ってしまったため、グループをクビになり、それがきっかけで、グリッド結成にいたったという。
ファースト・アルバムは90年にリリースされた「エレクトリック・ヘッド」だ。これは、まだ、ロック/ポップス色が残っている(ヴォーカルが多用されている)ものの、アシッド・ハウス・フィーバーの発火点イビサ島からの影響をそのまま曲にした傑作「フローテーション」で、その後の方向性を見いだしている。レコード会社をイースト・ウェストからヴァージンに変えた彼らは、移籍後第1弾の「ブーム!」で、いきなりエクスタシーを経験し何かが変わったかのように、それまでひきずっていたニュー・ウェーヴ色を払拭し、軽快なビートを編み出す。それ以降は、トッド・テリーを起用し、サックスをフィーチャーした「フィギュア・オブ・8」、ブライアン・イーノと組んだ「ハート・ビート」と立て続けにクラブ・ヒットを放ち、アルバム「456」をはさんで発表された「クリスタル・クリアー」では、現在まで関係の続くイギリスのトップDJジャスティン・ロバートソンと初めて組み、当時のイギリスを席巻していたプログレッシブ・ハウスの波とも相まって大ヒットする。その後は、またディコンストラクションに移籍し、現在に至るのだが、彼らは、その長い活動歴からもわかるように、決して若くない。10代、20代中心、しかも先に述べたように、常に新しいアーティストが出てきて新陳代謝の異常に激しいクラブ・シーンにおいて、これだけ長い間コンスタントにヒットを放つのは並大抵のエネルギーではないだろう。このアルバムからも「スワンプ・シング」以外に既に「テキサス・カウボーイズ」、「ローラーコースター」もヒット・シングルになっている。確かにクラブでは年齢も、人種も、性別も関係ない。みんな楽しく汗を流し、時には誰かから水が回ってきたり、笛の音があちこちで鳴り、それがまるで話をしているようだったり、名前さえ知らない人と抱き合ってみたり…。彼らはそれを象徴しているかのように自由奔放で、いつまでも新鮮で、若い! 日本の若い人は20歳あたりになるともう「私も歳だし」などと言い出すが、そんな人達にグリッドの爪の垢を飲ませてやりたい。
実は、今年の夏、ロンドンでグリッドのライヴを体験する機会があった。サポートはDJにジャスティン・ロバートソン、ライヴにハイヤー・インテリジェンス・エージェンシーとかなり美味しい組み合わせだった。ジャスティン・ロバートソンは来日もしているし、自らライオンロックとしてレコーディングもしているので、説明の必要はないだろう。ハイヤー・インテリジェンス・エージェンシーはバーミンガム出身のインテリジェント・テクノ系のグループだ。まだ日本では知名度が低いが、ヨーロッパではかなり評価が高く、10万人を集めた今年のラヴ・パレード(ベルリンで行われるテクノ祭り)でも、素晴らしいライヴを披露していた。{余談になるが、グリッドは「ローラーコースター」のシングルでも、グローバル・コミュニケーションズ(=リロード)にリミックスを依頼しているので、インテリジェント・テクノにも注目しているのだろう。}グリッド本体のライヴはというと、「456」発表時に見たものよりセットや衣装がかなり凝ったものになっており(「スワンプ・シング」のビデオに見られる、真っ白なやつだ)、サポートのメンバーも増えていた。例えば、「クリスタル・クリアー」のサックスや、「スワンプ・シング」のバンジョーは、生で演奏されていて、ライヴならではの躍動感が生み出されていたし、それによって、客の方も(クラブで絶叫というところまではいかないものの)だいぶいいノリになっていた。しかし、何より白眉だったのは、ステージの後ろに山のように積み上げられたモニターで、そこからは、絶えず彼らの作った映像が曲にシンクロして流されていた。グリッドのプロモーション・ビデオはなかなか日本では見る機会がないが、CGを多用し、かなり完成度の高いものになっている。以前読んだインタビューでも、彼らはかなりコンピュータに入れ込んでいると発言しており、音楽だけでなく、そこにビジュアルの要素を取り込んでいくことを今後の課題としていくようである。完全にコンピュータによってコントロールされるエレクトロニック・ミュージックだからこそ、その同じコンピュータというプラットフォームで映像をコントロールすることも可能なのだ。個人的には、ライヴよりもそういった方面の彼らの活動に注目している。なぜなら、例えばワープの「アーティフィシャル・インテリジェンスII」や、フューチャー・サウンド・オブ・ロンドンの「ライフ・フォーム」のように、今後ビジュアル方面に力を入れるエレクトロニック・ミュージックはもっと増えていくと思われるからだ。そういえば、いま話題のインター・ネット上にもグリッドは進出していて、サンフランシスコのレイヴ・フォーラムなどにアクセスすると、彼らのディスコグラフィーや、最新の曲(デモなども含まれる)が聴けるそうだ。クラブ・カルチャーは、一方で12インチのアナログ盤や、クラブ(寄り合いの場)という大昔からあるフォーマットをメインに拡がっているが、一方で、デジタルなコンピュータ・ネットワークにも確実に進入している。その両方のフォーマットに共通しているのは、スピードだ。12インチはジャケットも作らず、曲の完成から1~2ヶ月でリリースすることが出来るし、クラブでは、その日レコード屋の店頭に並んだ新曲がガンガンかかる。同様に、コンピュータ・ネットでは、ミュージシャンのスタジオからアップロードされた最新の曲が、世界中のどこからでも、自分の部屋を一歩も出ることなく聴くことが出来るのだ。その辺にまったく自覚的であるグリッドは、今後もシーンの最前線で活躍してくれることだろう。来日公演も予定されているというから、そちらの方も楽しみだ。また、何か新しい仕掛けで驚かせてくれることだろう。
(KEN=GO→)
1994年1月21日金曜日
VARIOUS「XL-Recordings: The Fourth Chapter」
「最近何か面白いレコードある?」
ライターという職業柄、僕はこのような質問を受ける機会が多い。まあ、大体こんな時は新しく買ったばかりのレコードの中から印象に残った幾つかを答えるようにしているのだけど、それがダンス・ミュージックとなるとそう簡単にはいかなくなってしまう。毎月発売されるレコードの数なんてそれこそ星の数ほどあるわけだから、当然全てをチェックするなんて不可能だし、サウンドのスタイルも目まぐるしく変化するから、昨日までは格好良かったスタイルが今日はもう格好悪い、なんてことがザラにあるのだ。したがって、冒頭の質問にダンス・ミュージックに限って答える為にはシーンに対して常に細心の注意を払うことが要求されてくる。全く、厄介なものを好きになっちまったもんだぜ(だからこそ楽しい、という部分もあるんだけどね)。でも、聴き手のこれぐらいの努力は、作り手の努力に比べると楽な方なんだろうなあ。
例え一つのスタイルを確立したとしても、それに固執することなく常に前進しなければならない。ダンス・ミュージック、特にテクノはこの使命を背負い、様々なジャンルの音と異種交配を繰り返した結果、今まで幾つもの斬新なテクノ・アーティストやレコード・レーベルを輩出してきた。だが、残念なことにその中でも良質な作品をコンスタントに発表し続けることが出来たアーティストやレーベルはほんの一握りに過ぎない。殆どは一瞬輝いたきり、そのまま消えていってしまった。
「悪く言えば、使い捨てってことでしょ?」
確かに、そんな状態に虚しくなる人も多いことだろう。「それだけ流行の流れが速いと僕はもうついていけないし、作品の当たり外れも大きいから、テクノのレコードって安心して買えないんだよね」などと言いながら、思わず無難なジャンルのレコードを買ってしまう人も多いことだろう。
しかし、ちょっと待って欲しい。大事なことを忘れていないだろうか? この移り変わりの激しいテクノ・シーンの中で良質な作品を次々と我々に届けてくれるレーベルがあることを。そして、その数少ないレーベルの中の一つが、このXLレコーディングスであることを。
それではここでXLレコーディングスについて簡単な説明をしておこう。XLとは、1989年にシティ・ビート・レコードのティム・パーマーとニック・ホークスによって設立されたダンス専門レーベルである。最初はアメリカのハウスを地道に発表していたが、91年にベルギーのT-99の「アナスターシア」を発表したのをきっかけとして、ハードコア・テクノに急接近。その後、キュービック22の「ナイト・イン・モーション」やザ・プロディジーの「チャーリー」など出す曲が軒並み大ヒットを記録し、瞬く間にハードコア・テクノの看板レーベルへ成長を遂げたのであった。そして、92年に入ると、SL2の「オン・ア・ラガ・チップ」でブレークビーツとレゲエをドッキングさせたラガ・テクノという斬新な手法も提示。ザ・プロディジーに至ってはアルバムも発表し、ブレークビーツ・テクノ旋風を音楽シーンに巻き起こした。まさにここにきてXLはテクノの新たな次元へステップを踏み出したのである。
このように、XLは特定のカラーに染まることなく常に変化し、良質なアーティストを我々に紹介してくれる数少ない信頼出来るレーベルと言えるであろう。そして、いつまでもその姿勢をキープしてテクノの最前線を走り続けるヴァイタリティーには全く驚く他ない。
今アナタが手にしているこのCDは、そんなXLの最新作品がギッシリ詰まったオムニバスである。ここには現在のテクノの姿は勿論の事、これからのテクノの進むべき道までもがバッチリと示唆されており、全てのダンス・ファンにとって興味深い一枚となること必至だ。では、どのような曲が収録されているのか早速見てみることにしよう。
オープニングを飾るアンダーワールドは、ロンドンのトップ・アンダーグラウンドDJ&リミキサーとして活躍するダレン・エマーソンのユニット。壮大な空間の中をパーカッシヴなサウンドに乗って飛行しているようなドラマチックな構成が見事だ。
2曲目は、ぜひ大音量で体験していただきたい作品。空間を切り裂くようなノイズ攻撃はアナタが今まで体験したことのないマゾヒスティックな快感を味わわせてくれるはず。
続いてのジョニー・Lはロマンティックなヴォコーダー・ヴォイスの囁きが印象的なナンバー。最近のテクノっていうか、どうしても情緒といった要素を切り捨てがちな傾向が強いけど、この作品のように、ちょっと切ないメロディーをヴォコーダーを通してサラリと表現した作品もやはり良いなあ。いやあ、何度聴いても胸がキュンとしちゃうよ。これこそ90年代のラヴ・ソングだ!(と、一人で勝手に思い込んでいる)。
4曲目のリキッドの「フリー」は、謎めいた女性の声が耳に残る作品。全体的には地味な仕上がりながらも、聴いていると音の世界の中へ引きずり込まれそうになってしまう。
ミー・アンド・ジャックの「ビバ・ハウス」はタイトル通り、色々な音楽をサンプリングしまくるハウス/テクノの手法が堪能出来る曲。結構大胆にサンプリングしてる所もあるから、元ネタが分かった人は思わずニヤリとしちゃうんじゃないかな。
6番手のデルタ・レディーの曲は、最近PILのジョン・ライドンとの共演シングルが話題となったテクノ・ユニット、レフトフィールドが主催するレーベル、ハード・ハンズから既に発表されていたもの。音はモロにプログレッシヴ・ハウスで、反復されるグルーヴに身を委ねると気持ち良いったらありゃしない。
さて、この手のオムニバスだとそろそろダレ始めそうな中盤に控えているのがザ・プロディジー。曲は勿論大ヒットの「ワン・ラヴ」だあ。すっかり有名になったブレークビーツ・テクノもすっかり一般化しちゃったから、そろそろ次の方向を考えないとやばいんじゃないのー? なんて世間の無責任な発言をせせら笑うかのように、ブレークビーツを使いながらも、他の連中とは一味も二味も違う作品に仕上げるなんて、まったく凄い奴だぜ。
8曲目は、これまた反復の美学。まあ、確かに地味なんだけど、このウネリは体にクルなあー。
さてさて、先程も登場したジョニー・Lがここで再び出現。これは「オー・アイ・ライク・イット」とは対称的なかなり攻撃的なナンバーなんだけど、ただ激しく踊らせるだけでなく、聴き手の脳を心地好くマッサージするようなフレーズ作りのうまさには本当に感心させられる。
ジョニー・Lに続いてザ・プロディジーも10曲目に再登場。この曲は美しいピアノの旋律が効果的に使われているが、これは子供の頃からピアノのレッスンを受けてきたライアム・ハウレット(ザ・プロディジーの中心人物)だからこそなせる技だろう。先日の来日時に行われたDELIC誌とのインタヴューでライアムは「以前はラガを沢山やったけど、今はもう飽き飽きした。これからは、もっとテクノっぽいものをやるよ」と語っていたが、まさにその発言を裏付けるかのようなサウンドと言えよう。
11曲目は「アフリカ」というタイトルにピッタリの曲。テクノ・ミーツ・ネイチャーといったところかな?
そしてラストを飾るのは個人的にイチオシの曲、ドーム・パトロール「ザ・カッティング・エッジ」だああああああああ! ラストにふさわしい超盛り上がりナンバーだ、踊れ踊れー。パーカッシヴなグルーヴに身を委ねてエクスタシーへ一直線だ。……………スミマセン、思わず私の方が興奮しちゃいました。ところで、ブレイクの部分で使われているストリングスの音が何がサンプリングされているか分かります? そう、エコー・アンド・ザ・バニーメンの「ザ・カッター」なんですねえ。いやあ、この曲に着目するなんて素晴らしいセンスだなあ。おそらくこれからのテクノ・シーンは、こうした豊かな音楽的バック・ボーンを持ったアーティストが引っ張っていくんだろうな。
以上12曲いかがだったろうか? 実力派アーティストと才能豊かな新人アーティストに囲まれ、今後のXLに輝かしい未来が待っているのを実感出来たことと思う。しかし、それは決して一日や二日でなったわけではない。今まで一歩一歩着実に歩んできたからこそ、今日の姿があるのだ。だから今後もXLにはスピード・ダウンすることなく先陣をきって世紀末へ突進し、未来を切り開いてほしいと思う。なぜならそれは今や世界中のテクノ・ファンが望んでいることでもあるのだから。
小暮秀夫(DELIC)
1993年7月1日木曜日
アンバサダーズ・オブ・ファンク 「ゴー・マリオ・ゴー」
GO!ゲームミュージックGO!
《日本発イギリス経由、世界リリース》
ゲームミュージックの近未来革命宣言!
全ては1枚のFAXから始まった。英国ナショナルチャート8位を記録した『スーパーマリオランド』の日本側発売が92年の3月21日に決った後すぐの事、そのシングルを作った『アンバサダーズ・オブ・ファンク』のプロデューサー『サイモン・ハリス』からアルファレコードに次の様なFAXが届いた。
…僕らは次のシングル用のレコーディングを終えている『ゴー・マリオ・ゴー』というタイトルなのだが、もし出来るなら僕らのこのシングルを日本から最初に発売してくれないだろうか? 何故なら日本は『ニンテンドーの国』だからだ。そして、僕たちは日本のスタッフと一緒にマリオのフルアルバムを作りたいのだがどうだろうか?…
全ては始まった。彼らがロンドンでマリオのアイデアを思いついたのは92年の夏前だったらしいのだが、その少し前の4月1日からニンテンドーの国=トウキョウでは『TGNG/東京ゲーマーズ・ナイト・グルーヴ』という地下組織が、ゲームとクラブ&レイヴカルチャーの融合を目指し、クラブに家庭用ゲームハードを持ち込みプロジェクターに映してプレイ、そして福富幸宏氏をメインにしたDJプレイで踊りながらゲームするという、ワンナイトクラブイベントを敢行していた。
そして、11月20日の『TGNG4/ノーコンティニュー・カウボーイ』でアルファレコードの洋楽ディレクターが、たまたま『スーパーマリオランド』のアナログを持って来てプレイした。その時遊びに来ていたのがファミコン&ゲームボーイソフト『ヨッシーのたまご』のゲームデザイナーである『ゲームフリーク』主宰の田尻智氏だった。その時、アルファのディレクターとTGNGのスタッフと田尻氏の間での会話は、
…これが本の意味でのゲームミュージックなんじゃないだろうか? 交響曲や子供の為にアレンジされた現在のゲームミュージックシーンとはまったく違った何か新しい事が起こっているのじゃないだろうか…
という共通の想いだった。そして、このイギリス版『スーパーマリオランド』の日本側リリースの許可を二ンテンドーから得たという事が想いを確信に変えた
今までニンテンドーが、マリオのサウンドをアレンジしフルアルバムとして発売した事実はあった(例えば『スーパーマリオワールド』という2枚組のアルバムが発売になっている。その時のサウンドクリエイターは渡辺貞夫氏。プロデュースはドラクエのすぎやまこういち氏が担当。ジャズ&フュージョンアレンジのマリオワールドだった)。
しかし、イギリスのゲーム好きミュージシャンが勝手にゲームサウンドをサンプリングして、しかも英語でMCマリオというキャラクターにラップさせるという強引な作品が許可されたという事実は、このプロジェクトの根底を支えるモノとなった。
かくしてTGNGのスタッフとゲームフリークのスタッフにアルファレコードからサイモンの意志が伝えられた。
…ゲーム好きなイギリスのミュージシャンとゲーム好きな日本のスタッフと一緒に世界発売を目指したマリオのアルバムを作ろう…
そして、このプロジェクトのリリースシステムに大切なのはGMOレーベルの復活だった。それは、1986年に始まったこのレーベルが世界初のゲームミュージック専門のレーベルだったからである。
そして、アルファGMOレーベルとロンドンのサイモンとゲームフリークとTGNGの間でFAXの意見交換がなされ。企画書が出来上り、本当の意味でマリオのふるさと京都へ向かった。そして、今や世界のミスターマリオ宮本茂プロデューサーに会見したのだった。
…うん。好きにやってください。マリオというキャラクターはね、マリオに愛のある人が、よってたかって大きくした様なモノですから。それにマリオワールド(TVゲームの世界観)を解ってくれる人が作っている様ですから、あとは好きにイジッて楽しいモノをつくってください…
そして、この5月にアルバム発売のミィーティン為にサイモン・ハリスが来日。かくして東京↔ロンドンで同時に始まったゲームカルチャーの新しいカタチの真意を確かめるべく、日本側プロデューサー・田尻氏とイギリス側プロデューサー・サイモン氏の対談が始まった。
田尻 まず、サイモンが何故ゲーム音楽を素材として選んだのかを聞きたいんですけど。そして、数多いゲームの中で『マリオ』を選んだというのは?
サイモン うん。まず、ゲームが好きだったという事が大切だね。そう『パックマン』や『スペースインベーダー』の時代からね。インベーダーなんて家にゲームハードを買って来てやってたくらい(笑)。……でね。ゲームボーイで『スーパーマリオランド』をプレイしている時にBPM(楽曲のスピード)が120のBGMがあったんだよ。それでコレは、と思ったんだ。それから『マリオ』というキャラクターは、もう世界中で新しい時代の『ミッキー』と言われているくらいの存在だからね。
田尻 うん、そうだね。でも、なんでゲームボーイの音源だったんだろう。もうスーパーファミコンだって出てたはずだし、音で考えてもスーファミはステレオラインアウトだし、ゲームとしても4年前の『ランド』よりスーファミの『ワールド』の方が今では代表的だと思うんだけど……
サイモン うん。それはイギリスという国柄が大きく問題になってくると思うんだけど。まだまだイギリスでは、スーファミのソフトの発売が日本ほど普及していないんだ。例えば『スターフォックス』は、まだイギリスでは発売になっていないくらい。それに最初は、とりあえずイギリスでヒットする事が大切だったから。ゲームボーイは、イギリスで一番売れているゲームハードだからね。それで『ランド2』については、『ランド』のシングルのレコーディングをしている92年の夏の時点ではまだ持っていなかったんだ。…あと8ビット機(日本のファミコン)についてはイギリスではパル変換(TVのシステムが日本とは違う)のせいで日本のソフトが巧く作動しないからね。……いろんな意味で日本はゲームカルチャーの最先端だと思う。だから、今回のマリオのアルバム発売に日本のスタッフと一緒にやりたかったんだ。マリオというキャラクターを僕はディズニーと同じくらいの敬意を払って仕事をしたかったからね。
田尻 ほんとうに好きなんだという事が音楽からもわかるよ。僕は音楽についてはよく解らないけど、ゲームについては好きからはじまって、作り手にまでなってしまったくらいだからね(笑)。
サイモン うん。ミスター田尻が作った『マリオ&ヨッシー』(日本でのタイトルは『ヨッシーのたまご』)は好きなゲームだよ。今回のアルバムにも使いたいな。それでマリオの凄いところは、他のキャラクターと違ってニンテンドーのあらゆるジャンルのゲームに登場している事だね。それこそ『ニンテンドーゲームランド』の『ミッキーとその仲間たち』だね(笑)。僕は、ミッキーの大ファンでもあるんだ。ミッキーやマリオの共通点は、作り手が子供のモノだというスタンスでは決して作ってないところだ。大人が楽しんでやれないモノを子供が楽しめるワケがない。
田尻 うん僕がゲームを作る時にも同じだよ。…で、疑問なんだけどイギリスではゲームミュージックシーンはあるのかな? あるとしたら日本の子供的(アニメ的)なシーンと違うのかな。
サイモン うーん、残念な事だけど全くない。それこそ僕たちが最初だ。でも、その最初のシングルが大ヒットしたというのは、みんなが待っていたという事でもあると思うんだ。イギリスのゲームミュージック・シーンはこれから僕と田尻たちで作るんだよ(笑)
田尻 そうか。日本でもサイモンや僕が考えているシーンはないよ。ゲームミュージックの始まりは、ゲーム好きのYMOというユニットのミュージシャンが作った『ゼビウス』のサンプリングダンスミュージックだったんだけど、それがヒットしなかった事からアニメ的な、または作曲者自身がフュージョンに変えたり。音楽的には素人たちのゲームミュージックプログラマーたちがバンドを組んでライブをやる様な、ミュージックシーンにいつの間にかすり変ってしまったんだよね。……でも、これからが始まりという感じがするね。僕が今度マリオのニューソフト(『マリオとワリオ』というタイトルのスーファミソフト!)を夏に発売する為に作っているんだけど、その音楽もサイモンが気に入ってくれたら使ってほしい(笑)。
サイモン もちろん(笑)。今回、日本に来てイギリスや日本で新しいゲームミュージック・シーンが始まっている事を実感できたよ。
そして、サイモンと田尻はニューゲームミュージックシーンのパイオニアになる握手をして別れていった。全てはこれからだ。
マリオワールドは、今年ハリウッド映画『スーパーマリオ』になって全世界公開される。そして、今までの4本のファミコンソフトを1本のスーファミに入れたニューソフト『マリオコレクション』がリリースされる。その上、田尻氏がデザインしたスーファミ用オリジナルニューソフト『マリオとワリオ』の発売も世界中が待っている。そんな中、ゲームミュージック・シーンにも新しい革命が起こっているのである。
そして、それは、8月1日に発売されるフルアルバム『スーパーマリオ・コンパクトディスコ(仮)』に全て集約されるはずだ。
1993年6月21日月曜日
VARIOUS 「エリア・コード313 | デトロイト・テクノ・コンピレーション」
黒いアンヴィエント・ハウス
アメリカ合衆国、ミシガン州、デトロイト。
アメリカ全土からみれば、小さな都市の部類に入るここデトロイトは、自動車産業を基盤として台頭したアメリカ有数の工業都市である。人口の80%以上を占めるのが黒人ということもあり、モータウンに代表されるブラック・ミュージックの盛んな都市としても有名だ。この地に、「デトロイト・テクノ」なるプライオリティの高い独自のサウンドが誕生して、はや6年。光陰矢のごとし、月日の流れの何と早いことか。「デトロイト・テクノ」の音楽的性格は硬質かつ金属的、機械的にして野性的なリズムをベースにしたアンヴィエント・ハウスであること。アンヴィエント・ハウスといえば、いまでは「ブライアン・イーノ→KLF→オーヴ」という、一連のプログレッシヴ・ロックからの派生型的ハウスを指す。
しかしアンヴィエント・ハウスのカテゴライズは、単にそれに止まらない。その構成要素として、808ステイト「パシフィック」が重要な位置を占めることをご存知だろうか。ZTTレコーズから、この曲でデビューを果たした808ステイトだが、同時にインディ時代の最大のヒット曲でもあったことを知る人は意外と少ない。ZTT盤ではもうあまり感じられないが、インディ盤ではこの曲を最後に脱退したジェラルド・シンプソンの影響が色濃く反映されている。それは、何か?
ベース・ライン、である。
ZTT盤では、鳥の鳴き声のサンプリングやソプラノ・サックスによる美しいメロディーばかりが取り沙汰されたため、この曲に対するベース・ラインの貢献度については語られなかった。しかし黒人特有(ジェラルドはマンチェスター在住の黒人)のうねるようなグルーヴィーなベース・ラインがあってこそ「パシフィック」は「パシフィック」で有り得たのだ。
その証拠に、808ステイトの曲。「パシフィック」以外、すべてのリズム、ベース・ラインが「ロック」しているのである。やはり白人の構築するダンス・ミュージックと黒人のそれとは、リズム、それもベースラインに大きな違いがあるようだ。
デトロイト・テクノの魅力も、やはりグルーヴ感のあるアンヴィエント・ハウス、といえるのではないだろうか。デトロイト・テクノ3大プロデューサーのひとりデリック・メイの作品を聴いてほしい。その中でも、デトロイト・テクノ初期の傑作と絶賛されたシングル「ヌード・フォト」は、スピーディーな展開と幻想的なメロディーをもつ第一級のデトロイト・テクノ。ここでも特有の強烈なグルーヴが、そのウネルようなベース・ラインによって打ち出されている。その事実は、彼が最近手掛けた一連の作品でも変わらないようだ。特にイタリア産アンビエント・ハウスの名曲「スエーノ・ラティーノ」のリミックスは、彼の魅カが充分に生かされている。キックとスネアを全面に出さず、16分と32分を絡ませたハイハットと躍動感溢れるテインバレ系パーカッションの組み合わせによって、独特のスピード感をもつトランシーな仕上がりを担っている。
313デトロイト
このCDのタイトル「エリア・コード313」とは、デトロイトの市外局番からネーミングされたものだ。ここには、アンダーグラウンドなデトロイト・テクノ8作品が収録されている。
オープニングは、ケニー・ラーキンのニュー・プロジェクト『ダーク・コメディ』。彼はデトロイト・テクノ・ファンならお馴染みのカナダのレーベル「+(プラス)8」で活躍したアーチスト。このカナダ産デトロイト・テクノのレーベルは、その名の通り、ターンテーブルのピッチを「+(プラス)8」にしてDJプレイをさせるのをコンセプトにした超高速デトロイト・テクノ。しかし『ダーク・コメディ』プロジェクトでは、ドラマティックな雰囲気をもつデトロイト・テクノをクリエイトしている。
リール・バイ・リールは、ジュアン・アトキンスのメトロプレックス発。ジュア
ン・アトキンスは、“マジック”ジュアンの愛称で親しまれるデトロイト・テクノ界のゴッド・ファーザー。彼が参加したリール・バイ・リールの新曲なだけに、独特のグルーヴ感が加味されたサウンドになっている。カール・クレイグといえば『プラネットE』。彼が主宰するこのレーベルは、いま日本でも大人気の新興デトロイト・テクノ・レーベルである。ピース『フリー・ユア・マインド』もそうだが、特にこのCDのラストを飾る69(シックスナイン)『ディザイア』が推薦。アンビエント・ハウス界の「ファンキー・ドラマー」(?)と呼ばれるこの曲を、カール自身はジャズ・ファンクだという。もちろん「いわゆるジャズ・ファンク」とは違うが、既成のデトロイト・テクノとは差別化されるべきそのベース・ラインは、まさに新たな90年代ジャズ・ファンクのカタチなのかも知れない。おそらくいま一番輝いているいるデトロイトのアーチスト、エディー・“フラッシング”フォルクス『ワーウィック』もおもしろい。彼はベルリンのレーベル『トレゾー』からもリリースするなど、その活動の範囲も幅広く、当然彼がクリエイトするサウンドも単なるテクノには止まらない。アンダーグラウンド・レジスタンス『アイ・オブ・ア・ストーム』にも通ずるソウルフルなテクノ・ハウスは、まさに21世紀のディスコ・サウンドに違いない。
先に述べたとうりデリック・メイ『ヌード・フォト』のライターとして知られるトーマス・バーネットのサボタージュは、極上のアンヴィエント性をもったデトロイト・テクノ・プロジェクト。ドリーミーなアンヴィエントトランス(アンヴィエントートランスを掛け合わせた造語)をダンス・フロアーに享受する無次元クラブ・サウンドといえるだろう。サントニオは、インナーシティ、リース・プロジェクトで有名なケヴィン“マスターリース”サンダーソンとパートナーシップを組んだシングル『ロック・トゥ・ザ・ビート』の大ヒットで知られる人物。またK.E.L.S.E.Y.のマーク・キンシェンは、かってケヴィン・サンダーソンのKMS(彼の頭文字)レコーズからもリリースしていたデトロイト・テクノのパワフル・エイジ。現在はモビーと共同プロダクションを経営する傍ら、B-52's、シェイメンなどのリミックスを手掛ける多忙ぶり。彼のエリア10・レーベルからリリースされていたこの曲は、完全無欠のアンダーグランド・テクノ・チューン。
インフォネットが企画したこのCDは、すでに昨年末には輸入されて、日本の高感度なナイト・クラヴァーたちにはマスト・スタッフ。最近では入手も困難だったため、実に待望の国内盤リリースだろう。
デトロイト・テクノとインフォネット、いまイチバン、目が離せないクラブ・トレンドの同期せよ。
1993.4 NOBBYSTYLE
1993年3月21日日曜日
MEGA RAVE PROJECT 「RAVE TECHNOPOLIS TOKYO」
このアルバムを今手にしている人達の大半が
2通りの人種に分かれるのではないかと思う。
1つは「YMOオタク」で、往年のYMOの名曲が
現代テクノ風にアレンジされリミックスされたとは一大事!
一体どんなものになってしまったのだろう?と手に入れてしまった人。
そしてもう一つは「ジュリアナイケイケギャル&フリーク」とその予備軍で、
「えっあのDJジョン・ロビがリミックスしたアルバムなの!」と
YMOの実体はさておき、「ジュリアナ・トーキョー」というブランドが
ヴィトンやベルサーチと共に必須アイテムになってしまっている人達だ。
まぁいずれにせよ「YMO」という1つのテーマに於いて
全く逆の人種が共通感を見い出せるというのは素晴らしい事である。
それにしても実際現在のジュリアナで
レイヴっちゃってるグルーヴァー達が20歳くらいだとすると
YMO全盛の79~80年頃は小学校のて学年、ということは
ほとんどYMOがなんなのかということも知らない人も多いのではないだろうか?
まぁ僕がリアルタイムで聴いていたのも中学1,2年位だから無理もないか…。
ちなみにそんな迷い子チャン達にちょっと説明しておくと、
YMOというのは紛れも無く日本が世界に誇れる最高のアーティスト集団であり、
テクノロジーの象徴ともいえるべく
70年台後期~80年台中期に活躍していたテクノグループである。
メンバーは坂本龍一、細野晴臣、高橋ユキヒロの3人。
この3人の名前は当然知ってると思うが、
グループ解散後もそれぞれが大活躍しており、
まさに時代のクリエイターとして
10年以上も君臨しつづけている偉大なグループなのである。
5年位前から世界的なブームとなり、
現在ではダンスグルーヴものの基本とも成りえている「ハウスミュージック」。
その基本的な流れにおいても大きく貢献したYMOは、
現在でも多くのアーティストに影響を与え、
テクノ系のアーティストや、それを操るDJ達の間でも彼らは神様的存在である。
もともとテクノ系の音源のクリック音を主とする「アシッドハウス」や「テクノ・ハウス」は、
YMOやクラフトワークに影響を受けた次世代の手によるムーヴメントであり、
「ソウルの原点ゴスペルにあり」的な感覚の従属関係を持っているはずだ。
そして何よりもそれらを構成する機材類がYMOブーム周辺に大流行した
アナログ系の機材であるということがそれらを証明している。
リズム・ボックスのTR-808、909、現在入手困難なTB-303など
YMO世代が提案した新たな音楽構築の世界は今でも受け継がれているのだ。
さてさて話が大分飛躍してしまったが、
昨年あたりから何やらYMO周辺が騒がしくなってきている。
YMO作品の発売元であるA社からは様々なYMO企画アルバムが発売され、
リミックスものなども何枚か登場している。
808ステイツやウイリアムオービットなどYMOに想いを寄せるそうそうたるメンバーが
リミックスを担当したリミックスものなどが(内容はともかくとして)その代表格であるが、
本作品がおそらく関連ものとしては最後のプロダクツになるであろう。
なぜならばYMO辞退が再結成され、
多分夏頃にオリジナルアルバムが出てしまうからである。
ここ1、2年彼らの再結成の噂が出ては消えるという事がくりかえされてきたが、
今回はどうやら"マジ"らしい。
既にレコーディングに入っているというのも業界筋の常識の様だ。
これはYMOファンが心待ちにしていた最高の状態になったわけである。
さて、そうなってくると気になるのは音の方、
僕が聞いた当初の噂だと「今回は実は全部生楽器らしい」とか
「君に胸キュン調の歌謡テクノだ」とか様々な噂が流れていたが、
僕のある友人が坂本氏に直接問いかけたところ「それはノーコメント」と言いつつも
「最近オーブとかどう? 君DJやってるんだろう? "アンビエント"とか好き?」と、
逆に聞かれたそうだ。
それから一歩的に予測すると
「環境音楽とかをテーマにしたアンビエント系のテクノ」というのが濃厚な線だろう。
(と、僕は勝手に思っている。)
まあ僕達の様なポストYMOキッズ(?)にとっては
「BPM速くて踊れるやつがいいよー」とごねたくなるところだが、
それはこのYMOカヴァーを聴いて納得することにしたい。
という訳で、イケイケのジュリアナギャル達もYMOがいかに偉大なグループか、
そして今年、YMOムーヴメントが
いかに注目されているかということがおわかりになっただろうか。
今からでも充分間に合うので、YMOの動きを抑えておけば、
きっと今年も目立ちまくれるからチェックしてみてくれ。
さてさて今回のこのアルバム、
実にうまくYMOの名曲の数々をハードコアテクノ風にアレンジしており、
お立ち台でグルーヴできちゃう乗り乗りのテクノハウスに仕上がっている。
それもこれもジョンロビンソンの
常にグルーヴを大事にしているNo.1 DJとしての力量であるのだが。
そのジョンがプレイしているジュリアナ・トーキョーは
現在の日本のNo.1ディスコであり、その噂は誰もが周知の通りである。
芝浦にあるボーリング場の1階にあるこの大型ディスコは
一昨年5月にオープンして以来日に日に噂が噂を呼び週末ともなると
3000人もの人数を動員するスゴイ"箱"である。
「ジュリアナギャル」と呼ばれるミニスカ・ボディコンのおネーさま方が
お立ち台でひらひらセンスを振り回しながらレイヴっちゃって
DJジョンのMCにあおられ、ダンスフロアーはまさに興奮(レイヴ)状態。
ここに行けばバブルも不況も忘れてしまうという「夢の楽園」なのである。
現在はディスコ不況時代と言われている。
がしかし、ジュリアナの状況を見てるとそんな事は全く感じられない。
確かに全国的にディスコやクラブの数は減ってきてるし、
ジュリアナ以外はどこもあまり良い状況ではなかった。
しかし最近になって少し状況が変わりはじめている。
ジュリアナに影響を受けた全国のディスコが「ハードコアテクノ」を中心とした選曲と
「イケイケのノリ」によって息を吹き返してきたのである。
日本のディスコ変遷を見ても常に隆盛の裏には
「ハイエナジー」と「ユーロビート」などの"イケイケ"なダンスビートが影を操っていた。
故に「ディスコは"ハードコアテクノ"と"ジュリアナ"に救われる」という見解も
あながち間違いではなさそうだ。
年間60本以上も全国のディスコをまわっている僕もそう思っているのだからまちがいない(笑)。
そして何より今年予測されるYMOムーヴメントと共に
新しいテクノ元年としての動向に期待がかかる。
ジュリアナイケイケギャルがYMOを理解した時、
そんな瞬間がハウス後進国と言われている日本の大逆襲が始まる時ではないだとうか。
このアルバムがそんなムーヴメントの橋渡しをする
「MIDIケーブル」であると僕は実感している。
1993年3月20日土曜日
ビザール INC 「エナジーク」
フリーキーなTECHNO-RAVEからラヴリーなDISCO-TECHへ
これがビザール・インクのエナジー・ディスコティーク!
いきなり極私的なお話で恐縮なんだけど、昨年の秋頃、トニー・ハンフリーズのCDを制作した佐藤&杉沢両氏に呼ばれてパーティーのDJをやらせて頂いた時のこと。結構夜も更けてクラウドもダレはじめた時、佐藤研さんがそれまでのステディなガラージ・ハウスから、何ともテクノな、でもすっごく黒くウネるインストものにチェンジしたんです。ワォ、格好いいってDJブースでクレジットを確かめたらこれが何とハッピー・マンデイズのシングル。この一曲で僕、目覚めちゃいましてねぇ。初めてシカゴ・ハウスを知った時みたくレコード屋さんまわりしたら、テクノ・ビート+ディスコ・フレイヴァーな、近未来っぽくて、でもどっかラヴリーでレトロなマンデイズタイプのサウンドはちょっとしたブームになってたみたいで、そのテが続々と見つかるんです。
このマンデイズのシングルをリミックスしたのがテリーファーレイ&ピート・ヘラーのバレアリック・チームだったので、同じくUKバレアリック・シーンの親玉、ポール・オークンフォードが手掛けたELISAの「LOVE VIBRATION」ってのを最初に買ったらこれが大当たり。それからはCOCO STEEL & LOVE BOMBの「YOU CAN'T STOP THE GROOVE」に、ノマドの新曲(バーバラ・ペニントンのカヴァー・ディスコ!)、ヘヴン17までがBROTHERS IN RHYTHMをリミキサーに従えてDISCO-TECHしてたり、ついにはあのブラン・ニュー・ヘヴィーズもDAVE LEE(JOEY NEGROの方が解りやすい?)ミックスによるレトロ・ディスコなヴァージョンを作ったり。そして、ダメ押しの輸入版I-D誌「AGE OF D」(DISCOの時代)と云う特集。レイヴ・パーティーでキレまくってたロンドンっ子の移り気は今、ディスコ。刺激の強いハードコア・オンリーから、それらテクノのトゲと昔のディスコものが発してたいかがわしくもラヴリーなノリをミックスした世界こそがINNらしいのだ。
で、さっそく。僕はダンスもの雑誌「PUMP」から依頼されてたコラムのタイトルを"MAGIC TOUCH DISCO-TECH"とさせて貰った。第一回目のレヴューは勿論ビザール・インク。そして程なく彼らの日本盤発売の知らせ。そしてついには今週付ビルボード・クラブ・チャートでC+Cのニュー・プロジェクトを抑さえて堂々の1位。USでも成功してたんだね。頑張れ、ビザール・ディスコ!
このアルバムの話をしよう。スリーヴをみて頂けば解ると思うけど、このアルバムは前半部が、レーベルメイトのEONのミックスを含む1991年のマンチェスター録音。僕がひつこい位にDISCO-TECH!と指摘しているのは6以降の後半部で、92年ロンドンで録音されている。つまりはレイヴ・シーンの花形として活躍していた時期から、もう一歩進んだコンセプトを得るまでの歩みをスッキリと打ち出してみせた訳だが、全篇後半部の勢いで占めてほしい僕には納得のゆかない選曲でもある。これに対しメンバーのディーンは"レーベル側がそうしてほしいって云ったから"と淡白でちょい残念…。逆に全曲、前半部のようなハードコアを期待した昔からのファンもしっくりいかないんじゃないかな。デビュー当初の彼らってまさしくレイヴ・テクノの始祖だったしね。ハードコア・テクノは彼らからはじまったと云っても過言じゃない程の過去を彼らはもってるのさ。
カール・ターナー、ディーン・メレディス、アンディ・ミーチャムの3人から成るビザール・インクは89年、スタフォードで結成されている。「イギリスで最も退屈な街」と云うここでディーンは現ALTERN 8のマーク・アーチャーと知り合い、4人はビザール・インク最初のヒット「TECHNOLOGICAL」を作る。しかし、マークの余りに芝居がかったKLFもどきにヘキエキした3人はすぐさま彼と訣別。「スタフォードがテクノ・シティなんて言う奴もいたけど、それはマークん家のベッドルームだけの話さ」続いて彼らはレイヴに陽性なノリを織り込んだ「IT'S TIME TO GET FUNKY」「SUCH A FEELING」をヒットさせるが「エナジーク」→ENERGY DISCOTHEQUEと云うコンセプトからズレてしまった上記3曲は本作に収録されていない。それにしても、ハードコア・シーンの牽引車だった彼らがUSアンダーグラウンド派もまっ青のソウル・テクノ(?)でアルバム・デビューを果たしたのは何故?
「どんなに成功したって俺達はアンダーグラウンド・ピープルを忘れない。アンダーグラウンド・シーンのパワーは俺達の基本だからな」とアンディ。
「俺達はこのアルバムで自分達自身のアンダーグラウンド性を上手くアピールできたと思うよ。テクノからディスコまで、見事にクロスオーヴァーしてるだろ?アンダーグラウンドはサウンドのスタイルじゃない。スピリットなんだ。」とカール。
どうやら彼らのテクノから今日の姿までの転身は、クラブやレイヴの熱気を充分に吸い込んだ彼らならではのスポンティニアスな姿勢によるものらしい。前述のテリー・ファーレイやポール・オークンフォードも今でこそレーベル・オーナーやNO.1プロデューサーだけど、元々はイビザ帰りのパーティー大好き青年。現場の空気を吸ってる奴らは本当、早いなぁ。流行先取型遊び人の君、今月からカー・ステにはJリアナと、DISCO-TECHネタもよろしく!
さて、スペースの都合もあり全曲についてコメントは出来ないのだけど、USでも大当たりの6でビザール・ディスコにハマった人には是非8 9 10そして11の繰り返しプレイをすすめる。テクノ好きなガールフレンドと一緒なら1~5だろうけどね。あと、このテのサウンドをもっと追及したい人は、AVEX TRAXのCDを買いあさって下さい!
[1993.1.15 本根 誠]
1993年1月25日月曜日
808State 「Gorgeous」
僕たちがかつて聴いたことのないフューチャー・サウンドに彩られたこの『Ex:el』は当然のように売れに売れまくり、イギリスではトップ5アルバムとなり、ゴールド・ディスクにまでなった。「イン・ヤー・フェイス」「リフト」「ウープス」という、3つのシングル・ヒットを生み、ツアーを行なえば地元マンチェスターのG-MEXをソールド・アウトさせるのは当然、なおかつアメリカやここ日本でもソールド・アウトに近い売れ行きを示した808ステイト。彼らの「イン・ヤー・フェイス」や「キュービック」は、'91年から'92年にかけてダンス・ミュージック・シーンを席巻するテクノ・ブームの火付け役をみごとに果たし、中には“キュービック22"なんていうモロパクリのグループまで登場してしまうくらいの影響をシーンに与えたのである。
また、808ステイトもしくはグレアム・マッシー名義でのリミックス・ワークも相変わらず数多くこなしてもきた。フィニトライブのシングル「101」やプライマル・スクリームの「ドント・ファイト・イット・フィール・イット」を始めとして、珍しいところではイエスの「ロンリー・ハート」やデヴィッド・ボウイの「サウンド・アンド・ヴィジョン」のリミックスで世間をあっと言わせたりしている。そしてもうひとつ忘れられないリミックスが存在する。それは、メンバーが師とあおぐ日本のテクノ集団YMOの超有名曲「ライディーン」と「灯(LIGHT IN DARKNESS)」のグレアム・マッシー/808ステイト・ヴァージョンだ。これは、彼らのほかにシェイメンやオルタネイト、LFO、スウィート・エクソシストなど、ここ1~2年シーンをにぎわしているイギリスのブリープ・ハウス~ハードコア・テクノ系のアーティストによるYMOのリミックス・アルバム「ハイ・テック/ノー・クライム」に収められたもの。折からのテクノ・ブームに乗っかって、そのパイオニアであるYMOの再評価熱が高まってきた昨今だが、このシェフィールド/マンチェスターという、イギリス北部の二大テクノ・シティのアーティストを中心にしたこのリミックス盤は、大いに話題を呼んだ。その中でも、グレアムの手による「ライディーン」のリミックスは意外な展開で非常に興味深いもので、808ファンは必聴だ。
という感じで、808ステイトは『Ex:el』で自らテクノ・ブームの種をまき、ツアーのステージでも、ソフトな曲調のものよりも、はるかにヘヴィなサウンドを持つ曲を中心に強固な世界を構築することによってその芽を育ててきた。
その結果、世はまさにテクノ天国の様相を呈してくるわけだけれども、そうなった後の808ステイトは、何となく意識的にそうしたシーンから一歩引いて、少し離れた部分からそれをながめていたような気もする。というより、もともとそうしたシーンを作ったつもりでもなければ、そこに身を置くつもりもないといった風情でもあったのだろう。彼らは'91年中に前述した3枚のシングルを『Ex:el』からカットした後、ピタリと自身のディスクを出さなくなってしまう。
そんな折入ってきた大ニュース。それは、4人のメンバーのうちでは最年長者で、バンドのスポークスマン的役割を果たしてきたマーティン・プライスの脱退という、暗いニュースだった。
音楽紙などで見る限り、マーティンの脱退の理由はこういう感じだ。"『Ex:el』がリリースされた後、808ステイトがもたらしたテクノ/ハードコア・ブームは、808ステイト自身にまで逆に影響をおよぼし始めた。音楽シーンは急速度で変っているのに、808ステイトはメジャー・レーベルの反応の遅さのせいでそのスピードに乗り遅れるようになってきた。マーティンは、リリース・スケジュールの制限と遅れ、そして終りのないミーティングの連続にいや気がさしたのである"――
このことについては、808ステイトが3人で来日公演を行なった'92年春、グレアムに直接話を聞くことができたので紹介しておこう。「実は(マーティンには)やめてもらったんだよ。なぜかというと、これはもう方向性の違いとしかいいようがない。彼は、昔の808、マニアックなクラブ・サウンドをやる808に戻したがってたんだけど、そういう回帰は12インチ・シングルなんかにはいいだろうし、オタッキーなファンもつくかもしれない。彼はそのためにも12インチ・シングルのリリースを中心とした活動をするよう主張を始めたんだ。でも、僕らはそれには全然賛成できなくて、もっと拡がりのある、より多くの人に聞いてもらえるようなレコードを作りたかった。僕ら3人はそう言ったんだけど、彼はいやだと言うんで、仕方なくやめてもらったという次第だよ」(ポップ・ギア誌'92年6月号/吉村栄一氏によるインタビューより)
マーティン・プライスは、ジェラルド・シンプソン(ア・ガイ・コールド・ジェラルド)が在籍した頃の808ステイト、クリード・レコードからデビュー・アルバム「NEWBUILD」をリリースした頃の、ゴリゴリのアシッド・ハウス時代に戻りたがっていたのだろうか。元々マーティンは、マンチェスターのレコード・ショップ、イースタン・ブロックの3人のオーナーのうちのひとりだった。それゆえ、コンテンポラリーなダンス・ミュージックの動向についてはメンバーの中でもずば抜けて詳しかったわけである。現在マーティンは、スウィッツランド(SWITZLAND)なるプロジェクトをスタートさせているときくが、それよりも重要なブレーンを失った808ステイトの行く末を案じたのは僕だけではあるまい。
だが、そんな日本人の不安などどこ吹く風と言わんばかりに、3人になった808ステイトは'92年2月末、2度目の来日を果たす。題して「THE TECHNOTAKU TOUR」。おいおい、何てネーミングだよこれわあ おこるぞこら。
が、ステージは悪くなかった。すべては杞憂に終わったようである。
「パシフィック・ステイト」「キュービック」などのヒット・ナンバーに加え、3曲の新曲「レモン」「ノーマン」「10×10」、そして何とアフリカ・バンバータの「プラネットロック」のカヴァーまで演ってしまった新生808ステイトは、目も眩むようなレーザー・ビームの乱舞の中で、よりヘヴィでポップな姿を僕たちに見せてくれたのだ。
それから半年。'92年8月には新生808ステイトのニュー・マテリアルが我々のもとに到着した。そのシングル「タイムボム」は、ヴォコーダーが誇らし気に「エイト・オー・エイト」を連呼する(YMOの「テクノポリス」を思い出してしまったぜ)、短いながらも激しいテクノ・チューンである。
次いでは本稿執筆時点では未発売だが、おそらく11月末にはもう1枚のシングル「ワン・イン・テン」のリリースがあるはず。そして年明け早々、世間の期待を担うニュー・アルバムが、いよいよそのヴェールを脱ぐ。
タイトルは『ゴージャス』。
何とも凄いタイトルだ。『Ex:el』だって相当なものだと思うけど、今回はさらにその上を行ってる。そういえば、『Ex:el』のライナーも僕が担当させてもらったんだけど、あの拙文を僕は「これはいい。何というゴージャスなここちよさだろう」というセンテンスで始めていたんだった。先見の明ありでしよ(笑)。
それはさておき、このタイトルについてはグレアム・マッセイからのメッセージがある。「この“ゴージャス”という言葉には、いろいろな意味がある。“すばらしい”という意味だけど、それはシリアスにもなるし、逆にすごくふざけた感じでも使えるんだ。808ステイトの音楽はいつも深刻なわけじゃなくて、ユーモアのセンスにあふれていることを人々は見落としがちなんだ。YMOだってそうだったようにね。“ゴージャス”という言葉も、そんな二面性があるから、まさにこのアルバムのサウンドを反映していると思う」
うーん、しかし本当にこのアルバムは“ゴージャズ”だ。サウンド的にも、ムード的にも、そしてゲスト陣も、である。
前作『Ex:el』では、ニューオーダーのバーナード・サムナーと、シュガーキューブスのビョーク(彼女は最近、808ステイトのヘルプでソロ・アルバムを完成させたようだ)という豪華ゲストの参加が話題になったけれど、その点ではこの『ゴージャス』も抜かりはない。
まずは2曲目の「MOSES」を聴いてほしい。僕も初めは耳を疑った。まさか……! この曲を808ステイトと共作し、ヴォーカルもとっているのは、元エコー&ザ・バニーメン、現在はソロで活躍する酔いどれマックことイアン・マッカロクその人なのである。両者の結び付きはとても意外なものだったが、この邂逅をもたらしたのは、この二組に共通するライティング・マンだったという。イアンはこれまで808ステイトの音楽を実際に耳にしたことがなかったという(ホントかよ?)。で、たまたまこの『ゴージャス』のデモ・トラックを何曲か耳にして、それまで嫌いなタイプの音楽だと思っていた808のエレクトロニック・ミュージックが、実はとてもいいものだということに気づいたんだそうだ。808のメンバーも、イアンの声に魅力を感じていたということで、両者のコラボレーションが実現したのである。その結果はお聴きのとおり。マイナー・キーの哀愁を帯びたバック・トラックに、マックのエモーショナルなヴォーカルはきわめてしっくりとはまっているのがわかるはずだ。そういえばグレアムが「マックは今、KLFのビル・ドラモンドと何かやっているみたいだよ」と語っていたが次のマックのアルバムは全篇ダンス・サウンドになったりして、ね。
ゲスト・ヴォーカリストとしてはもうひとり、6曲目の「EUROPA」で浮遊感覚あふれる声を聴かせるキャロライン・シーマンにも触れておこう。彼女は4ADレーベルのオーナー、アイヴォ・ワッツ・ラッセルのプロジェクトであるディス・モータル・コイルのセカンド・アルバム「銀細工とシャドー」('87年)で、ワイヤーの「アローン」や、オリジナルの「レッド・レイン」で美しいヴォーカルを聴かせていた女性シンガーである。808ステイトがベルギーでフォト・セッションを行った時のカメラマンのガールフレンドが彼女で、その時メンバーは彼女のテープを受けとった。後になってそれを聴いて、彼らはすぐに彼女に電話したんだそうである。808ステイトは彼女の声にほれ込んでいて、今後また共作の可能性もあるらしい。
アルバムからの2枚目のシングルでもある5曲目の「ワン・イン・テン」は、バーミンガムのインターナショナル・レゲエ・グループ、UB40の初期のヒット・ナンバー(UKチャート7位)の808ヴァージョンである。この意外なアイディアは、ダレン・パーティントンの作ったドライヴ用のテープに始まった。彼は古いポップ・レコードとダンスのブレイクビーツをミックスしたテープをいろいろ作ってるそうなんだけど、その中でUB40とテクノを組み合わせてみたら、けっこういいものになったから、ということらしい。この曲のベースラインがまたクセモノで、オリジナルも似ているんだけど、こうして808ステイト・ヴァージョンで聴くと、シンセ・ベースがもうモロにクラフトワークのモデル(アルバム「人間解体」に収録)のそれなんだよね。
そして、この『ゴージャス』の中でも、おそらくマニアの話題を一手に集めそうなのが3曲目「CONTRIQUE」。わかる人にはわかるこのベースライン。そう、これはマンチェスターの誇るカルト(?)バンド、ジョイ・ディヴィジョンの「シーズ・ロスト・コントロール」(アルバム「アンノウン・プレジヤース」に収録)のベースラインなんだ!!
「これは僕のアイディア。ダンス・レコードにすごくダークなものを持ち込むというね。いい効果をもたらしたと思う。早くてエキサイティングなムードの曲の中に、いきなりジョイ・ディヴィジョンが出てくるなんて、誰も思いもしないだろ? コントラストが効いてるし、クラシカルなムードももたらされていると思う。マンチェスターのクラブでこの曲をプレイすると、すごく盛り上がるよ。オリジナルはダンス・フロアには絶対流れないと思うけどね(笑)」
この『ゴージャス』は、テクノ・ブームに対する808ステイトからの返答であるのだろうか?
「確かに“キュービック”や“イン・ヤー・フェイス"のヒットが多くの人々をヘヴィな音楽に向かわせるきっかけを作ったことは事実だ。だが、それはいいことばかりではなかった。ここ一年くらいで、イギリスのヘヴィ・テクノは本当につまらなくなってしまった。それはほとんどロック・ミュージックといっていいようなものであり、でも僕たちが追求していたのはもっとイマジネイディヴな音楽だからね。『Ex:el』はそういったイマジネイディヴ・ミュージックのいい例さ。あの中には確かにヘヴィなテクノもあったけどそればかりじゃないだろう? しかし実際にはハードコアな方向ばかりが取り沙汰されてしまったんだ。『Ex:el』がそういったブームの火付け役となったのは確かだけど、もっと別の方向への影響だったらよかったよね。808ステイトの音楽は、よりイマジネイディヴでクリエイティヴなものだ。この『ゴージャス』は、ちまたにあふれる中身のないハードコアものへの挑戦状と受けとってもらってかまわない」(グレアム)
そう、この『ゴージャス』は、もはや一般レベルで考えられる"テクノ・アルバム”ではないのだ。確かに新しいテクノロジーはガンガン使われているし、複雑になってもいる。しかし何よりすごいのは、テクノロジーを駆使すればするほど陥りやすい罠から、808ステイトは完全に逃れていることだ。まず、このアルバムは、アッパーイケイケなムード(「10×10」「タイムボム」など)と、ゆったりとくつろいだムード(「BLACKMORPHEUS」など)がバランスよく共存することによって、モノトナスになる危険性を回避している。そしてもうひとつ、ここで聴けるエレクトロニック・ミュージックが決して“非人間的”なものではないということ。808ステイトはこれまでも、高度なテクノロジーを使いつつも、アナログ的な質感を大事にすることによって、マシーナリーになることなく暖かみのあるサウンドをクリエイトしてきた。しかるに808ステイトは、『ゴージャス』において、そのサウンドに香るような“なまめかしさ”を加えてきたのである。もうこれは“色気”といいかえてもいい。このあまりに艶っぽい音の感触は、凡百の808コピー・バンドがいくらがんばっても、絶対に追いつけない領域にまで達している。
この『ゴージャス』を聴いた後では、“エレクトロニック・ミュージックは魂や感情に欠ける”といった物言いはもはや無効である。これは、最新のテクノロジーが生み出した、'90年代のソウル・ミュージックなのだ。これが本物なのだ。もはや寄り道していることは許されない。ここにのみ、真実がある。
かくして、テクノは新たな段階へと進んだ。そのあかし、それがこの『ゴージャス』である。
[1992年9月29日(NOVEMBERREMIX) 杉田元一]
1992年12月16日水曜日
Urban Hype 「Conspiracy to Dance」
今、ロンドンのクラブ・シーンは恐ろしく複雑化している。例えば週末にクラブに行こうと思ったとしても、自分の好みにあった曲をかけてくれる店にめぐり逢えるまでに何軒もはしごして、結局それを見つけられないまま、朝になってしまうかも知れない。レイヴに行くような人達や、黒人などの間では、倍速のブレーク・ビーツとヘヴィなベースが特徴の「ラガ・テクノ」または「ブレイクビーツ・テクノ」が人気だし、わりと裕福でトレンド好きな人は、バレアリックの流れを汲む「プログレッシブ・ハウス」を聴いている。家でも聴けるようなディテールに凝ったトランシーな音は「インテリジェント・テクノ」なんて呼ばれてるし、ドイツ、ベルギーの硬質なハードコア、エネルギッシュなイタロなども健在だ。
アーバンハイプは、かなり強烈にこの辺の事情を理解しているように思う。いきなり全英トップ5にランクインし、クラブだけでなくポップスのフィールドでも話題をさらった「トリップ・トゥ・トランプトン」は、表面的には高速ブレークビーツを強調したレイヴ・チューンなのだが、音の洗練のされ方や、曲の途中でピアノのブレークが入り、曲調ががらっと変わるところなどに、ハードなだけに終始しない、彼らのしたたかなポップセンスが伺える。実は、この「トランプトン」というのはこども向けのテレビ人形劇のタイトルで、途中で出てくる変な歌は、登場人物の名前を連呼する主題歌からのサンプリングだ。この手の洒落は、イギリス人の得意とするところで、ハウス系でもFABの「サンダーバード」とか、プロディジーの「チャーリー」とか、数え出すと結構出てくる。今一番記憶に新しいところでは、スマートE'ズの「セサミストリート」が思い浮かぶが、あれは原曲をそのまま頂いてて、売らんかなの姿勢がミエミエでやな曲だった。こういう、心無い盗人達のために、アーバン・ハイプまでもが、一部の人達の間で『子供だましのカートゥーン・テクノ』とくくられてしまったのは残念なことだ。しかし、このデビューアルバムで、そんな悪評は一気にふっ飛んでしまうことだろう。今のところ、手元には10月に出たシングル「ザ・フィーリング」の音しかないのだが、これを聴く限り、「トランプトン」とは全く違う世界が展開されており、どちらかと言うと、プログレッシブ・ハウスに近い音で面白い。恐らくこれは、彼らの原盤をリリースしているフェイズ2レーベル(ロザーラなどの所属するパルス8の下部レーベル)のカラーに、より近いのではないだろうか。フェイズ2の音は、気持ちの良いハウス・ビートを主体にしながらも、あらゆる種類の音楽を取り込んで、幻想的なグループを作り出している。(最近のヒットでは、INTUITIONの“DANCE WITH ME”が素晴らしく良かった。エイベックストラックスよりリリースされているので是非聴いてみてほしい。)その他にも、幻のデビューシングルに収められていた「テクノロジー」という曲も入っているし、アンビエント・テイストの曲もあると言うことで、アーバン・ハイプのすべてが分かる決定版と呼んでも差し支えないようなアルバムになっている。
アーバンハイプは、ボビーDと、マーク・ルイスという2人のユニットだ。「トリップ・トゥ・トランプトン」のビデオで見たことのある人も多いかと思うが、SFチックな衣裳に身を包み、いかれた痙攣ダンスをする彼らの姿は、テクノ狂以外の何者でもない。実際、「トランプトン」のスリーブには、尊敬の念を示すとして、シェイズ・オブ・リズム、GTO、ベルトラム、リアクト2リズム、などの名前が挙げられている。いずれも現在のテクノ・シーンをリードしているアーティスト達だが、この顔触れには、彼らの音を匂わせるところが少なからずあるので、「ウ~ン、そうか」とうなずける人も結構いるんじゃないかな。特に、シェイズ・オブ・リズムという名前には注目すべきだ。彼らは、N-JOY、シェイメンなどと並んで、ライブを重視するテクノ系アーティスト達の間では神格化された存在なのだ。ということは、やはりアーバン・ハイプも、ライブに力を入れているということだろう。資料によれば、アーバン・ハイプは、「トランプトン」がヒットする前から既に、レインダンスやアムネシアといったレイヴを始めとして、イギリス中のクラブ/レイヴをツアーして回っていたらしい。以前は、テクノはライブ出来ない、またはやっても意味が無い、みたいな事が半ば常識的に言われていたが、今や、それは覆され、第一線で活躍するアーティストの大半がライブを精力的に行なっている。逆に言えば、ライブもできず、自己完結してしまっているような奴にはヒットする曲は作れないってことかも。プロディジーだって、ユタ・セインツだって、プラガ・カーンだって、ALTERN 8だって、アンダーグラウンド・レジスタンスだって…世界中の未来派電子音楽作家達は、既にDJの叩き出す永遠の反復ビートに天国状態になっているダンサー達を、自分達の曲で更なる高みに連れていこうと、日夜クラブやレイヴのステージで戦っているのだ。アーバン・ハイプのステージは、見たことが無いのでどんなものなのか分からないが、「トリップ・トゥ・トランプトン」の麻薬のようなリズムが精製された現場であることは、間違いないだろう。
いずれにしても、彼らが今後日本でも大きくなっていくのは、ほぼ確信できる。このCDを手に取ったとき、あなた自身も半信半疑だったとしても、今は、自分の選択眼に自信を持っていいと思う。まだまだ、この手の音を大音量でかけてくれるクラブが日本には少ないのが残念だが、アーバン・ハイプの作り出すめくるめくビートに腰を思いっ切り揺らして、その快感にレイヴの匂いを感じて欲しい。そのうち、生の彼らを見られる日もやって来るかも知れないぞ!
(KEN=GO→)
L.A.スタイル「THE ALBUM」
L.A.スタイルはディスコの救世主である。
DJにとっても、ディスコ・フリークにとっても‥‥。
(1991年初め、ディスコは死んでいた)
1980年代中盤までは日本のディスコは
独自の音楽センスで作り上げられていた。
ロックあり、ソウルあり、ポップスありと、
一般の人達の理解できる範囲内でダンス・シーンを作り上げていたのである。
ところが1980年代も中盤を過ぎると、
海外からの情報や12inchレコードが容易に手に入る様になり、
DJ達は特殊な知識を頭に入れながらプレイをする様になる。
DJとしての地位を確立する為にある者はマイナーな音源に走り、
ある者はニューヨークやロンドンのヒット・チャートを
羅列するだけの選曲をしてみたりと、
前提条件(客層、時間、空気)を無視する事が増えていったのである。
もっともそこに拍車をかける様に、雑誌や放送媒体では
RAPやハウスを「今は、この時代」なんて紹介するので、
小心者のDJ達(もっとも僕も足を入れてしまった口だが)は
あたかも自分が世界のダンス・ミュージックの先端を走っていると思い込み、
ダンス・フリーク達の二ーズとかけ離れ始めたのであった。
90年を迎える頃になると俗に言う常連客達も
「やっぱ、今はハウスよね!!」なんて事を言い出したのだから、
ますます店はアングラの方向に進まざるを得ないのだが、
ドラッグや泥酔のない日本のディスコに受け入れられるパワーは乏しく、
DJとディスコ・フリーク達はお互いに「何か必要なのか!?亅が解っていながら
啀み合いの時を過ごしていたのだ。
そんな時、ディスコに於ける暗雲を断つ様に
デス・テクノ~L.A.スタイル~が登場したのである。
(L.A.スタイルとディスコの再燃)
L.A.スタイル。
オランダ人のミュージシャン&プロデューサーのデンジル・スレミングと
MC(ラップ)のスタンリー・フートのユニット。
仕事でスレミングがロスアンゼルス(L.A.)に行った時、
ナイト・クラブで酔った男が「ジェームズ・ブラウン・イズ・デッド!!」と
繰り返し叫んでいた事にショックを受け、
名作「ジェームズ・ブラウン…」を作った話はあまりにも有名。
とにもかくにも今のディスコにLAスタイルが作った功績は大きい。
それはダンス・フロアーで現在狂気乱舞されているヒット曲のベースは
「ジェームズ・ブラウン…」であるし、DJはダンス・フリークのニーズを
新しいジャンル(デス・テクノ~L.A.スタイル~)で提供できた事もそうだ。
「もしこの曲が日本に紹介されていなかったら、今ディスコは?」
なんて考えると身の毛がよ立つ思いに駆られる。
そしてこのデンジル・スレミング(L.A.スタイル)という男、
これからも常にとんでも無い事を考え出して、
世界にショックを与え続けるのだろうな。
1992年10月25日日曜日
オーパスIII・フィーチャリング・カースティ 「イッツ・ア・ファイン・デイ」
「イッツ・ア・ファイン・デイ」は一聴して迷わず買ったシングルだった。オーパスIIIというプロジェクト名は初めてみる名前だったけれど、美しく透明なヴォーカリゼーションとバックのテクノ・サウンドが妙にマッチしていて、その何とも形容しがたい魅力に一発で惹かれてしまったのである。
原曲が1983年にチェリー・レッド・レコードからリリースされたジェーンの歌うアカペラの、日本ではCFにも使われたあれだということはすぐにわかった。が、1992年のヴァージョンは原曲のような、精神と自然との普遍的な情景をアコースティック・サウンドで創出しようとしたチェリー・レッドならではのスタティックな響きとは大いに位相を異にしたものである。1992年のヴァージョンにはダイナミズムがあった。快楽的な味わいがあった。
オーパスIIIの話に入る前にこのプロジェクトを裏で支える380レコードというプロダクションについて触れておきたい。ここの中心人物がピート・ウォーターマンだということを言えば、多くのダンス・ミュージック・ファンはピンと来るであろう。ウォーターマンはマイク・ストック、マット・エイトケンとともにプロデューサー・チームを組み、80年代のダンス・カルチャーをメジャーな場で先導していった代表的な人物である。このライナーを書いている今、最新号(92年9月号)の英『FACE』誌をパラパラとめくっていたら、たまたまディスコ文化に関する記事に出くわし、そこには80年代の重要なダンス・クリエイターとしてマドンナ、ペット・ショップ・ボーイズ、イエローらに混じって、ストック/エイトケン/ウォーターマンの名が記されていた。「ストック/エイトケン/ウォーターマン、ディスコ・マシーンの彼らはディスコを活性化し続ける・・・」
ハウスやテクノによって日本でもダンス・ミュージックが注目されているが、そのムーヴメントは80年代の終りに始まったことでは決してない。すでに70年代の終りから、ポピュラー・ミュージックはダンスへと向かっていった。パンク熱が冷えた70年代の終りから80年代初頭にかけて、たとえばロンドンの街を席巻したのはニュー・ロマンティックスと呼ばれた人達だった。デビッド・ボウイやロキシー・ミュージックなどの流れを継承する彼らは、目一杯着飾っては夜な夜なクラブ遊びをして、ダンス・ミュージックを楽しんだ。これが後に英国のジャーナリズムに「ナイト・クラビング」と呼ばれるライフスタイルの原形を作っていったわけだ。
ナイト・クラビング・カルチャーは、ハイエナジーやユーロビートを支持し、一方ウエスト・エンドではレア・グルーヴなどソウルリヴァイヴァルをも促していった(ちなみにハイエナジーの中心的クラブ<ヘヴン>は後のアシッド・ムーブメントでも重要な働きをした)。こうした状況からレイヴァー(RAVER)が出現してくるわけだが、このナイト・クラビング・カルチャーをメジャーで展開したもののひとつが、かのバナナラマであった。そして、バナナラマのメジャー大ヒットを仕掛けたのがストック/エイトケン/ウォーターマンなのである。ナイト・クラビングのロマンスを、この3人はメジャー・シーンで表現することに成功したのだった。
話は少しそれるが、ハウス・ミュージックをロンドンで真っ先に支持したのがニュー・ロマンティックス(ハイ・エナジー)の連中で、また、イビサ島へ赴き遊び惚けて、最初にバレアリック・ビートの虜になったのも彼らだった。この流れと、ウエスト・エンドから来るソウル・ウィークエンダーズ(レア・グルーヴ)の熱狂、それからデトロイトからのテクノなどが入り交じって、88年英国のダンス・ミュージック爆発の通称セカンドサマー・オブ・ラヴは用意されたのである。
ストック/エイトケン/ウォーターマンは87年からP.W.L.プロダクションを設立する。そしてカイリー・ミノーグやジェイソン・ドノヴァンなどを見出しそれらは見事に大ヒット、P.W.L.はダンス・ミュージックのプロフェッショナルとして不動の地位を築いてしまったのである。
ちなみに、今年になって解散してしまったThe KLFのジミー・コーティが現在ブルー・パールのユースと80年代半ばに組んでいたディスコ・バンドのブリリアントはWEA在籍時のアルバムで、やはり当時WEAでA&Rをやっていたビル・ドラモンドの計らいから、プロデュースをストック/エイトケン/ウォーターマンに依頼している。ところが、それなりに売れたこのアルバムはしかし3人に払ったプロデューサー料より売り上げが低かったために、結局ブリリアントは長く続かなかったわけである。まあ、それでもビルドラモンドはインタビューでストック/エイトケン/ウォーターマンのことを高く評価していたのだから、この3人の存在はよほど大きなものなのだろう。
さて、オーパスIIIである。ダンス・ミュージックのプロフェッショナル、ピート・ウォーターマンを中心にした380レコードが92年に放った注目の新人である。これは注目するに相応しい新しい才能であろう。それではオーパスIIIのメンバーを紹介する。
まずもっとも注目すべきはヴォーカリストのカースティ。ジャケットに映っている彼女の容姿はなるほど今までに出会ったことのない雰囲気を漂わせている。その彼女をバックアップしているのがイアン・マンロウ、ナイジェル・ウォルトン、ケヴィン・ドッズ。
「イッツ・ア・ファイン・デイ」はもともとはこの3人で、原曲に打ち込みを加えたものとしてプレイしていた。が、それならいっそヴォーカリストを入れてカヴァーとして演った方がいいということでカースティをスカウト、オーパスIIIが生まれた。ところで、カースティとの出会いのエピソードが面白くて、3人のメンバーがロンドンの北、ハートフォード州の森で、小鳥の声をサンプリングしている時にハーブを摘みに来ていたカースティと偶然出会ったというのだ。カースティは作曲家のアラン・ホークショウの娘で、少女の頃からクラシックの教育を受けていたそうだ。父アランの名は今作でもコンポーザーとして記されている。
デビュー・シングル「イッツ・ア・ファイン・デイ」は見事にナショナルチャートの一位に輝いた。僕は冒頭に、この原曲をリリースしたチェリー・レッドを「精神と自然との普遍的な情景をアコースティック・サウンドで創出しようとした」と形容したけれど、91年のオーパスIIIのカヴァー・シングルは、繰り返すようだが、そこに躍動感が加わった。躍動感はウォーターマンらがダンス・カルチャーのなかで獲得したものだろうと僕は考えている。大袈裟かもしれないけれど、自然の霊性を満喫すること、体をリズムにのせること、この両者はある意味で非常に近しい行為なのかもしれない。
セカンド・シングルの「風に語りて」はキング・クリムゾンのファースト・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』2曲目に収録されたものだが、原曲の厭世的で文学的な部分が、それをダンスビートにのせることで、よりスマートに表現できている。原曲の厭世的な雰囲気よりも、うたのモチーフになっている「風」の部分が突出してて清らかでさえあると思う。
だいたい曲名がいい。「スターズ・イン・マイ・ポケット」「シー・ピープル」「エヴォリューション・ラッシュ」・・・・・・。80年代初頭のチェリー・レッドにはその後エヴリシング・バット・ザ・ガールで成功するトレーシー・ソーンがいたわけだが、今回デビューしたカースティは乱暴な言い方かもしれないけれど、当時のチェリー・レッド周辺(トレーシー・ソーン、モノクローム・セット、フェルト、ベン・ワット、ファイヴ・オア・シックス等々)が指標した詩情を、この1992年のサウンドで表現しようとする存在ではないのか。チェリー・レッドは先に述べたニュー・ロマンティックスとは交わらぬ、ある種の精神宇宙を獲得しようとする動きであった。ジェーンの「イッツ・ア・ファイン・デイ」はアカペラであるがゆえに女性のもつ神秘性と自然観を表現できた。それはナイト・クラビング・カルチャーとは無縁であろうとする意志でもあった。が、ナイト・クラビング・カルチャーは80年代の終りからニュー・エイジ思想と交わり、やがてアンビエント・ハウスなる音楽まで創出してしまう。ナイト・クラビングの側から自然をテーマにした音楽が生まれてしまったのである。オーパスIIIはそれをさらに明確な形で表した。オーパスIIIは対角線上に位置していたナイト・クラビング・カルチャーとニュー・アコースティック・ムーヴメントの、その両者を結ぶ存在のような気がする。カースティは隣の女の子ではなく、どう見ても森のフェアリー(妖精)である。しかもこの妖精は舞う妖精だ。過去のウォーターマンが手がけたアーティストにはこういうキャラクターはいなかった。
僕が「イッツ・ア・ファイン・デイ」を迷わず買った理由はそういうことである。
野田努
1992年10月21日水曜日
The Prodigy 「エクスペリエンス」
VARIOUS「XL RECORDINGS THE SECOND CHAPTER」
ハードコア・テクノの輝ける金字塔。
全てはこのアルバムから始まった!
ハードコア・テクノのマスター・ピースを一枚、紹介しよう。
「XL RECORDINGS THE SECOND CHAPTER」。
サブタイトルは「HARDCORE EUROPEAN DANCE MUSIC」、である。
今や一時期のユーロ・ビートをも凌ぐ程の
一大ムーブメントとなっている新種のダンス・ミュージックとして、
ハードコア・テクノは今、最も注目されている音楽ジャンルと言える。
この現象はハードコア・テクノ発祥の地、
ベルギーやイタリア、オランダ等のヨーロッパの国々はもとより、
レイヴ・パーティーでハードコア・テクノを盛り上げたイギリス、
そしてこの日本でもジュリアナTOKYOの圧倒的な集客力と、
ハードコア・テクノの魅力を早くから理解し、プレイし続け、
毎夜何千人もの人々を狂わせているD.J.ジョン・ロビンソンらの力によって、
L.A.スタイル、T99、2アンリミテッドら、
ハードコア・テクノのアルバムが世界一売れる国となったのである。
そして今やアメリカでも白人を中心としたクラバー達の間で
ハードコア・テクノが流行りつつ有り、
メジャー、マイナー共テクノのコンピレーションが数多くリリースされている、
といった具合に正に全世界的に猛威を奮っているという現状なのである。
さて、そんな中でそもそも何かキッカケで始まったのかというと、
そんな質問が有る時必ず、真っ先に紹介しているのがこのアルバム、
そう、つまりあなたか今手にしている
「XL RECORDINGS THE SECOND CHAPTER」なのである。
昨年9月にリリースされて以来
現在まで今だに、売れ続けているというモンスターアルバムで、
この日本盤のリリースにより、
これまで以上に多くの人々に楽しんでもらう事が出来る事と、確信している。
このXLレコーディングスのオムニバスのシリーズは、
90年の「THE FIRST CHAPTER」、
91年のこの「THE SECOND CHAPTER」、
同91年の「THE THIRD CHAPTER」と、
これまで3枚のシリーズか出ているので、
これからハードコア・テクノを窮めてみようという方は是非、
他の2枚にもトライしてみていただきたい。
尚、今年中には第4弾が、
そしてエイベックス・トラックスからは何やら又々凄い企画が有るらしい。
一体ハードコア・テクノは、これからどんな展開を見せるのだろう?
全くもって目の離せない状況である。
この「THE SECOND CHAPTER」、一体どこがそんなに凄いのだろう。
先ずは曲目と照らし合せて、その魅力を探っていってみよう。
●T99
イントロが始まって数秒後に飛び出すヒステリックなサンプルド・ボイスのリフ。
最早ハードコア・テクノのテーマと言ってもいいだろう。
この気違いじみた曲目当てにこのアルバムを探し回る人も多かった。
XLでは19番目のシングルとしてカットされた。
●CHANNEL X
デトロイト・テクノを白人流に解釈するとこうなる。
リズムに限って言えば、デトロイト・テクノそのものである。
●HOLY NOISE
ハードコア・テクノのもう一つのマスター・ピース、
L.A.スタイルの"JAMES BROWN IS DEAD"のアンサー・ソング、
"JAMES BROWN IS STILL A凵VE"の大ヒット曲で知られる彼らは、
同曲収録のアルバムもリリースしている。
これまた相当アブストラクト・クレイジーだ。
●JOHN + JULIE
今後新曲も続々とリリースされる予定の有る彼ら、大ブレイクも時間の問題だろう。
ブードゥーの呪いにも似た、何とも不気味な曲。XL23番目のシングル。
●SET UP SYSTEM、EXTERNAL GROUP、
「SET UP SYSTEM」は、XL22番目のシングル、
このフレーズもハードコア・テクノ定番中の定番である。
「EXTERNAL GROUP」を聞いて、
シカゴ・ハウスのタイリーを思い浮かべたあなたは、かなりのハウス通。
シカゴ・ハウスからUK産ブリープ物へと続く歴史の様な物が見えてくハズだ。
しかし、良く勉強しているヤツらだ。
●CUBIC 22
この曲も、このアルバムの目玉のーつ。
これ又ハードコア・テクノのテーマ曲である。
途中で狂人が見せる極めてまともな顔の様な美しいストリングと
センチメンタルなメロディーラインも、よけいにこの曲の異常さを際立たせている。
それにしてもこの曲の“PARTY TIME!”には
いつも体を突き動かされる。XL20番目のシングル。
●DIGITAL BOY、FREQUENCY
2曲ともダンスフロアでの評判もすこぶる良い曲。
特に「DIGITAL BOY」のアッパーさはどうだ!
●THE PRODIGY
XLがこの秋から最もプッシュするのが、この「PRODIGY」。
何というか、もしサイバー・パンクの子供向けアニメみたいな物が有るとしたら、
こんなBGMになるのではないだろうか。
ループしたブレイクビーツの使用法に、XLのその後の流れが見て取れる。
何とも可愛くて変わっている曲だ。XL21番目のシングル。
●INCUBUS
これも「PRODIGY」タイプのゲーム・ミュージック的な曲。
子供の頭の中の音である。
●PRAGAKHAN
一時期ブリープ・ハウスとして紹介された音の流れを汲む正に"RAVE SOUND"である。
この曲でパーティーはクライマックスへと続く。
以上でこの「XL RECORDINGS THE SECOND CHAPTER」は幕を閉じる。
いかがだろうか?
この爆発的人気を得ている新しいダンス・ミュージックの魅力に
十分に満足していただけただろうか。
とはいえ、スタイルの移り変わりの早いこの手のサウンドは、
早くも新しい展開を見せている。
このシリーズをチェックし終わっても
まだまだ楽しんでみるべきポイントも数多く残っているのだ。
安心してはいられない。僕も皆さんといっしょに精進して行きたいと思っている。
又、このハードコア・テクノが生まれた背景等については、
このエイペックス・トラックスの「SUPER CLUB GROOVIN' VOL.7」で触れているので
興味の有る方はそちらも読んでみたらいかがだろう。
1992年8月1日土曜日
T-99「マキシマイザー/アナスタシア」
T-99は1988年、スタジオ・プロジェクトとして生まれた。
ベルギーのインディペンデント・レーベルのプロデューサーで、テクノトロニックやクアドロフォニアという世界的大スターを育て、影で仕掛けた男、パトリック・デ・マイヤーが自らのプロジェクトとしてはじめたのである。その当時、ヨーロッパで流行の兆しを見せていたニュー・ビートやロンドン発ハウス・サウンドの影響を大きく受けたファースト・シングル「Invisible Sensuality」は、アンダーグラウンドのハウス・シーンでは絶賛をあびるが、チャートでは不発に終わる。
その後、「Slidy」、「Too Nice To Be Real」といったシングルをリリースするがいずれもインターナショナルなチャートでは成功におよばず、アンダーグラウンド・ヒットに終わる。しかし日本を含めた"早い物好き”のクラプDJやテクノ/パンク・ファンには、T-99の名前はすでにビッグ・ネームになりつつあった。
そのT-99に大きな変化がおとずれたのは、クアドロフォニアのメンバーで、プログラマーであり、そしてコンピューター・キッズであったオリバー・アベルースがプロジェクトに参加してからである。昔のホラー映画のサントラや古いアナログのシンセなどが好きで、趣味はコンピューターであると言い切る、根っからのテクノ・オタク=オリバーは、ニュー・ビート全盛時代のベルギーのクラブでDJもこなしていたという変態人間である。
彼ら2人のプロジェクトとして再出発した初めてのシングルが、なんとあの「アナスタシア」であった。オリバーが自ら理想の女性の名前を冠したというこのシングルは、テクノ、ハウス、ニュー・ビートなどすべてのダンス・ミュージックの影響を受け、なおかつ、脳に直接刺激を送るような爆発的サウンドで、まずDJ連の圧倒的支持を得、クラブ・フリークの人気をあつめるようになっていった。
1991年初頭にまずベルギーで発売され、爆発的に大ヒットを記録。その後ヨーロッパ各地のチャートを制圧したのち、イギリスに上陸。イギリス各地のレイヴ・パーティなどで圧倒的な支持を得て、ついにはナショナル・チャートの14位に初登場。ラッパー、ゼノンと3人のヴォーギング・ガールズというライヴ用T-99がイギリスでショウ・ケースを行なううちにシングル盤はあれよあれよと上昇を続け、ついにナショナル・チャート第2位を記録する大ヒット曲となってしまったのである。
この大ヒットに刺激されたフォロワー達が無数に現れてきたのは、いかにこの「アナスタシア」という曲のインパクトが強かったかということを物語るものだと言える。キュービック22、LAスタイル、2アンリミテッドなどいまだにチャートに現れては消えるテクノ・ミュージックの発火点はこの「アナスタシア」であったのだ。
前述の“ライヴ用T-99”はその後、スペイン、イビサ、ドイツ、フランス、ベルギーなどをツアー。パワーあふれるゼノンのラップと世にも奇怪な姿をしたヴォーガー達がくりひろげる謎のステージは、T-99の音楽そのもの、脳みそぐちゃぐちゃステージである。そのステージの評判と共に、T-99は各国でスーパー・スターとなっていった。その後ステージ用バンドは“レベッカ”というヴォーカリストを加え、アメリカにも上陸。アメリカ・コロンビアというメジャー・レーベルからのリリースも決定し、ますます活動を加速させている。
おなじ頃、アメリカや日本のクラブ/ディスコ・シーンでも、長い間なかったディスコだけのヒット・ソングとして熱狂的に迎えられ、昨年ダンス・フロアーNO.1のヒット・シングルとなった。現在、日本全国の主なディスコで、ここ一番の盛り上がりの時に必ずかかる曲、かければ必ず盛り上がる曲、それが「アナスタシア」であり、T-99である。
(unknown)
1992年7月21日火曜日
X-102 「リングス・オブ・サタン」
アンダーグランド・レジスタンス(以下、U.R.)の日本でのリリース第2作目にあたるこのX-102は、第1作X-101に続き、彼ら自身がX-プロジェクトと名付けるプロジェクトの第2作目だ。U.R.はデトロイトを拠点に活動するレコーディング・ユニットで、メンバーはマイケル・バンクスとジェフ・ミルズの二人。U.R.についてふれる前に、彼らの成立基盤を形成したデトロイトのインディペンデント・レーベルについてざっと振り返ってみよう。
デトロイト・テクノは、1986年にインディペンデント・レーベル、『TRANSMAT』が第1作“X-RAY"をリリースしたことをきっかけに、シカゴ、ニュー・ヨーク等のおなじくハウス系インディペンデント・レーベルの乱立と相乗して成立していく。そうしたインディペンデント・レーベルは、クラブDJによって使用される、ブラックあるいはホワト・スリーブと呼ばれる無地ジャケット12インチ・ディスクのリリースを目的に設立されている。注目すべき点は、それらのレーベルが、従来のマスプロダクツによるレコード生産および流通からは切り離されたシステムの上に成立し勢力を拡大していった点だ。デトロイトの主なレーベルを挙げてみると、まずデリック・メイとジュアン・アトキンスの二人のDJ・リミキサーを中心に、幻想的な、あるいは攻撃的なシンセサイザー・サウンドをアナログリズムマシンのビートとともにミキシングするデトロイト・サウンドを確立したTRANSMAT。デトロイト・テクノがメジャー・マーケットにとりざたされるきっかけとなった、ケヴィン"マスターリーズ"サウンダーソンの自己レーベル『KMS』。ケビィン・サウンダーソンはパリス・グレイと組んだユニット、インナーシティが有名だけれど、REEZE名義でのシングルリリースをインナーシティと平行して行っている。KMSは彼の他にも、MK、シンボル&インストゥルメンツといったリミキサーたちのシングルをはじめ、数多くの12インチをリリースしている。さらに、TRANSMATがディストリビュートし、デリック・メイとの競作も多いカール・クレイグを中心に活動するレーベル『FRAGILE』。ケニー・ラーキンの『PLUS8』、カール・グレイグやMKも参加している『RETOROACTIVE』。デトロイト・アンビエントの代表格OCTAVE ONEが参加する『430WEST』など……彼らとそのレーベルは現れては消え復活し、インディペンデントにふさわしい流動的な戦略で(金が原因だろうけど)活動している。
そうしたさなかに現れてきたのがURなのだが、そこにはデトロイトを統合したような音楽性を聴くことができた。リリースは遅かったがなぜかUR001のナンバリングを持つ、女性ヴォーカル、ヨランダをフィーチャーした“Your time is up"の、まさにシンナーシティそのものシンコペーションできまるストリングス・シンセから、ダブル12インチ"RIOT"ハードコア、SONIC EP“ORBIT"のメイ&ジュアン以上にメイ&ジュアン的(?)なサウンドといった具合いに。レーベル自体がまさか2人組のユニットだとは当初は誰も思わなかった。
現在進行形のムーヴメントに対して多くを語ることはできないけれども、僕らはベールに包まれていたU.R.=マイケル・バンクス&ジェフ・ミルズにFAXを送った。かなり長いタイプ原稿が送られてきたので、できるだけ脚色をつけず、この場をかりて掲載させていただく。
Q1.
U.R.にとって、デトロイトとはどういった都市ですか。
A1.
まず、インタビューに答えるのが遅れたことをお詫びしなくてはならない。そして、君が我々に興味を持ってくれたこと、しかもデトロイトで生まれ育った黒人から見た“本当のアメリカ”を日本人に説明できる機会が与えられたことは名誉なことだ、と言っておこう。
デトロイトの人口の80パーセントは黒人であり、ドラッグやさまざまな犯罪、暴力、人種差別=爆撃、といった問題を抱えている。そう! 慢性失業も忘れることはできない。街の地政図を見れば、郊外には巨大な白人居住区があり、そこに住んでいるのは単なる人種的偏見から市街を見捨てて出て行った人々なのだ。彼らは黒人の隣には決して住まないし、絶対にそのつもりはないのだ。市街地と郊外には目に見えない境界線が引かれている。もし黒人がこのボーダーラインを越えれば、警察権力に迫害を受けることになる。――ロドニィ・キングがロス警察から袋叩きにされたことと同じだ。――我々の間では誰もが知っている、“D.M.Z.ボーダー”というその長さ8マイルの道路を未だに横切ったことの無い奴もいるくらいなのだから。市街地には脱出を試みようとする野心を無くした人々がざらにいる。彼らの無気力状態は、動物園の動物が艦が開いているのに逃げようとしないのと変わらない。そうした中で逃走をもくろむ一握りの黒人は、たいてい軍への入隊や、スポーツ、音楽、そして死といった手段で脱出を図ることになる。湾岸戦争の"砂漠の嵐”作戦の間、世界中の人々が多くの黒人兵を目にしたこともこれが原因だ。連中はアメリカという現実の戦争地帯から逃げだそうとしているのだから!!
君たちは、なぜ他の移民と同様に“アメリカン・ドリーム”に便乗しないのかと問うことだろう。そう、君たちはこの200年あまりのことをざっと理解する必要があるだろうね。黒人は働き続け、他の人々の“自由”と“夢”のために死んでいったのだから。そのあいだ彼らは人間とさえ思われてなかったのだ。
そのあげく、我々の夢と希望は他の移民達とは全く違った場所に向けられることになる。他の移民の夢は、とにかく豊かになって家族に安定した将来をもたらすことにあったが、我々の目指すものははるかに単純で、はるかに意味のあることだ。それは“自由”なのだ。
君たちに理解してもらいたいのは、我々黒人はそういった逆境を乗り越え、何とか自分達の職業を確保し(少なくとも君たちが想像し得るような)プロフェッショナルを生みだしてきた、というとこだ。
我々は、この国で戦争が起こるたびに戦場に駆り出されてきたにも関わらず、今だにアメリカ人として認められていない。――ロドニィ・キングをめぐる状況は我々の置かれた状況が何も変化していないことを再確認する不快な事件だった――我々はいまだに自由ではなく、しかも自国の言葉や習慣、伝統も何もかも全く知らないのだ。君たち自身が伝統のない日本を想像してみてくれ!
そんなデトロイトの未来をイメージできるかい?
カゴの中のネズミと同じく、捕まえられた人間に埋めつくされた一大中心街――そこでは強駅な精神力と肉体、生存への意志を持たないものは死を選ぶか、衰退(DECAY)によって消費し尽くされるしか無いのだ!!
Q2.
デトロイト・テクノについて説明してください。
A2.
つまり、デトロイト・テクノは“衰退(DECAY)”から派生した音楽だ。人々は希望さえ持てないほどひどい状況に置かれ、なんとか順応して生きながらも、ついに逆境を乗り越えようとやっきになり始めた。最近のこのような“突然変異”としてマイク・タイソンはその代表的な例だし、パブリック・エネネーも、我々U.R.も然り、我々は皆ミュータントなのだ。デトロイト・テクノは人間とその環境が生みだした“突然変異”であり、人間とそのイマジネーション、そして機械がいかにして地獄から抜け出せるかという実験なのだ@
Q3.
U.R.にとってハウス・ミュージックとはなんですか。
A3.
ハウス・ミュージックはシカゴから派生したものだ。シカゴの状況はデトロイトと酷似している。ハウスは平和、希望、愛といったポジティブな意味での逃走に焦点をあてているが、それは平和を維持するためには不可欠な要素だと思う。我々はこのような夢のある人達に、心から敬意を抱いている。なぜなら“夢”がなければ何も始まらないからだ。
Q4.
U.R.は、ガラージ、アシッド、ディープといった様々なスタイルで音楽を制作していますが、U.R.にとって音楽スタイルとはどういうものなのでしょうか。
A4.
我々は音楽スタイルではなく、エネルギーとトーン(一般的に言う楽音、音素)とに分けて考えている。異なる楽音は異なるエネルギーを表す、というわけだ。もしジェフや私が、ポジティブなエネルギー、自らの精神から生まれる愛情を持つアーティストをプロデュースする場合、我々の考え(MIND)と機材を活用してその感情エネルギーを可聴範囲内でヴィジュアライズしようと務めるだろう。もしそのアーティストが、違った視点をもつとき――Tte VisionやU.R.のようにフラストレーション、怒り、実験精神ect.――はそれにふさわしいサウンドを探査しつつトラックにいれていくことになるだろう。
Q5.
ジェフとマイケルの役割分担を教えてください。
A5.
U.R.+Tte VisionがX-プロジェクトで共同作業するとき、我々はMind Projecticon(精神投射)を実践し、様々な場所に移動する。非物質世界に自己をオトし、我々だけが知っているトーン(音素)を使って精神の中で自己を移送するのだ。我々が単一ユニットとして一体化(身体+特神)し、共同トリップした結果が音楽となるわけだ。
Q6.
X-101とX-102はU.R.サウンドにおいてどういったポジションに位置するのですか。A6.
X-プロジェクトのすべては実験的なもので、リスナーの想像力を刺激するように設計されている。その結果、人類の未来への前進が可能になり、宇宙体系への直観力が研ぎ澄まされることになる。
Q7.
未来に向けて音楽はどのように発展すると思いますか。
A7.
バイオテクノロジーの発展により、人類は現時点では可聴域外にある周波数の音を聴くことができるようになり、3D映像に対しても高解像度の視力を持つことが可能になるだろう。さらにホログラフィがタッチレスポンスを持つ可能性もある。そういったテクノロジーがAV製品の生産につながり、それによって音楽は前進をとげる。未来を指向するミュージシャンは常に現在より一歩進んだ音楽を創り出す。今我々がやっているように。
Q8.
フェイリバリット・アーティストを教えてください。
A8.
地球上にはフェイバリット・アーティストは存在しない。
Q9.
現在、最も興味をもっていることは何ですか。
A9.
明日を見届けるためのサヴァイバル。
Q10.
今後のスケジュール、また音楽戦略について教えてください。
A10.
我々のスケジュールは散発性のもので、制御不能であり生命のようにまったく予測のつかないものだ。我々の戦略に狂いはない。ひとつのムーヴメントに向けて照準を合わせており、その運動は未来を指向している。
インタビュー構成 / 中島浩 訳/大坪弘人 remix,AUTOBAHN,LTD.





