1992年10月25日日曜日

オーパスIII・フィーチャリング・カースティ 「イッツ・ア・ファイン・デイ」

 

 「イッツ・ア・ファイン・デイ」は一聴して迷わず買ったシングルだった。オーパスIIIというプロジェクト名は初めてみる名前だったけれど、美しく透明なヴォーカリゼーションとバックのテクノ・サウンドが妙にマッチしていて、その何とも形容しがたい魅力に一発で惹かれてしまったのである。

 原曲が1983年にチェリー・レッド・レコードからリリースされたジェーンの歌うアカペラの、日本ではCFにも使われたあれだということはすぐにわかった。が、1992年のヴァージョンは原曲のような、精神と自然との普遍的な情景をアコースティック・サウンドで創出しようとしたチェリー・レッドならではのスタティックな響きとは大いに位相を異にしたものである。1992年のヴァージョンにはダイナミズムがあった。快楽的な味わいがあった。

 オーパスIIIの話に入る前にこのプロジェクトを裏で支える380レコードというプロダクションについて触れておきたい。ここの中心人物がピート・ウォーターマンだということを言えば、多くのダンス・ミュージック・ファンはピンと来るであろう。ウォーターマンはマイク・ストック、マット・エイトケンとともにプロデューサー・チームを組み、80年代のダンス・カルチャーをメジャーな場で先導していった代表的な人物である。このライナーを書いている今、最新号(92年9月号)の英『FACE』誌をパラパラとめくっていたら、たまたまディスコ文化に関する記事に出くわし、そこには80年代の重要なダンス・クリエイターとしてマドンナ、ペット・ショップ・ボーイズ、イエローらに混じって、ストック/エイトケン/ウォーターマンの名が記されていた。「ストック/エイトケン/ウォーターマン、ディスコ・マシーンの彼らはディスコを活性化し続ける・・・」

 ハウスやテクノによって日本でもダンス・ミュージックが注目されているが、そのムーヴメントは80年代の終りに始まったことでは決してない。すでに70年代の終りから、ポピュラー・ミュージックはダンスへと向かっていった。パンク熱が冷えた70年代の終りから80年代初頭にかけて、たとえばロンドンの街を席巻したのはニュー・ロマンティックスと呼ばれた人達だった。デビッド・ボウイやロキシー・ミュージックなどの流れを継承する彼らは、目一杯着飾っては夜な夜なクラブ遊びをして、ダンス・ミュージックを楽しんだ。これが後に英国のジャーナリズムに「ナイト・クラビング」と呼ばれるライフスタイルの原形を作っていったわけだ。

 ナイト・クラビング・カルチャーは、ハイエナジーやユーロビートを支持し、一方ウエスト・エンドではレア・グルーヴなどソウルリヴァイヴァルをも促していった(ちなみにハイエナジーの中心的クラブ<ヘヴン>は後のアシッド・ムーブメントでも重要な働きをした)。こうした状況からレイヴァー(RAVER)が出現してくるわけだが、このナイト・クラビング・カルチャーをメジャーで展開したもののひとつが、かのバナナラマであった。そして、バナナラマのメジャー大ヒットを仕掛けたのがストック/エイトケン/ウォーターマンなのである。ナイト・クラビングのロマンスを、この3人はメジャー・シーンで表現することに成功したのだった。

 話は少しそれるが、ハウス・ミュージックをロンドンで真っ先に支持したのがニュー・ロマンティックス(ハイ・エナジー)の連中で、また、イビサ島へ赴き遊び惚けて、最初にバレアリック・ビートの虜になったのも彼らだった。この流れと、ウエスト・エンドから来るソウル・ウィークエンダーズ(レア・グルーヴ)の熱狂、それからデトロイトからのテクノなどが入り交じって、88年英国のダンス・ミュージック爆発の通称セカンドサマー・オブ・ラヴは用意されたのである。

 ストック/エイトケン/ウォーターマンは87年からP.W.L.プロダクションを設立する。そしてカイリー・ミノーグやジェイソン・ドノヴァンなどを見出しそれらは見事に大ヒット、P.W.L.はダンス・ミュージックのプロフェッショナルとして不動の地位を築いてしまったのである。

 ちなみに、今年になって解散してしまったThe KLFのジミー・コーティが現在ブルー・パールのユースと80年代半ばに組んでいたディスコ・バンドのブリリアントはWEA在籍時のアルバムで、やはり当時WEAでA&Rをやっていたビル・ドラモンドの計らいから、プロデュースをストック/エイトケン/ウォーターマンに依頼している。ところが、それなりに売れたこのアルバムはしかし3人に払ったプロデューサー料より売り上げが低かったために、結局ブリリアントは長く続かなかったわけである。まあ、それでもビルドラモンドはインタビューでストック/エイトケン/ウォーターマンのことを高く評価していたのだから、この3人の存在はよほど大きなものなのだろう。

 さて、オーパスIIIである。ダンス・ミュージックのプロフェッショナル、ピート・ウォーターマンを中心にした380レコードが92年に放った注目の新人である。これは注目するに相応しい新しい才能であろう。それではオーパスIIIのメンバーを紹介する。

 まずもっとも注目すべきはヴォーカリストのカースティ。ジャケットに映っている彼女の容姿はなるほど今までに出会ったことのない雰囲気を漂わせている。その彼女をバックアップしているのがイアン・マンロウ、ナイジェル・ウォルトン、ケヴィン・ドッズ。

 「イッツ・ア・ファイン・デイ」はもともとはこの3人で、原曲に打ち込みを加えたものとしてプレイしていた。が、それならいっそヴォーカリストを入れてカヴァーとして演った方がいいということでカースティをスカウト、オーパスIIIが生まれた。ところで、カースティとの出会いのエピソードが面白くて、3人のメンバーがロンドンの北、ハートフォード州の森で、小鳥の声をサンプリングしている時にハーブを摘みに来ていたカースティと偶然出会ったというのだ。カースティは作曲家のアラン・ホークショウの娘で、少女の頃からクラシックの教育を受けていたそうだ。父アランの名は今作でもコンポーザーとして記されている。

 デビュー・シングル「イッツ・ア・ファイン・デイ」は見事にナショナルチャートの一位に輝いた。僕は冒頭に、この原曲をリリースしたチェリー・レッドを「精神と自然との普遍的な情景をアコースティック・サウンドで創出しようとした」と形容したけれど、91年のオーパスIIIのカヴァー・シングルは、繰り返すようだが、そこに躍動感が加わった。躍動感はウォーターマンらがダンス・カルチャーのなかで獲得したものだろうと僕は考えている。大袈裟かもしれないけれど、自然の霊性を満喫すること、体をリズムにのせること、この両者はある意味で非常に近しい行為なのかもしれない。

 セカンド・シングルの「風に語りて」はキング・クリムゾンのファースト・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』2曲目に収録されたものだが、原曲の厭世的で文学的な部分が、それをダンスビートにのせることで、よりスマートに表現できている。原曲の厭世的な雰囲気よりも、うたのモチーフになっている「風」の部分が突出してて清らかでさえあると思う。

 だいたい曲名がいい。「スターズ・イン・マイ・ポケット」「シー・ピープル」「エヴォリューション・ラッシュ」・・・・・・。80年代初頭のチェリー・レッドにはその後エヴリシング・バット・ザ・ガールで成功するトレーシー・ソーンがいたわけだが、今回デビューしたカースティは乱暴な言い方かもしれないけれど、当時のチェリー・レッド周辺(トレーシー・ソーン、モノクローム・セット、フェルト、ベン・ワット、ファイヴ・オア・シックス等々)が指標した詩情を、この1992年のサウンドで表現しようとする存在ではないのか。チェリー・レッドは先に述べたニュー・ロマンティックスとは交わらぬ、ある種の精神宇宙を獲得しようとする動きであった。ジェーンの「イッツ・ア・ファイン・デイ」はアカペラであるがゆえに女性のもつ神秘性と自然観を表現できた。それはナイト・クラビング・カルチャーとは無縁であろうとする意志でもあった。が、ナイト・クラビング・カルチャーは80年代の終りからニュー・エイジ思想と交わり、やがてアンビエント・ハウスなる音楽まで創出してしまう。ナイト・クラビングの側から自然をテーマにした音楽が生まれてしまったのである。オーパスIIIはそれをさらに明確な形で表した。オーパスIIIは対角線上に位置していたナイト・クラビング・カルチャーとニュー・アコースティック・ムーヴメントの、その両者を結ぶ存在のような気がする。カースティは隣の女の子ではなく、どう見ても森のフェアリー(妖精)である。しかもこの妖精は舞う妖精だ。過去のウォーターマンが手がけたアーティストにはこういうキャラクターはいなかった。

 僕が「イッツ・ア・ファイン・デイ」を迷わず買った理由はそういうことである。

野田努


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