1991年12月21日土曜日

VARIOUS 「ハウス・サウンド・オブ・ジ・アンダーグラウンドVol.6」


  ポップスシーンの中にあって、とりわけ展開がめまぐるしく、またそのスピーディな動向がファンにはたまらないハウス・ミュージック。その移ろいやすいシーンの中でも、ハウス誕生の瞬間から現在に至るまで、常に次の動向の指標となる、云わば牽引車的リリースを続けているレーベルこそが、FFRRである。そのFFRRに集まった未知の新人を大挙フィーチャーし、ハウス界の動向を分かりやすく楽しませてくれる“これ一枚でオッケー”なコムピレイション・シリーズが、『HOUSE SOUND OF…』なのだ

 86年、ハウスの第一号ヒット「ミュージック・イズ・ザ・キー」を含む『HOUSE SOUND OF CHICAGO VOL.1』は本国イギリスは勿論、日本を含む全世界の、ダンスファン以外の人々にもハウス・ミュージックを注目させるきっかけとなった、記念碑的アルバムである。このアルバムのヒットによって、メジャー・レーベル初のトップハウスレーベルと云う確信を得たFFRRは、『同VOL.2(CHICAGO TRAX)』、『ハウス・サウンド・オブ・シカゴ・VOL.3(ACID TRACKS)』と云う怒濤のリリースを敢行。とりわけVOL.3における、当時の本拠地シカゴの、未知な部分の多かったアシッド・ハウス紹介は、またしても偉業。僕も、これでアタマばっくり開いた一人です。

 そして88年には、育ちつつあった自国のアーティストに目を向けた『ザ・ハウス・サウンド・オブ・ロンドン・VOL.4』をリリース。このアルバムからはD-MOB、サイモン・ハリス等が、頭角を現わしてくる。そして、イビザ帰りのDJ、ダニー・ラムプリングがクラブ“SHOOM!”で新たなスタイルのDJを開始。FFRRでは、ラムプリング達のかけていた、所講ユーロ・ハウスを積極的に紹介する。『HOUSE SOUND OF EUROPE VOL.5』89年秋のことだ。

 この辺りからのハウスミュージックの目まぐるしい成長ぶりについては改めて振り返るまでもないだろう。ヨーロッパからはブラック・ボックス等のポップ・ハウスや、T99に代表されるハードコアテクノが抬頭し、イギリスでもハウス、と云うよりハウスビートを用いた、キャシー・デニスやベティブ一等のダンス・ポップが、チャートの常連となった。そして本シリーズのVOL.1に収められていたシカゴ・グレイツの大部分はN・Yへ進出。メジャー・レーベルの仕事をソツなくこなしている。

 改めて現在のハウスシーンを眺めてみれば、一見隆盛をきわめているかのようにみえるが、果して本当にそうだろうか。ロンドンの海賊放送局KISS-FMは、そのユニーク且つこだわりに満ちたプログラムで、ダンスファンにとって愛すべき存在だったが、めでたく正式認可を取得した後のKISSと云えば、他でも聞けるヒットチューンをヘヴィ・ローテーションする、つまらない局になってしまったと聞く。アーティストだって、レコード会社だって、放送局だって、より多くの支持を得たい。これは、ポピュラー音楽なら当り前の事。でも、おかげでどうだろう。今、チャートをにぎわすクラブ・ミュージックの中に、かの「ジャック・ユア・ボディ」と同じ位、存在感を放つ作品がどれだけあるのだろう。“より多くの支持を得ようとした時、そのパワーは水増しされていく”。今回、FFRRから久々に出された「ハウス・サウンド・オブ・ジ・アンダーグラウンドVOL.6』は、僕達にそんな命題を投げかける、本当のミュージック・ラヴァーにこそ聞いてほしい力作である。

 それでは、多少の資料とシングル盤のクレジット等から判明した、各アーティストのバイオグラフィ並びに、各曲の印象をまとめてみよう。

●フリーフォール[フィーチャリングサイコトロピック]/新幹線みたいに強引なビート(何と131.7BPM!)にピアノ・リフと女性のサムプル・ヴォイスが、レイヴ!なフリーフォール。間にはさまれるブヨブヨしたアナログ・シンセ音からして、プロデューサにして、自らをフィーチャーしたりソルト・ン・ペパーと共演シングルを出したり、出たがりサイコトロピック氏はLFOと同じタイプのシカゴ・アシッドフォロワーとみた。

●クラブハウス
●カペラ/ミラノをベースに活躍するイタロ・ダンスの古株、ジャンフランコ・ボルトロッティの作品が続く。クラブハウスの結成は83年にさかのぼり、現地ではすでにかなりのヒットを持つが、デヴィッド・モラレスのリミックスによる今回の「ディープ・イン・マイ・ハート」は、彼らにとって初の本格的ハウス・スタイルであると同時に、全米ダンスチャートNo.1と云う記念すべき作品。そしてKLFをユーロ・ボディタッチにパワーアップし、ヒットを狙うカペラは、以前にもM・A・A・R・Sの『パムプ・アップ・ザ・ヴォリューム』のあからさまなパロディで、人気を博したこともあるので、御存知の方もいると思う。FFRRでは、このボルトロッティ2作品をカップリングしたりミックスシングルをリリースする予定もあると云う。

●DSK/本アルバム中、僕が最も気に入っている、キャッチーなガレージ・チューン。マイアミのダンス・レーベルHOT PRODUCTIONのプロデューサー(2ライヴ・クルーのパロディ・チーム、2 LIVE JEWSのメムバーでもあるおちゃめな)ジョー・ストーンの結成したハウスユニット。ガレージ・マナーを踏襲した曲作りも見事だが、投げやりなようでいて、しっかりゴスペルしているジョイストーン嬢(fromフィラデルフィア!)のヴォーカルが何と云ってもグー。地元マイアミで小ヒットしたのに目をつけたFFRRが、すかさずメジャー契約。御大スティーヴ・"シルク"・ハーレイのリミックスで、めでたくUSダンス・チャートイン。本アルバムに収められているのは、オリジナル・ヴァージョン。

●スラム/そのS・ハーレイも秘蔵っ子グループ、ジョマンダの『GOT A LOVE FOR YOU』のイントロで用いた、チープなシンセをメインにフィーチャーした、超気持ちE一曲。典型的レイヴ・チューンだ。

●キューバ・グディング/イギリスのナイトクラバーにはなつかしい、83年にロンドン・レコードから発売されたダンスクラシックのリミックス。スキャットをはさんだ、ヌケヌケにジャジィなヴォーカルも、クラシック・ブームの今聞くと又格別也。オリジナルのミックスは、日本では"ワイルドスタイル"ロンドンではサルソウル・レーベルのピアニストで著名なアーサー・ベイカーだけど、このリミックス、もしかして…。

●ユタ・セインツ/日本でも、from UKのMTV番組で話題先行の曲がこれ。リーズ出身のジェス・ウィリスは、ニュー・ウェイヴ・バンド、CASSANDRA COMPLEXを脱退後、地元MILE HIGH CLUBの70'sディスコ担当となる。同じクラブの違う曜日にスピンしてたティム・ガーバットとジェスは意気投合。DJコンテストでならしたティムのプログラミングとジェスのクラシック趣味で作られたのが、「ホワット・キャン・ユー・ドゥ・フォー・ミー」だ。グウェン・ガスリーとユーリズミックスのフレーズを大胆に引用するも、白ジャケ・ブートの時点で、ユーリズミックスからクレームがつき、FFRRがローヤリティ問題を解決し、今回の正式リリースとなった。こりない二人は「パンクっぽいサムプリングで行きたいんだ。」とイキまいてる模様。

●フォトン・INC.[フィーチャリング・ポーラ・ブライオン]N・Y系のハウス大好き人種にはお馴染み、STRICTLY RHYTHM原盤のストロングな曲。プロデュース/クリエイトは、かのDJピエールだっ! 今もシカゴで頑張るマーシャル・ジョファースンと共にTB303を使い、PHUTURE名儀でアシッド・サウンドを連発し、近頃はN・Yのヒップハウス一人者として活躍。最も新しい情報では、ラガ・アシッドDJ、ボビー・コンダースとの、移動大型クラブ"WILDPITCH"のレギュラーで人気再熱との事。この曲もN・Yでは"WILD PITCH MIX"と銘打たれたヴァージョンでプリ・リリースから人気フライングするも、本アルバムでは、オリジナルが収録されている。

●クラブソーン・1/このチームも、先述のユタ・セインツと同様の経緯によるリリースだ。OH'ZONEと云う、どマイナーの白ジャケ・リリースから、正式発売され、小ヒット。FFRR側のメジャー・リリースで我々の許へ届いたこの曲、主人公がJAZZY Mと云うDJであると云う事以外、一切不明。踊れる曲だけに、残念。

●バンデラス/このアルバムでも、日本で一番知名度が高いのが、このグループだろう。キャロラインとサリーと云う二人組のデビューアルバムは、ペット・ショップ・ボーイズ等で有名な、ステファン・ヘイグのプロデュースと、バーナード・サムナー(ニュー・オーダー)、ジョニー・マーの参加で話題をよんだ、ダンスと云うよりポップアルバムである。にもかかわらず、本アルバムでは堂々のラスト・ナムバー。この辺りが、このコムピレイションの憎いところなのだ。かつてソウルIIソウルが、「人生に戻ろう、現実にかえろう」と歌い、世界中のクラバーを熱狂させたように、イタリアのベテラン、マッシミーノ&ファビオ・Bのリミックスによる、このヴァージョンは、アカペラで、こう歌われる。「あなたの人生の目的は何?/真実は何処?/あなたの希望、憶えてる?」たしかに、日本のニューミュージック歌手でさえも敬遠する、クサいフレーズだけど、イリーガルな真夜中のクラブで、大音量で体験したら…CHILL OUTまちがいなし!

 『アンダーグラウンド』をキイ・ワードに集められた、FFRRのコムピレイション'91こそは、クラブ・ミュージックが失いかけてる、スタイリッシュさ、ビート感、インチキさ、青臭さ、不良っぽさをBRING BACKしようとするメッセージにあふれている。どの曲もチープっぽいけど、若々しくて、イカシてる。スピード感があるよ。久々にハウスをCDで聞いて、ハマリました。みんな、サンキュー!

[91・10・22 本根誠]

VARIOUS 「パロキシズム Vol.1」


UKハウス・シーンの現状

UKハウス・ミュージックの最新潮流は、
クラブ・サウンドとしての"バレアリック・ビート"と、
レイヴ・サウンドとしての"ハードコア・テクノ"の2つの流れに大別できる。
と言っても何のことだかサッパリ解らない人も多いと思うので、
簡単に説明することにしよう。

 まず確認しておきたいのは、
現在イギリスでは2種類のハウス・パーティーの存在の仕方があるということだ。
一つは500人程度のキャパシティーの
比較的小規模な"クラブ"に於けるパーティーで、
もう一つは週末に数千人単位の人を集めて行われる
大規模な"レイヴ"に於けるパーティーだ。
どちらかと言うと、前者は20代のクラバー中心に支持されており
入場料は£5程度がー般的。
一方、後者の支持層としてはハウス・ジェネレイション以降の10代もかなり多く、
最近では入場料が£20以上もする大掛かりなイヴェント形式のものもある。
しかし、単純にクラブ・パーティーを大規模にしたのが
レイヴ・パーティーと考えるのは間違いで、
両者は本質的に似て非なるものと言えるだろう。
実際にクラバーはあまりレイヴを好まないし、
逆にレイヴァーは殆どクラブに遊びに行かないという説もある。
どうやらクラブとレイヴの支持層は、今や二極分化しつつあるようだ。
何故かって? 
それはおそらくDJのプレイするサウンドに決定的な違いがあるからだろう。
最近のロンドンのクラブ系DJは、
テクノあり、ガラージありのフリースタイルな選曲をするDJが多いが、
レイヴ系DJともなると、もうテクノ一辺倒なのだ。

 '91年8月に僕がロンドンに遊びに行った時は、
ラテン・パーカッションやピアノをフィーチャーした、
いわゆる"バレアリック・ビート"や、ソウル風のヴォーカルをフィーチャーした
"ガラージ"のようなハッピーなハウスがクラブ・サウンドの主流だった。
この秋~冬にかけて、さらにカラージ熱が高まっている横様。
 一方レイヴでは、いわゆる"ハードコア"と呼ばれるテクノが主流で、
クアドロフオニア、T99、キュービック22、ザ・プロディジーといった
20歳そこそこのテクノ・キッズによる攻撃的なサウンドが主流になっている。
"ハウス版ヘヴィ一・メタル"、
あるいは"ホラー・ハウス"などとも呼ばれるハードコア・テクノは、
小さなクラブで体験すると苦痛以外のなにものでもないのだが、
大規模なレイヴでは充分に効果を発揮するようだ。

 また、最近ではクラブで流行しているバレアリック・八ウスの要素と、
レイヴで流行しているハードコア・テクノの要素が
1曲の中にうまく混ざり合った曲も登場し始めている。
例えばビザール・インクの'Such A Feeling'や、
DJ力-ル・コックスの'I Want You(Forever)'のような曲は、
バレアリックDJとハードコアDJの両方にプレイされており、
今後こうしだ"バレアリック・テクノ"や"テクノ・カラージ"と呼ばれる
クロスオーヴァー・サウンドがUKハウスの奔流になりそうな気配だ。

パロキシズム

 本CD『パロキシズム』は、
現在のテクノ・ハウス・シーンを知る上では格好のー枚と言えるだろう。
この作品はMUTEがディストリビュートすることになった
ロンドンのトップ・ハウス・レーベル"ブラック・マーケット"の
コンピレーション・アルバムである。
 参加アーティストは、北ロンドン出身の20歳のDJ/リミキサー"DJ・マッシヴ"、
同じくロンドン出身の"デシヤ(DESIYA)"、"アルファ3-7"、
"A.Z.T"(以上ブラック・マーケット所属)と、
デトロイト出身の実験的テクノ・ユニット"アンダーグラウンド・レジスタンス"、
LAのアシッド・テクノ・ユニット"DCB-A"を加えた6アーティストである。

 DJ・マッシヴが手掛けた①'マッシヴ・オーヴァー・ロード'
⑬'マッシヴ・オーヴァー・ロード(リミックス)'はハードコアDJも好んでプレイしそうな
ヘヴィー・ベースがカッコイイ極上のテクノ・チューン。
⑦'ポイント・オブ・インテンシティ-'⑫'バンピー'はともにヒップ・テクノだ。
すべてロイ・ラスプリラ(Roy Lasprilla)という名前(DJ・マッシヴの本名?)が
作曲者としてクレジットされている。
 デシヤことマシュー・パークハウスによる3曲のうち
②'2・パーツ'はブレイク・ビ一ツに乗せて
メリッサという女性シンガーが歌うメランコリックな曲。
⑥'カミン・オン・ストロング'は同じくメリッサによる
ソウルフルなヴォーカルをフィーチャーしたUKテクノ・ガラージだ。
⑩'トライ・アゲイン'は沈んだ感じのチープ・テクノで今一つか?
 アンダーグラウンド・レジスタンスの③'アドレナリン'は
初期のシカゴ・アシッドを思わせるヒップ・ハウス調のナンバー。
このユニットは自身のアンダーグラウンド・レーベルから
既に10枚以上のアヴァンギャルドなテクノ12インチをリリースしている。
 アルファ3-7ことクリス・アチャムポン(Chris Acham-pong)による④'レットミー・テル・ユー'は
ラガマフィン調のラップや女性ヴォイスをフィーチャーしたジャジーなピアノが印象的な曲。
⑧'トゥー・ポジティヴ'、⑪'バブー'はともにヒップ・テクノだ。
 DCB-Aの⑤'アシッド・ビッチ'は、タイトル通りのアシッド・ハウス。
ブリープ音やヴォイス・サンプルは3年前の音という感じだが、
LAでは今頃アシッド・ハウスが流行っているのだろうか?
 イタリアのリミニ辺りでもプレイしている
ロンドン在住のDJ・デイヴ・ピッチョーニによるA.Z.T.の
⑨'チョイス・オブ・ア・ニュー・ジェネレイション'は、
クールなシンセが気持ちいいシンプルなテクノだ。

 本CDに収められた曲は大ヒット・チューンこそないが、
アンダーグラウンド・ハウスの最良の部分を集めたような内容になっている。
また、アルバム・タイトルの"パロキシズム"という耳慣れない言葉には
"周期的発作"という意味があるようだが、
テクノ・ハウスでケイレン的に踊る快楽は、まさに"パロキシズム状態"と言えるだろう。

テクノ・イズ・バック!

 前述の通り、イギリスに於けるクラブ・サウンドの主流は、今やテクノ・ハウスではなく、
歌やピアノをフィーチャーしたガラージ・サウンドへと向い始めている。
テクノがかかるクラブはマンチェスターやシェフィールド辺りにはまだ存在するが、
ロンドンでは既にまったく下火になっている。
 しかし、一方ではレイヴの盛り上がりによってテクノ・ブームが再燃していることも確かだ。
'80年代のロンドン・アシッドハウス・ムーヴメントの時には、
まだローティーンだったような少年たちがレイヴに夢中になり、
ハードコア・テクノに夢中になっている姿を見ると、
もはやハウスは新たな次元に突入したのではないかと思われる。

 ハードコア・テクノを作っている連中の多くは20歳そこそこで、
またそれに夢中になっているのは10代の少年が大半だ。
ハードコアはハウスを知らない子供たちに圧倒的に支持されているだ。
ハードコア・テクノはハウスとは別ものではないか? 
特にベルギーのものは、ハウスというよりもインダストリアル・ロックに近いものが多い。
刺激物のようなサウンドは、
個人的にはネガティヴな感じがしてあまり好きになれないのだが……。

 しかし、ハードコアDJも好んでプレイする極上のテクノはぜひチェックすべきだ。
それは例えばロンドンのヴァイナル・ソリューションのEON、デプス・チャージ、
ビザール・インク、ミディ・レイン……や、
NY出身でベルギー等で活躍しているジョエイ・ベルトラム、
ZTTのシェイズ・オブ・リズム、シェイメン、
そして本CD収録のDJ・マッシヴなどなど。
これらのテクノはハウスの本質的な部分、すなわちポジティヴィティーを感じさせる音楽である。
 楽しくなければハウスじゃない!――これが基本だ。

小泉雅史(REMIX)

1991年12月1日日曜日

オービタル 「オービタル」


  東京のクラブ・シーンに異変が起きていることを知っていますか?

 時代がディスコからクラブへと移行するなか、DJのかけるサウンドも、かつて一世を風靡したユーロビートからテクノ・ハウスへと、大きく移行していった。

 このような――テクノ革命――とでもいうべき裏の社会現象が、東京に起きたのである。そしてやがては日本中に波及するこのテクノ・ムーヴメントを象徴するアルバムが、ついにアナタのもとに届けられたのだ。

 オービタル。待望のデビュー盤がそれだ!

 もしアナタが、この解説から目を通しているのなら、是非8曲目から聴き始めて欲しい。

 この曲『チャイム』は、1990年の春にリリースされたオービタルのデビュー・シングルで、何を隠そうこのボクも、これ一発で彼らにすっかり魅了されてしまったクチなのだ。

 タイトル通り、鐘の音をイメージしたデジタル・シンセによる美しいサウンド、そして印象的にリフレインされる「♫パパンパーン、パンパンパ・パパンパーン~」というメロディアスなフレーズ。決して音数も音色も多くないこの曲が、当時ロンドンを席巻していたレイヴ・パーティーのテーマソングとして、クウォーツ『メルトダウン』とともに愛された。

 ここで、レイヴ・パーティーについて少し解説しておこう。

 1987~88年にかけて猛威を振るった新種のドラッグ「エクスタシー」の流行は、単に一つの社会問題に帰結することなく、独自の文化、すなわちアシッド・カルチャーを生み出した。このような反社会的な現象のなか、レイヴ・パーティーは誕生したのである。

 初期レイヴ・パーティーは、アシッド・カルチャーの申し子アシッド・ハウスを中心にピークを迎えた。しかしドラッグとの密接な関係ゆえ、常に警察の厳しい監視下に置かれ、レイヴ・パーティーは次第に地下へと潜っていく。例えば倉庫を使ったウェアハウス・パーティーも、その一例であろう。

 こうしてその立場上、より内向的な性格を強めていくレイヴ・パーティーは、激しいだけのアシッド・ハウスから、脳にもカラダにもやさしい、メロディアスなハウスを好むようになる。

 そうしたなかに登場したのが、先に挙げたクウォーツと、このオービタルなのである。

 オービタル『チャイム』とクウォーツ『メルトダウン』は、この手の曲としては異例の大ヒットとなり、レイヴ・シーンの新たな可能性を見出だすことにもなった傑作なのだ。

 また12インチ・シングルでは、ナント12分にも及ぶロング・ヴァージョンで『チャイム』は収録されている。機械的なようでどことなく人間味あふれる音楽空間は、音数をだんだんと増やしていくその構成によるものだ。

 よく聴いてもらえばわかるのだが、1回目のリフに比べ2回目のリフでは「♫パパンパーン~」というフレーズが、ダブルになっていることに気付くはずだ。実に、細かい。

 オービタルは、フィル&ポールのハートノル兄弟による、業界でも珍しいブラザー・プロジェクト。自宅の4トラック・マルチで『チャイム』を録音したのがきっかけで、今日の成功を勝ち得たラッキー・ガイズである。

 1980年代初期のインダストリアル・アヴァンギャルド・ミュージック――キャヴァレー・ヴォルテール、フーラ、スロッビング・グリッスルetc.――と同時にシカゴ・ハウスも好きだという彼らのサウンドは、とてもフェミニンなテクノ・ハウスだ。つまり女性的な感性と洗練された知性を兼ね備えたプロジェクトこそが、オービタルなのだ。

 さて、彼らがリリースしたシングルについても、触れておきたい。

デビュー・シングルは『チャイム』。これについては、もういいだろう。

 続いてリリースした2ndシングルが『オーメン』で、天体や宇宙船の軌道を意味するオービタルの名の通り、彼らの宇宙指向を強く打出した作品となっている。またバットホール・サーファーズをサンプルしたアイディアも見事で、その余りの完成度の高さにシェイメンと比較されることもしばしばであった。惜しくもこのアルバムには、未収録。

 1991年1月には、3rdシングル『サタン』がリリース。ロンドン訛りのうなり声でラップ(?)するテクノ・ヒップ・ハウスで、トップ20にチャートインする大ヒットとなった。B面には、『L.C.1』『ベルファスト』の2曲が収録。『L.C.1』は、ある深夜家路を急いでドライブしていたときに起きた未確認飛行物体との遭遇を、サウンドトラック型式でハウス化した画期的ダンス・チューン。しかし『サタン』『L.C.1』ともに、このアルバムには未収録。『ベルファスト』は、北アイルランドの首都であり、美しい海港をモチーフにしたムーディーな曲。DJがラストに好んでかけた、という珠玉の名曲。

 そして只今チャート急上昇中の4作目『ミッドナイト』へと続いていく。

 これからもわかるように、オービタルは完全なるコンセプト指向のアルバム・アーティストである。シングル一枚の価値では、とうてい計れない。それでは、アルバムの魅力を探ってみるとしよう。

 1曲目から、オービタルの宇宙遊泳がいきなり始まるスペース・テクノ。パンプしながらシーケンスするビートに、彼ら特有のシンセ音を少しずつ乗せて披露する。まさにオープニングに相応しい曲だ!。

 2曲目は、『スピードフリーク』のタイトル通り、ジェットコースターさながらの興奮が味わえるスピーディーなテクノチューン。「スパイ大作戦」を連想させるフレーズが印象的で、ブレーク的に使われるエモーションズ『ベスト・オブ・マイ・ラヴ』のサンプルが、より一層のスリルをかきたてる。

 3曲目は、ムーディーなメロディーが、マイナー進行するベースパターンと気持ちよく融合したスペース・テクノ。

 4曲目は、12分という大作『デザート・ストーム』。第3次世界大戦かと世界を震撼させた、イラクのクウェート侵攻に端を発する中東危機をテーマにした、タイトル通りのコンセプト曲。歩くこともままならない砂漠での、兵士たちの歩みをリズムにしたような、重くずっしりとしたビートや、ヘリコプターの飛来する音をシンセ化(本物をサンプルしないでリアルに再現しようとするところがより怖い)したりと、戦争の悲惨さを訴えかけている。

 5、6曲目は、8曲目『チャイム』の前奏曲。シンプルな構成で、リラックスさせる。

 7曲目は、オービタル風ジャズハウス。もちろんテクノ・テイストなので既成のそれとは、かなり違う。聞きようによっては、フルートに聞こえなくもないシンセが、麗しい。

 8、9曲目はライヴ・ミックス。これぞオービタルという12分49秒を、たっぷり堪能できる。特に『チャイム』から『ミッドナイト』に移行する部分は、涙がでるほど素晴らしい。永遠にループするかのような『チャイム』のラストを遮るように、『ミッドナイト』がINN。このアルバムの、クライマックス・シーンだ!。

 ラスト10曲目は、映画の一カットを見てるような、そんな錯覚に陥りそうな『ベルファスト』。静かに荒れる海岸線を、遊覧しているのかもしれない。ボーイ・ソプラノのようなヴォーカル・スキャットがまた心地好く、最後だんだんと遅くなっていく過程もまた、たまらなく美しい。まるで朝のラジオ体操で味わう、深呼吸のようだ。

 今年6月ロンドンで、『ミッドナイト」をレコーディング中だったオービタルを訪ねたとき、なぜか昔懐かしい友達に再会したような気がした。それが何故なのかは、こうやって

ライナーノーツを書いてる今も、やっぱり分からない。エンジニアやアシスタントを含めたメンバー全員に対して、気遣いをする兄フィル、サウンド面でアーティスティックにリードする弟ポール。この2人の持つ温かさが、そう感じさせてくれたのかも。

だからボクは、オービタルが好きなんだ!。

NOBBY STYLE (宇野正展)

1991年11月21日木曜日

DJ DICK 「ウィークエンド」

 


 今年の前半、ロサンゼルスを中心とした全米のFM局でオンエアーされ、各FM局のチャート及び全米HOT100のダンスチャートの5位まで上昇した曲それがあなたがいま手にしてる一枚、D.J.DICKのウイークエンドです、もちろん初めて聞くかたが多いと思うのですが、残念ながらいまのところ彼の資料がないため今回ここでは、この曲のことについて書いていくことにします。

 最近ダンス・ミュージックの傾向として大きなジャンルわけはあるものの、そうした中でも一貫したものがあるように思われる。それは、ひとつひとつの音(ドラム・ギター等)に異常なほどに神経を費やされ、より気持ちのよいサウンド・プロデュースという傾向があるようだ。そうした中でこの曲もそれら同様にそうした傾向があるのだが、その他にも今までのようによいメロディー等や既存の作品の良い部分も積極的にとり入れていこうとするところがあるような傾向がある。たとえば、ギターのディストーションなどの歪んだ音は、C&Cからインスパイアされたものといってもよいのだが、よく聞いてみると音色が違っている。これは良い物を取り入れ、それをもっと気持ち良くしようとしていることが見うけられるし、ギターのフレーズにしてもおぼえやすいフレーズになっている。またドラムの音色だが、最近では少なくなってきたあつみのあるアレンジになっている。このように良いと思うものは取り入れ、新しい音もというような彼の音楽の方向性というものが感じられる一枚ではないだろうか。

 この曲が全米でリリースされて半年ほどたったいま、日本のクラブシーンでも、盛り上がりつつあるといううわさを聞いてうれしい気がしてならない。もちろんまだまだビッグヒットになる可能性を秘めた一曲であると思う。最後に彼の、セカンドシングル及びアルバムに期待して……。

高橋一男(WUJ PRODUCTION)

Wishing more success for all the fabulous DJs!


1991年9月25日水曜日

ジ・オーブ「アドヴェンチャーズ・ビヨンド・ジ・ウルトラワールド」


 THE ORB唯一の構成メンバー、アレックス・パターソンに初めて出会ったのは、年の瀬も押し迫る昨年12月のある日のこと。南ロンドンにある彼のオフィス、EGレコードに、某音楽誌の取材のため訪れたのが切っ掛けであった。相手がボクのことをどう思ったのかは知らないが、ボクにとっての彼の第一印象は一言――「かわいい狂人(マッドマン)」――。理由はカンタン、だいたい初対面の人間に対して開ロー番——「ストップ・ザ・ジャパニーズ、ドント・キル・ザ・ドルフィンズ!」――なんて言うか? まったく、もう。しかしこの「イルカ発言」のおかげ(?)でボクらの仲は急速に狭まった。彼は決してジャーナリストには明らかにしないという自宅にまで案内してくれたのである。そこでイルカをCG(コンピューター・グラフィック)処理したTHE ORBのプロモーション・フィルムを見せられ、彼のイルカに対する深い愛情の念に初めて気付く。なんと!! イギリス南海岸に生息するイルカが保護されるべく年間200ポンドものお金を寄付しているらしい。彼はそういう人間なのである。またそういう優しい人間だからこそできたのが、――THE ORBのデビューアルバム(しかも2枚組)「アドヴェンチャーズ・ビヨンド・ザ・ウルトラワールド」――なのだ。

 THE ORBという名前は、そもそも球のことで、女王陛下が持っている宝珠の意、に由来する。水晶にも似たものらしいが、THE ORBのサウンドもまさに宝石そのもので、基本的サウンド・アプローチの方法は、アレックスの音楽的バックグランドでもある――「アンビエント・ミュージック」――によるところが大きい。彼のフェイバリットは、ブライアン・イーノであり、ペンギン・カフェ・オーケストラ、だという。とりわけブライアン・イーノへの傾倒はたいへんなもので、彼が19歳の頃LSDをやりながらイーノの傑作「ミュージック・フォー・ザ・フィルム」を初めて聴いた時、彼流の言い方をすれば『いけないぐらいの衝撃』を受けたらしい。それ以後彼はイーノを敬愛し、尊敬し続けることとなり、ついにはイーノが所属するEGレコードに入社することになる。

 アレックスが学校を卒業するや否やパンク・ムーヴメントが台頭する。彼はまずキリング・ジョークのローディーとして働くことになるが、キリング・ジョークには現在アレックスのフラットメイトであり幼なじみのユースがいた。その後ユースはキリング・ジョークを脱退し、THE KLFのジミー・コーティーらとブリリアントを結成するが、このバンドのマネージメントを、PWL王国の一人ピート・ウォーターマンとTHE KLFのビル・ドラモンドが担当していたというのは、現在では有名な話である。

 こうした経験がアレックスにとって、ユースとの友情関係のみならず音楽面においても強固なパートナーシップを生み出す結果となった。ユースと設立したレーベルW・A・U(現在のWAU! MR.MODOの基礎)は、その一つの好例であろう。W・A・Uとは、「Weird And Unconventional」もしくは「What About Us」の略である。アレックスとユース二人の力だけではもはや運営できないほどの仕事を抱えはじめたW・A・Uは、シェフィールド(イギリス北部に位置する)に住むアダム・モリソンとイヴォンヌ・ドノヴァンに協力を要請する。こうして設立されたのが、WAU! MR. MODOで、MODOとはモリスンのMOとドノヴァンのDOに由来する。89年4月のWAU! MR. MODOレーベル設立以後、アレックスの活躍には目を見張るものがある。

 THE ORBのサウンドが、アレックスのイーノ信仰によるアンビエント・ミュージックをベースにしている、ということは既に述べたが、ではTHE ORB独自のアンビエント・サウンド(これは後にアンビエント・ハウスへと変容する)とは何なのであろか。――それは、
 アレックスのDJ-ingから得たアイディアを基にしている。彼をDJの世界に引き入れたのは意外にもポール・オークンフォードで、当時ポールがDJをしていたスペクトラムというクラブの月曜日に「LAND OF EARTH」というアンビエント・クラブを作り、アレックスをこのクラブのDJとして招いたのである。ここにはアンビエント・ルームがあり、リラックスしながらドラッグ(といっても主にはマリファナ、ハッシッシのようなライトなもの)をとりながら、ある異次元空間へと吸い込まれるように自然と入っていく。擬似小宇宙空間――の創設である。つまりここには外界のダンス・ミュージックにありがちな強烈なダンス・ビートというものの必要性はいっさい無く、肉体的興奮を否定し、精神的高揚を促しながらエクスタシーの境地へと誘う、のである。「LAND OF EARTH」閉鎖後も(ドラッグ問題により)アレックスは、イギリスのみならずヨーロッパでもDJ活動を続け、特にベルリンの壁が崩れた日にそこでDJをした想い出は今でも印象的らしい。彼のDJスタイルは、3ターンテーブル、1CD、1テープ・マシーン(現在はDAT)が基本だ。色々な自然の音(鳥の鳴き声や風の音など)をテープに録ってサンプルし、ターンテーブルやCDとライヴ・ミックスしてアンビエント・サウンドを作る。例えば元GONGのギターリスト、スティーヴ・ヒレッジとのハウス・プロジェクト「システム7」では、鳩の羽ばたく音をサンプルしている。

 また彼のクリエイトしたアンビエント・サウンドは、THE KLFにも大きな影響を与えた。THE KLFに初めて参加したのは1988年にリリースされたシングル「3AMエターナル」のリミックス「ブルー・ダヌーブ・オービタル」。彼を東京の某クラブに案内した時、このリミクスをDJにかけてもらったんだけど、やっぱり今でも気に入っているということだった。THE KLFの傑作アンビエント・アルバム「チル・アウト」などは、アレックスのDJ-ingのアイディアそのままで、彼にそのオリジナル・テープを聞かせてもらったところ、まさにそのもの。ピンク・フロイド「原子心母」に似せた羊のジャケット・アイディアも当然彼によるもので、このTHE ORBのスリーブ・ジャケットもやはりフロイドの「アニマル」をモチーフにしている。ここに登場する「マクアルパイン」というパワーステーションはもはや操業されておらず、現在取り壊しの危機に曝されている。

 THE KLFへの参加が、そのメンバーであるジミー・コーティーと共に「THE ORB」をスタートさせることになる。WAU! MR. MODOよりリリースされた1stシングル「キッス・ザ・スカイ」は、レックス・ディー(アレックス・パターソン)&ロックマン(ジミー・コーティー)の名前もクレジットされているコラボレーション作品。しかし楽曲的にも「THE ORB」が成熟するのは2ndシングル、通称ラヴィング・ユー、と呼ばれるディスク2/5曲目まで待たなければならない。このアルバムのミックスはアレックス自身によるライヴ・アンビエント・ミックスになっているが、シングルではダンサブルなアンビエント・ハウスに仕上げている。12"シングルのオリジナル・ヴァージョンはミニー・リパートンのトラック、リミックスではスザンヌというプロのシンガーに歌わせるという手のこんだこともやっている。しかしこの曲のヴォーカルに対する意見の分裂から二人は別れてしまう。そしてアレックスだけが残った「THE ORB」は決して失速することはなかったのだ。ディスク1/1曲目、ディスク2/1曲目と次々とシングル・カットし、業界に常に新鮮な話題を提供している。特に後者は新しいトレンド「ダブ・セックス」の中でも代表曲といわれている。レゲエから派生したダブ・ミュージックがハウスと融合した新しい音楽のカタチ。要チェックだ!

 「THE ORB」にとってアルバムの一曲一曲が各々ひとつひとつのアイディアなのである。つまり10分間の音楽の世界、ここに「THE ORB」は生息している。スコットランドで6月にジミーと会った時、彼はこのアルバムを絶賛していた。このサウンドが二人の間の垣根を取り除いたのである。

 このアルバムは男性よりも女性に多く好まれている、と伝え聞く。おそらくそれは彼自身がとてもフェミニンな性格ゆえのことだろう。限りなく深く優しくも柔らかな愛のアルバム、そんな印象のこのアルバムを是非末永く聞き続けて欲しい。いつまでも、いつまでも…………。

NOBBY STYLE(宇野正展)

1991年9月21日土曜日

ボム・ザ・ベース「Unknown Territory」

 


 80年代半ばロンドン。チャイニーズの血を引く一人の少年は、ウエスト・エンドのレストランで、あるいはクラブ<WAG>で働いては、その稼ぎを当時、ドイツから流れてくるテクノ・サウンドのレコード代に費やしていた。それはデペッシュ・モードであり、もちろんクラフトワークであり、ときとしてジェイムス・ブラウンでもあった。少年の名はティム・シムノン。DJの卵であった。そして、彼はせっせと稼いだお金から300ポンドをはたいて自らの曲をレコーディングする。その曲こそ、後に「2nd・サマー・オブ・ラブ」と称される1988年ロンドンの、アシッド・ハウス爆発に大きく貢献する、「ビート・ディス」の原形であった。そう、1988年に、ボム・ザ・ベース(爆発するベース)というとびきり素敵な名前でリズム・キング・レコードからデビューする、その予兆だったのである。

 ここでボム・ザ・ベースがデビューする1988年のロンドンという、特別な年について若干触れておきたい。何故なら1987年から88年という前述した「2nd・サマー・オブ・ラブ」こそ、現在のブリティッシュ・ダンス・シーンを語るうえで欠かせない、極めて劇的な時代だったからである。

 まず断っておきたいのは、70年代後半からポピュラー・ミュージックの主導権はダンス(ディスコ)ミュージックに移行している。それは70年代の終わりにロックの死を宣言し、「デス・ディスコ」(PIL)という曲によってダンス・ミュージックを実践したジョン・ライドンにも象徴されるようにドナ・サマーの出現以来、より多くの人たちに受け入れられる音楽(つまりヒット・チャート)はダンス・ミュージックに独占されていった。そして、それは密かにある革命を予告していたのである。クラブ(ディスコ)の出現である。これは、それまでのポピュラー・ミュージックに対する認識を、根底から覆してしまったのだから。

 もともとポピュラー・ミュージックはコンサート会場やライブハウスといった特定のトポスで、パフォーマーVSファンという構造のもと、コミュニケーションをとろうとするものであった。が、ダンス・ミュージックの特性はパフォーマー不在のクラブという空間で、DJというメディアがセレクト(編集)した曲に合わせて、クラバー、すなわちそこに集まる人たちが踊るというものである。実際の演奏行為に対し踊るわけではない。あらかじめ記録された音源(レコード)を、DJというメタ・パフォーマー(要するに単なるファンでは満足できなくなった聴き手)が好き勝手に編集した音に合わせて踊るのである。これはスターダム・システムの崩壊である。それが良質なダンス・ミュージックであるなら、他人がつくったレコードを適当に編集しなおしたり、(これをリミックスと呼ぶ)、他人のレコードで好きなフレーズがあったら、それをパクって(カット・アップ!)しまっても一向に構わないのである。クラブ・ミュージックとは、従来のシステムをいっさい無視して、音楽ファンがファンであることを放棄した、多分、最初のムーブメントであったのだ(ここまでDJについての解説を加えた理由については、後述するとしよう)。とにかく、「2nd・サマー・オブ・ラブ」は、こうしたクラブ・ミュージックがいっきに爆発したときだったのである。

 そこには、あらゆるジャンルのダンス・ミュージックが集結していた。レゲエの流れを汲むグラウンド・ビート、ノーザン・ソウルなどの洗礼を受けたレア・グルーヴ、テクノやオルタナティブ・ミュージックが進化したエレクトロニック・ボディ・ミュージック、そしてもちろん、当時のNYから届いたアシッド・ハウスやヒップホップ、デトロイト・テクノなど、あらゆるジャンルは、ダンス・ミュージックというキーによって取り払われ、流行したドラッグ”エクスタシー”の効果、廃墟を占領してのウェア・ハウス・パーティやパイレーツ・ラジオ(自由ラジオ)などの活躍もあって、それまでアンダーグラウンド的な動きでしかなかったクラブ・シーンは、唐突にオーバー・シーンへと浮上してしまったのである。

 この時代精神によって創設されたリズム・キングから、ボム・ザ・ベースは「ビート・ディス」をリリースするのである。流血したスマイル・マークが印象的なジャケットを呈したこのデビュー・シングルは、イギリスでヒットし、またたく間にティム・シムノンの名を世間に知らしめることになる。ちなみにほぼ同時期にデビューしたアーティストをいくつか挙げるとKLF(当時はJAMS)、M/A/R/R/S、808ステイト、エス・エクスプレス、ピート・マスターズ、ソウルIIソウル、ベイビー・フォード、コールド・カット、マッシヴ・アタック、T-コイなどがいる。このメンツをみれば、いかに「2nd・サマー・オブ・ラブ」が重要であったかが理解できると思うし、また注目すべきは、これらのアーティストが(ティム・シムノンも含めて)DJあがりだということであろう。ここに80年代ポピュラー・ミュージックの、革命的な一面をうかがうことができる。ここまで長々と、「2nd・サマー・オブ・ラブ」に関する説明を続けたのは、ティム・シムノンがデビューした時代的背景を理解するうえで少しでも役にたてばと思ってのことだ。90年代に入ってあわてふためいたように「これからはハウスじゃ」などと騒いでいる日本のメディアに、今さらケチをつける気はないが、ティムは少なくとも88年の本質的な意味での「これからはハウスじゃ」という時代の当事者であり、時代の裂け目の中からバンド名のとおり、とびきりの爆弾を仕掛けてくれた人なのである(心して聴こう!)。

 ボム・ザ・ベースは1988年にファースト・アルバム『イントゥ・ザ・ドラゴン』を発表している。これは彼の音楽的ルーツであるジャーマン・テクノの影響が大きく比重をしめたものであった。それから3年。長い沈黙があった。今年(1991年)に入って女性ヴォーカリスト、ロレッタをフィーチャーしたシングル「LOVE SO TRUE」がリリースされた。ボム・ザ・ベースではなくティム・シムノン名義であった。例の湾岸戦争による規制のためボム・ザ・ベースなんて名前は使えなかった。音のほうは「えっ、これがティムなの?」と言ってしまいそうなくらいソウル・ミュージック色が強い作品であった。ちっとも悪い作品ではない。でも、それはやはり「爆発するベース音」とは思えなかったし、僕にしてみれば、わがままとはいえ、物足りなかったのである。ふがぁぁ。

 ここに、3年振りのアルバム、本作「UNKNOWN TERRITORY」が届いた。先行してリリースされたシングル「WINTER IN JULY」も「LOVE SO TRUE」同様にポップでソウルフルな曲だった。いい曲だ。でも、わがままな聴き手はいつまでもわがままなものである。僕は、どうしてもあのベース音を、サイバー・テクノを聴きたかったのである。(リミックス・ヴァージョンは、あのボム・ザ・ベース!といった感じだったけどね)。まあ、そんな複雑な感情をもって、本作に挑んだ。で、1曲目「THROUGH OUT THE ENTIRE WORLD」のイントロが始まれば・・・。

 これなのである。このかっこよさ。これがボム・ザ・ベースなのである。僕は嬉しい。以下、各曲の解説なぞ不要であろう。ただ、一応、ライナーノーツらしくデータを挙げておこう。ゲスト・ミュージシャンとして、鈴木賢二、そして屋敷豪太が参加している。鈴木賢二のギターは、けっして弾きすぎることなく、ストイックに無機質な趣で導入されている。彼のテクニックとティムの資質が見事に結実した曲が、たとえば2曲目の「SWITCHING CHANNELS」であろう。僕個人としては、好きな曲である(このタイプの曲もシングル・カットしてほしいよん)。

 ところで僕は、本作リリース前に、ロンドンでティム・シムノンとそのメンバーたちに会っている。ティムはかつて雑誌でみた、帽子とパーカーとスマイル・マークが似合う、「サンダーバード」をサンプリングするような笑顔の少年ではなかった。それはそうである。なにしろあれから3年たったのだから。その3年の間にティムも当然変わったのだ。もはやスマイル・マークは必要ないし、キャップを被ることもない。髪も短くさっぱりとして、一見、物静かな好青年である。それを想うとシングル「WINTER IN JULY」が懐かしく響く。7月の冬。

 「2度目の恋の夏」は確実に終わったことなのである。だからこそ、新しい爆弾が必要なのだ。3年前の爆弾ではない。夏の終わりと新たなる始まりを予感させる、素敵な爆弾が。そして、あなたが今手にとっているコレは、きっと、僕らを夢中にしてくれる爆弾にちがいない。夏よ、また来い!

(野田努)

クアドロフォニア「COZMIC JAM」


「僕はニュー・ビートなんか嫌いだ。
 僕はずっとアンダーグラウンドハウスばかり聴いていたんだ」(オリバー・アベルース)

ベルギー、アントワープで会った無口な若きテクノ少年は、
自らのバック・グラウンドがひたすらマイナーであることを強調していた。
が、この少年、オリバー・アベルースこそ、
'91年度、ベルギーの、まったくの新人でありながら
クアドロフォニアというプロジェクトでヒットを飛ばしてしまう、
アンダーグラウンドどころではない、誰もが認めるブライテスト・ホープなのである。

実際にクアドロフォニアのヒットしたファースト・シングル
「クアドロフォニア」(本アルバム1曲目に収録)は見事なヒップ・ハウスであった。
売れないほうがおかしい、ポップでスピード感が溢れる、文句のつけようもない曲だ。
その曲の作者がオリバー・アベルース、という20代そこそこの若者なのだ。
最初に断言しておきたい。
間違いなくこのオリバー・アベルースは、
今後のベルジャン・ハウス・シーンにおいてもっとも注目すべき人物である。
それは、やはり本年('91年)にイギリスでスマッシュ・ヒットとなった
T99の「アナスタシア」がオリバーの別プロジェクトであることを知れば、
頷いていただけることだろう。

さて、ここでクアドロフォニアについていくらか解説しよう。
クアドロフォニアは、オリバー・アベルースと
黒人ラッパーのリヴ・マスターを中心に'90年に結成されている。
本作でも迫力あるラッピングを聴かせてくれるリヴは、
アメリカはカリフォルニア出身であり、軍人としてオランダにやってきている。
アメリカに住んでいたころ聴いたL.L.クールJがヒーローだったリヴは、
80年代の半ばにヨーロッパにやってきて、
そのままダンス・ミュージック・シーンのなかに飛び込んでいく。
当時のヨーロッパ、とくにベルギーは、
ニュー・ビートと呼ばれるダンス・ミュージックが始動しはじめたころで、
先鋭的なアーティストであるなら大抵は、
ヒップ・ホップの洗礼をうけた黒人に対して積極的な興味を示していたという。
リヴは、除隊してソウルとヒップ・ホップ、
そしてニュー・ビートが融合するプロジェクト、ファンキー・トライブを結成する。
ここで本作のプロデューサーであり、
また、オリバーとも深い交際のあるパトリック・デ・マイヤーと出会う。
バトリック・デ・マイヤーは初期のテクノトロニックに関係していた人物であり、
ニュー・ビートをメジャーにしたという意味においては、
テクノトロニックのジョー・ボガートと並んで菫要な人物である。
このファンキー・トライブは「ハイプ・イット・アップ」と
「ソウル・パトロール」という2枚のシングルをリリースして、
ドイツではクラブ・ヒットとなっている。

一方、オリバー・アベルースは、14歳からDJを始め、
45回転のレコードを33回転でかけるなど、一風変わったことをしていたようだ。
彼に言わせれば、回転数を遅くかけることによって、
ヘヴィーなベース音が得られるということである。
彼が当時、好んでかけていたのが
タキシード・ムーンであり、リキッド・リキッドであることからも、
自らをアンダーグラウンドだと主張する彼の趣向を垣間見ることができる。

この趣味もセンスもまったく違う二人が、
前述したバトリックの紹介によって出会うのである。
そう考えると、このバトリックこそが実は要注意人物なのかもしれない。
オリバーはこのことを
「自分にとってはまったく新しい作業のはじまりだった」と言っている。
テクノやアンダーグラウンド・ミュージックが好きな、
才能あるこの青年に、
もっとちがったやり方を勧めたのがパトリックだったわけである。
そして、それがものの見事にヒットしてしまったのである。

本作「COZMIC JAM」は、リヴのブラック・ソウルな個性と、オリバーのテクノ趣味が
センスよく出合っている(というか、ほとんど戦いみたいなものだけど)秀作だ。
808ステイトが好きだというオリバーの打ち込みドラミングには、
たしかにその影響がみられるし、
その影響をきちんと消化している彼の技量には、改めて驚かされる。
とくに7曲目など、すばらしいテクノ・サウンドを展開している。
また、リヴのドスのきいたラッピングも聴きごたえ充分で、
オリバーのハード・テクノに負けていない。

これはベルジャン・ハウス、90年代の幕開けである。
できるだけ大音量で聴いてほしい。
バンド名である「4次元サウンド」の由来が納得できるはずである。


この録音テクニックにこそ、クアドロフオニアの本質があるのかもしれない。
オリバー、リヴ、バトリックが企んだ、新しいダンス・ミュージック創造への試みが。


(野田努)

1991年6月28日金曜日

The KLF 「ザ・ホワイト・ルーム」

  ボクが初めてTHE KLFと会ったのは忘れもしない90年7月。ロンドン名物の深い霧を思わせる視界があまりきかないある雨の朝、THE KLFの参謀? ビル・ドラモンドと会う。いかにも英国紳士、といった感じの彼は静かな口調で語った。

―――――「チャートNo.1を狙う!」―――――

 と。そして彼は出来上がったばかりのNEWシングルのコピーを1枚、渡してくれた。その曲とは勿論、

♡♡「WHAT TIME IS LOVE?」♡♡♡♡

UKをはじめヨーロッパ各国でビッグ・ヒットを獲得したこのシングル、ビル・ドラモンドの有言実行さを証明した結果となった。

 THE KLFは1987年1月、独創的で攻撃的な2人、ビル・ドラモンドとジミー・コーティーによって開始された。

 ビル・ドラモンドは、1977-1978年にリヴァプールでインディペンデント・ロック・グループBIG IN JAPANを創立した。78年後半にはデイヴィット・バルフィと共に最初のインディレーベルTHE ZOOを設立し、今日の音楽シーンの基礎を築いている。このZOOレーベルからは、BIG IN JAPANをはじめエコー&ザ・バニーメンそしてティアドロップ・エクスプローズなどがレコードをリリースしている。80年代初頭の「リヴァプール・シーン」の発頭人であり、プロデューサー、マネージャー、パブリッシャーとして主に裏方の役目に徹していた。1985年には、1年と50万ポンド(WEAのプロモーション費用)を費やして、現PWLのピーター・ウォーターマンと共に、パンク・ファンク・ロッカーズのBRILLIANTを国際的にヒットするスーパースターに変身させようと努める。BRILLIANTにはジミー・コーティーやブルー・パールでもおなじみYOUTHが在籍していた。もしかしたらビルとジミーの間で、THE KLFの初期的構想がすでにこの時練られていたのかもしれない。アンダーグランドでの評価は高かったもののBRILLIANTは、セールス的には失敗に終った。その後1986年にはクリエイション・レコードから、初めてにして唯一のソロ・レコード「THE MAN」をリリース。後にTHE KLFのアルバム「CHILL OUT」の音楽的コンセプトの一部となったスライド・ギターやカントリー・ミュージックへの傾倒をこのソロアルバムでは色濃く反映していた。

 そしてついに記念すべき年1987年1月を迎えたのである。

 THE KLF元年で1987年の間、ジミーとビルは、JUSTIFIED ANCIENTS OF MU MU(通称THE JAMS)という名前で活動した。それぞれ別称ロックマン・ロックとキング・ボーイ・Dを使って「1987(WHAT THE FUCK IS GOING ON?)」と、「WHO KILLED THE JAMS?」という2枚のアルバムをTHE JAMSとしてリリースしている。彼らの音楽の解釈の中で他のアーティストの楽曲を自由自在に使用することは、アバの「ダンシング・クイーン」における著作権問題で裁判沙汰を引き起こし、THE JAMSのデビュー・アルバム「1987」の未売品すべての破棄という結果に結びついた。続く2ndアルバム「WHO KILLED〜」のジャケットには、この時破棄処分となったレコードを焼く写真が使われている。「誰がJAMSを殺したか?」なんて意味深長なアルバム・タイトルにも彼らの著作権に対する逆説的メッセージが訴えられている。「著作権解放前線」という意の刺激的なネーミングをもつTHE KLFは、現在なお著作権解放をめぐって、抗争の日々を続けている。1988年、ジミーとビルにとっての第2ラウンドの年が始まった。新しいプロジェクトTHE TIMELOADSの名の下、リリースしたシングル「DOCTORIN' THE TARDIS」は公約通りUKナショナル・チャートでNo.1を獲得。“偉大なるポップ・ミュージック”のふれこみで、極めて英国的伝統的要素にあふれた内容であった。しかしTHE TIMELOADSは完全なるONE-OFF(一回限りの)プロジェクトで、これ以後現在に至るまでこれに続く作品はリリースされていない。

 この年11月、12月にTHE KLFの映画「THE WHITE ROOM」の撮影が行われた。この映画は彼らにとって初の35mm本格的アンビエント・ムービーで、監督はビル・バット。これは91年中には完成の予定となっている。

 1989年からTHE KLFとしての活動に専念することになった彼らは「WHAT TIME IS LOVE?」「3A.M. ETERNAL」という2枚のシングルをリリース。ロンドンのアンダーグランドクラブ・カルチャーのテーマ曲ともいえる傑作を世に送りだしたのである。折しもロンドンは、ACIDハウス全盛で、ウェアハウス・レイヴ・パーティー(非合法のアシッド・パーティー)が各地で行われていた。クラブ・チャートもアシッド・ハウスを中心に構成され、寝ても覚めても(冗談ではなく覚めないこともままある)のACID現象はついに社会問題にまで発展していく。「ピースマーク」と「エクスタシー(通称Eというドラッグ)」がクラブ・カルチャーを完全に掌握し、それと共によりいっそう厳しさを増した警察当局からの弾圧で逆にクラブ・カルチャーは地下へ地下へと潜伏していくことになる。そんな中「WHATTIME~」「3A.M.~」は、そのニーズをますます高めていく。特に「WHAT TIME~」は、数多くのカヴァー・ヴァージョンや似たサウンド(今日でもよくある)の曲を生む刺激となり、彼らはその優れたものを集めてひとつのミニ・アルバム「THE WHAT TIME IS LOVE STORY」と名付けてリリースした。この中には後に今日のTHE KLFの成功をフォローしたシングル「WHAT TIME IS LOVE?(LIVE AT TRANCENTRAL)」のアイディアを提供したライヴ・ヴァージョンやACIDハウスのニュービート・ヴァージョン、BODYミュージックのLIAISON D、NEON、DR.FELIXによるカヴァー・ヴァージョンが収録されている。一方「3A.M.~」のリミックスをTHE ORBのアレックス・パターソンが担当していることからもわかる通り、この時期を境にして彼らは自らのサウンドを「アンビエント・ハウス」と呼ぶようになる。

 1990年2月、UK本国よりも日本での人気を確立することになるアルバム「CHILL OUT」を発表。このアルバムは彼らにとって最初のアンビエント・ハウスのアルバムとなる。しかしこのアルバムの基本的コンセプトは彼ら自身のものではなく、THE ORBのアレックス・パターソンがDJイングをしたときに築きあげたアイディアを基にしている。ピンク・フロイド「原子心母」にインスパイアされたジャケットも評判を呼んだ。

 7月、名曲「WHAT TIME IS LOVE?」の彼ら自身によるカヴァー・ヴァージョンをリリースした。S.S.L.コンソールでの擬似ライヴ・ヴァージョンとMCベルOによる極上ラップで踊れる歌えるKLFへと変身した。UKナショナル・チャートで5位、ドイツとスカンディナヴィアでトップ10を獲得し、クラブでの不動の人気を勝ち得たのである。

 1991年1月「3A.M. ETERNAL」のカヴァー・ヴァージョンをリリース。UKシングル・チャートでは、ナショナルチャート、クラブ・チャート共に念願のNo.1を獲得している。現在はこちらもカヴァー・ヴァージョンとなる第3弾シングル「LAST TRAIN TO TRANCENTRAL」がUKチャートを急上昇中である。ここでアルバムの内容にも触れておく。1はシングルのヴァージョンとは違うアルバムのみのミックスで、アンビエント風のアレンジで漂うのもつかの間、いきなり攻撃的で強烈なビートがINN。カッコE!の一言。2は8同様、UK音楽誌「レコード・ミラー」のクールカッツ・チャートで、シングルカットされていないにもかかわらずチャートインしてしまった、という不思議な曲。808ステイト風のテクノハウスに、ディープな女性ヴォーカルがからむ。DJがいかにも好きそうな1曲だ。3はシングルと同じミックスできっと楽しめることだろう。4はとても美しいメロディラインのアンビエント・ハウスで、5の導入部となっている。5は日本盤のみの12インチ・ヴァージョンで、途中でテーマとなるシンセのフレーズに魅了されない人はいないであろう。アルバム中一番のオススメだ。6はアンビエントハウスを心ゆくまで堪能したい向きの人にはたまらないであろう。特にペダル・スティール。傑作「CHILL OUT」を思わせる深いサウンドが従来のKLFファンにも支持されている。7はDUBっぽいノリのアンビエント・ハウス。今年の夏は、この手のDUBがトレンドだ。8も6に似た美しいピアノの旋律をもつ曲。9は実は1のイントロ部にも使われている曲で、結局リフレインしてしまうという彼ららしいコンセプトになっている。この日本盤には101112のボーナス・トラックが収録されている。ターンテーブルをお持ちではない方にはウレシイ企画にちがいない。

 さあ早速THE KLFのパラレル・ワールドへ入り込んでみて下さい!!

NOBBY STYLE
(宇野正展)



1991年4月25日木曜日

808State 「Ex:el」


  これはいい。何というゴージャスなここちよさだろう。

 808ステイトのニュー・アルバム「EX:EL」――ライナー・ノーツを書くためにレコード会社から渡されたテープを、冗談抜きに朝から晩まで聴き続けたオフィスではウォークマンで、そして家ではスピーカーから流れるエレクトロニクス・サウンドにどっぷりと浸る日は10日ほど続いただろうか。

 まったく飽きないのだ、不思議なことに。2、3日前にCDを手に入れてからは、ほとんどリピートでかけっぱなしにしているのだが、未だに新鮮さを感じるのだ。

 僕は、これを聴きながらThe ORBのアレックス・パターソンの言葉を思い出していた。「ディープにも、意味ありげになってもいけない。心を開き、アンビエンスの中に入り込めばいい。それこそがハウス・ミュージックの美学なのだ。精神を開かれたものにすること――最良のアンビエント・ハウスは決して退屈なものではない。繰り返し一晩中聴き続けたとしても。最良のハウス・ミュージックは、トリガー・メカニズムを持っている。音が唇に降り注ぎ、顔には微笑を浮かべさせてしまうような…」

 808ステイトの「EX:EL」は、そのアレックス・パターソンの定義に従えば、まさに“最良のハウス・ミュージック”に他ならない。だが、何かひっかかる。…。これは"ハウス”なのだろうか?"ハウス”というカテゴライズが、ここにあてはまるのか?もしそうでないとしたら、いったい…?


 808ステイトの成功は、イギリスにおけるハウス・ムーヴメントがアンダーグラウンドを抜け出してオーバー・グラウンドへと躍り出ていった、そのサイクルにちょうどシンクロしている。88年春、マンチェスターで結成された808ステイトが、自分たちのレーベル、Creedから出したファーストアルバム「NEWBUILD」は、アンダーグラウンドなアシッド・ハウス・シーンの一部で話題になったに過ぎなかった。だが、89年夏にリリースしたミニ・アルバム「Quadrastate」で、オーガニックでなめらかなサウンドに転じ、その中の「パシフィック・ステイト」がクラブ・シーンでヒットを記録したことで彼らの運命が変わった。この「パシフィック・ステイト」こそ、808ステイトを一気にメジャー・シーンへと押し上げ、アンダーグラウンドの足かせから解放した上で、ハウス・ミュージックに新しい道を開いたという観点からも、重要な曲となったのである。

 このヒットにより、トレヴァー・ホーンのZTTレーベルとの契約にこぎつけた808ステイトは89年末、「パシフィック・ステイト」の別ヴァージョンを含むアルバム「ナインティ」をリリース、その地盤を着々と固めてゆく。808ステイトの名は、ハウス・シーンにおけるステイタス・シンボルとして注目を集め始め、特にエンジニアとしてのグラハム・マッシーのもとには、さまざまなアーティストのリミキサー/エンジニアとしての仕事依頼が殺到するようになる。インスパイラル・カーペッツの「Joe」を始め、シェイメンの「Human NRG」、元キリング・ジョークのユース率いるブルー・パールの「Naked In The Rain」、フラワーポット・メン改めサンソニックの「Driveaway」、ブライアン・イーノとの共同作業で知られるアンビエント・トランペッター、ジョン・ハッセルの「Voiceprint」など、数多くのレコードに彼らの名前を見出すことができる。「808Remix」というステッカーは、聴き手にとってもおおいに魅力的なものだ。

 これは確かに余技的な仕事にすぎない。しかし彼らはハウスのアーティストとしては珍しくいくつかのツアーをこなし、また昔から彼らと親しい白人ラッパー、MCチューンズのバックトラックを全面的に手掛けながら、808ステイトとしての作品を生み出すことに精力を傾けていくことを忘れたりはしなかった。「ナインティ」の後、「The Extended Pleasure of Dance」、そしてアメリカのみ特別に6曲が追加された米国盤「ナインテイ」およびシングル「Cubik」(ここには後に「EX:EL」に収められる「In Yer Face」が収められている。従って「Cubik」も「In Yer Face」も、アメリカで先にリリースされたということになる)をリリース、続いてイギリスで「Cubik/Olympic」の2枚のリミックス盤を出した808ステイトは、91年に入り、「In Yer Face」のリミックス・シングルを2枚リリースする。そして間もなく届いたのがこのアルバム「EX:EL」なのである。

 ジャケットの「808」のロゴが、ZTTと契約する前のアルバムで使われたタイプに戻っているという話題はさておき、このアルバムで最も注目されるのは、2人の驚くべきゲストの参加に違いない。

 2曲目の「スパニッシュ・ハート」でヴォーカルを披露するのは、マンチェスターのダンス・ムーヴメントの草分けとも言えるニューオーダーのバーナード・サムナー。ロックに、ヒップホップ等のダンス・リズムをいちはやく取り入れ、独自の音響記号論を展開していったニュー・オーダーは、808ステイトが彼らと同じスタンスにいることを見抜き、また808ステイトの方もニュー・オーダーをロックにダンスを取り込んだ開拓者として尊敬しているという具合で、交流もあったようだ。バーナードは808ステイトのギグに飛び入りし、「マジカル・ドリーム」を歌ったこともある。この「スパニッシュ・ハート」は、ニュー・オーダーの「テクニーク」に収められていても不思議はないほど(事実、この歌詞の内容は「テクニーク」の中の「ミスター・ディスコ」の続篇的なものだという)ニュー・オーダー的になっているが、それはやはりバーナードのヨロヨロしたヴォーカルのせいだろう。808のダーレンは言う。「僕たちはこの曲を意識的に"非ニューオーダー的”にしたつもりだったんだけど、バーナードのヴォーカルが入るとそれはあっという間にニュー・オーダーになってしまうんだ。ヴォーカルをとってしまうと全然そうは聴こえないんだけど…」

 「バーナードがベストなシンガーじゃないってことはみんな知ってるさ。でも彼はユニークだし、自分自身のスタイルを身につけてるよ」とマーテインが説明するのを待つまでもなく、バーナードはかつて言われたように、"無個性な“ヴォーカリストなどではまったくない。彼の声は、この曲にメランコリックな陰影を与えている。

 4曲目の「Qマート」と7曲目の「000PS」でヴォーカルをとるのは、アイスランドのちょっと風変わりなバンド、シュガーキューブスのコケティッシュな女の子、ビョークである。シュガーキューブスのサウンドは、およそハウスには無縁っぽいし、バンドのメンバーもインタヴューで「ハウスをとり入れることはありえないだろう」と語っているので、ビヨークが808ステイトのファンだったというのはちょっとした驚きではあった。彼女は808ステイトのオフィスに「あるアイスランドの女の子が808ステイトとの共演を望んでいる」とだけ伝え、シュガーキューブスの名を全く出さなかったという。ビョークは最初、ソロ・アルバムを作るつもりで808にコンタクトをとってきたらしいが、とりあえずはこの2曲のみになったようだ。ちなみにマーティンは「バースデイ」は好きだが、グラハムは、シュガーキューブスをあまり好きではないと語っている。いずれにしても、あのこぶしをきかせるビョークの独特の唱法は、ここでも変わることがない。

 以前に共演の噂があったモリッシーといい、今回のこの2人といい、ヘタをすれば主役を食ってしまいかねないゲストをあえて迎えてしまう808ステイトは、何と自信に満ちあふれているのだろう。彼らにとっては"ヴォーカルもひとつの素材にすぎない”んだろうけど…。

 サウンド的におもしろいのは、前作のサクソフオーンにかわって、今回はトラディショナルな楽器としてエレクトリック・ギターがフィーチャーされていることがある。6曲目の「リフト」は、流麗なストリングスとピアノがムーディーな曲だが、その中間部で突然ギターが金切り声をあげるのだ。この曲は、僕の手許にあるデモカセットでは「Guitar」という単純明快なタイトルになっている。また、10曲目の「キュービック」のハード・ロック風ギターは、もうシングルでもおなじみだと思う。

 このアルバムの裏ジャケットには、彼らの使用器材がまとめて掲載されている。それを見て驚くのは、そこにはこれと言って特筆するような器材はほとんどないということだ。日本でだって、少しマニアックなテクノ小僧なら持ってるようなものばかりだ。結局、音楽とは、ハウスとは、テクノロジーに頼るのではなく、それをいかに使いこなすかという、センス次第なのだということを彼らはここでアピールしているのだろう。また、おなじみのTR808、909の他に、ミニムーグやローランドのSHシリーズ、ヤマハのCSシリーズなどの、アナログ・モノフォニック・シンセが多用されているのも目立つ。デジタル全盛のこの時代にあっても、かつての不安定なアナログにこだわるアーティストは多い。その不安定さが逆に音の暖かみや厚みにつながるのだが、808は以前からそうしたアナログ的な部分にも目を配ってきた。その最初の成果が「パシフィック・ステイト」だったわけだが、この「EX:EL」では、デジタルとアナログの共存が、ひとつの究極的なスタイルとなって結実している。アヴァンギャルドでありながらオーセンティック、ノイジーでありながらピュア、そんな排反する要素が拮抗しながら、ひとつの理想を生み出す――それがこの「EX:EL」なのだ。

 それにしても、このアルバム全曲を通して流れるこのここちよさは、いったいどう表現したらよいのだろう。「ナインティ」にもあった、フィージョン的な肌ざわりのよさを持つサウンドは、よりなめらかさを増し、ほのかな色気すら漂わせる。

 先日、テレビで放映されていたスキーのワールドカップ大会で、BGMで808ステイトの「キュービック」が使われていたが、彼らのサウンドは、ある意味でサウンドトラック的な要素も持ちあわせているのではないだろうか。この「EX:EL」には、何か映像的イメージを喚起するある種のパワーが確かにある。先にアレックス・パターソンが言ったように、優れたハウスにはそうした力が宿っているものなのだろう。

 しかし、この「EX:EL」は、もはやそうした“優れたハウス”というカテゴリーを超えている。ここに内包されたXLサイズの強大なパワーを前にしては、もはやカテゴライズなど何の意味も持たない。ここには「踊ることもでき、聴くこともでき、無視することもでき、瞑想に導くこともできる」音楽があるのみなのだ。


 808ステイトは、あらゆる情報をとり入れながら、その創造力をふくらませつづけている。彼らが行きつく果てがどのようなものなのかそれを見ることは、この時代に生きる我々にのみ許された特権なのだ。

[1991年3月 杉田元ー]