1991年9月21日土曜日

ボム・ザ・ベース「Unknown Territory」

 


 80年代半ばロンドン。チャイニーズの血を引く一人の少年は、ウエスト・エンドのレストランで、あるいはクラブ<WAG>で働いては、その稼ぎを当時、ドイツから流れてくるテクノ・サウンドのレコード代に費やしていた。それはデペッシュ・モードであり、もちろんクラフトワークであり、ときとしてジェイムス・ブラウンでもあった。少年の名はティム・シムノン。DJの卵であった。そして、彼はせっせと稼いだお金から300ポンドをはたいて自らの曲をレコーディングする。その曲こそ、後に「2nd・サマー・オブ・ラブ」と称される1988年ロンドンの、アシッド・ハウス爆発に大きく貢献する、「ビート・ディス」の原形であった。そう、1988年に、ボム・ザ・ベース(爆発するベース)というとびきり素敵な名前でリズム・キング・レコードからデビューする、その予兆だったのである。

 ここでボム・ザ・ベースがデビューする1988年のロンドンという、特別な年について若干触れておきたい。何故なら1987年から88年という前述した「2nd・サマー・オブ・ラブ」こそ、現在のブリティッシュ・ダンス・シーンを語るうえで欠かせない、極めて劇的な時代だったからである。

 まず断っておきたいのは、70年代後半からポピュラー・ミュージックの主導権はダンス(ディスコ)ミュージックに移行している。それは70年代の終わりにロックの死を宣言し、「デス・ディスコ」(PIL)という曲によってダンス・ミュージックを実践したジョン・ライドンにも象徴されるようにドナ・サマーの出現以来、より多くの人たちに受け入れられる音楽(つまりヒット・チャート)はダンス・ミュージックに独占されていった。そして、それは密かにある革命を予告していたのである。クラブ(ディスコ)の出現である。これは、それまでのポピュラー・ミュージックに対する認識を、根底から覆してしまったのだから。

 もともとポピュラー・ミュージックはコンサート会場やライブハウスといった特定のトポスで、パフォーマーVSファンという構造のもと、コミュニケーションをとろうとするものであった。が、ダンス・ミュージックの特性はパフォーマー不在のクラブという空間で、DJというメディアがセレクト(編集)した曲に合わせて、クラバー、すなわちそこに集まる人たちが踊るというものである。実際の演奏行為に対し踊るわけではない。あらかじめ記録された音源(レコード)を、DJというメタ・パフォーマー(要するに単なるファンでは満足できなくなった聴き手)が好き勝手に編集した音に合わせて踊るのである。これはスターダム・システムの崩壊である。それが良質なダンス・ミュージックであるなら、他人がつくったレコードを適当に編集しなおしたり、(これをリミックスと呼ぶ)、他人のレコードで好きなフレーズがあったら、それをパクって(カット・アップ!)しまっても一向に構わないのである。クラブ・ミュージックとは、従来のシステムをいっさい無視して、音楽ファンがファンであることを放棄した、多分、最初のムーブメントであったのだ(ここまでDJについての解説を加えた理由については、後述するとしよう)。とにかく、「2nd・サマー・オブ・ラブ」は、こうしたクラブ・ミュージックがいっきに爆発したときだったのである。

 そこには、あらゆるジャンルのダンス・ミュージックが集結していた。レゲエの流れを汲むグラウンド・ビート、ノーザン・ソウルなどの洗礼を受けたレア・グルーヴ、テクノやオルタナティブ・ミュージックが進化したエレクトロニック・ボディ・ミュージック、そしてもちろん、当時のNYから届いたアシッド・ハウスやヒップホップ、デトロイト・テクノなど、あらゆるジャンルは、ダンス・ミュージックというキーによって取り払われ、流行したドラッグ”エクスタシー”の効果、廃墟を占領してのウェア・ハウス・パーティやパイレーツ・ラジオ(自由ラジオ)などの活躍もあって、それまでアンダーグラウンド的な動きでしかなかったクラブ・シーンは、唐突にオーバー・シーンへと浮上してしまったのである。

 この時代精神によって創設されたリズム・キングから、ボム・ザ・ベースは「ビート・ディス」をリリースするのである。流血したスマイル・マークが印象的なジャケットを呈したこのデビュー・シングルは、イギリスでヒットし、またたく間にティム・シムノンの名を世間に知らしめることになる。ちなみにほぼ同時期にデビューしたアーティストをいくつか挙げるとKLF(当時はJAMS)、M/A/R/R/S、808ステイト、エス・エクスプレス、ピート・マスターズ、ソウルIIソウル、ベイビー・フォード、コールド・カット、マッシヴ・アタック、T-コイなどがいる。このメンツをみれば、いかに「2nd・サマー・オブ・ラブ」が重要であったかが理解できると思うし、また注目すべきは、これらのアーティストが(ティム・シムノンも含めて)DJあがりだということであろう。ここに80年代ポピュラー・ミュージックの、革命的な一面をうかがうことができる。ここまで長々と、「2nd・サマー・オブ・ラブ」に関する説明を続けたのは、ティム・シムノンがデビューした時代的背景を理解するうえで少しでも役にたてばと思ってのことだ。90年代に入ってあわてふためいたように「これからはハウスじゃ」などと騒いでいる日本のメディアに、今さらケチをつける気はないが、ティムは少なくとも88年の本質的な意味での「これからはハウスじゃ」という時代の当事者であり、時代の裂け目の中からバンド名のとおり、とびきりの爆弾を仕掛けてくれた人なのである(心して聴こう!)。

 ボム・ザ・ベースは1988年にファースト・アルバム『イントゥ・ザ・ドラゴン』を発表している。これは彼の音楽的ルーツであるジャーマン・テクノの影響が大きく比重をしめたものであった。それから3年。長い沈黙があった。今年(1991年)に入って女性ヴォーカリスト、ロレッタをフィーチャーしたシングル「LOVE SO TRUE」がリリースされた。ボム・ザ・ベースではなくティム・シムノン名義であった。例の湾岸戦争による規制のためボム・ザ・ベースなんて名前は使えなかった。音のほうは「えっ、これがティムなの?」と言ってしまいそうなくらいソウル・ミュージック色が強い作品であった。ちっとも悪い作品ではない。でも、それはやはり「爆発するベース音」とは思えなかったし、僕にしてみれば、わがままとはいえ、物足りなかったのである。ふがぁぁ。

 ここに、3年振りのアルバム、本作「UNKNOWN TERRITORY」が届いた。先行してリリースされたシングル「WINTER IN JULY」も「LOVE SO TRUE」同様にポップでソウルフルな曲だった。いい曲だ。でも、わがままな聴き手はいつまでもわがままなものである。僕は、どうしてもあのベース音を、サイバー・テクノを聴きたかったのである。(リミックス・ヴァージョンは、あのボム・ザ・ベース!といった感じだったけどね)。まあ、そんな複雑な感情をもって、本作に挑んだ。で、1曲目「THROUGH OUT THE ENTIRE WORLD」のイントロが始まれば・・・。

 これなのである。このかっこよさ。これがボム・ザ・ベースなのである。僕は嬉しい。以下、各曲の解説なぞ不要であろう。ただ、一応、ライナーノーツらしくデータを挙げておこう。ゲスト・ミュージシャンとして、鈴木賢二、そして屋敷豪太が参加している。鈴木賢二のギターは、けっして弾きすぎることなく、ストイックに無機質な趣で導入されている。彼のテクニックとティムの資質が見事に結実した曲が、たとえば2曲目の「SWITCHING CHANNELS」であろう。僕個人としては、好きな曲である(このタイプの曲もシングル・カットしてほしいよん)。

 ところで僕は、本作リリース前に、ロンドンでティム・シムノンとそのメンバーたちに会っている。ティムはかつて雑誌でみた、帽子とパーカーとスマイル・マークが似合う、「サンダーバード」をサンプリングするような笑顔の少年ではなかった。それはそうである。なにしろあれから3年たったのだから。その3年の間にティムも当然変わったのだ。もはやスマイル・マークは必要ないし、キャップを被ることもない。髪も短くさっぱりとして、一見、物静かな好青年である。それを想うとシングル「WINTER IN JULY」が懐かしく響く。7月の冬。

 「2度目の恋の夏」は確実に終わったことなのである。だからこそ、新しい爆弾が必要なのだ。3年前の爆弾ではない。夏の終わりと新たなる始まりを予感させる、素敵な爆弾が。そして、あなたが今手にとっているコレは、きっと、僕らを夢中にしてくれる爆弾にちがいない。夏よ、また来い!

(野田努)

0 件のコメント:

コメントを投稿