1993年6月21日月曜日

VARIOUS 「エリア・コード313 | デトロイト・テクノ・コンピレーション」

 


黒いアンヴィエント・ハウス

アメリカ合衆国、ミシガン州、デトロイト。

アメリカ全土からみれば、小さな都市の部類に入るここデトロイトは、自動車産業を基盤として台頭したアメリカ有数の工業都市である。人口の80%以上を占めるのが黒人ということもあり、モータウンに代表されるブラック・ミュージックの盛んな都市としても有名だ。この地に、「デトロイト・テクノ」なるプライオリティの高い独自のサウンドが誕生して、はや6年。光陰矢のごとし、月日の流れの何と早いことか。「デトロイト・テクノ」の音楽的性格は硬質かつ金属的、機械的にして野性的なリズムをベースにしたアンヴィエント・ハウスであること。アンヴィエント・ハウスといえば、いまでは「ブライアン・イーノ→KLF→オーヴ」という、一連のプログレッシヴ・ロックからの派生型的ハウスを指す。

 しかしアンヴィエント・ハウスのカテゴライズは、単にそれに止まらない。その構成要素として、808ステイト「パシフィック」が重要な位置を占めることをご存知だろうか。ZTTレコーズから、この曲でデビューを果たした808ステイトだが、同時にインディ時代の最大のヒット曲でもあったことを知る人は意外と少ない。ZTT盤ではもうあまり感じられないが、インディ盤ではこの曲を最後に脱退したジェラルド・シンプソンの影響が色濃く反映されている。それは、何か?

ベース・ライン、である。

 ZTT盤では、鳥の鳴き声のサンプリングやソプラノ・サックスによる美しいメロディーばかりが取り沙汰されたため、この曲に対するベース・ラインの貢献度については語られなかった。しかし黒人特有(ジェラルドはマンチェスター在住の黒人)のうねるようなグルーヴィーなベース・ラインがあってこそ「パシフィック」は「パシフィック」で有り得たのだ。

 その証拠に、808ステイトの曲。「パシフィック」以外、すべてのリズム、ベース・ラインが「ロック」しているのである。やはり白人の構築するダンス・ミュージックと黒人のそれとは、リズム、それもベースラインに大きな違いがあるようだ。

 デトロイト・テクノの魅力も、やはりグルーヴ感のあるアンヴィエント・ハウス、といえるのではないだろうか。デトロイト・テクノ3大プロデューサーのひとりデリック・メイの作品を聴いてほしい。その中でも、デトロイト・テクノ初期の傑作と絶賛されたシングル「ヌード・フォト」は、スピーディーな展開と幻想的なメロディーをもつ第一級のデトロイト・テクノ。ここでも特有の強烈なグルーヴが、そのウネルようなベース・ラインによって打ち出されている。その事実は、彼が最近手掛けた一連の作品でも変わらないようだ。特にイタリア産アンビエント・ハウスの名曲「スエーノ・ラティーノ」のリミックスは、彼の魅カが充分に生かされている。キックとスネアを全面に出さず、16分と32分を絡ませたハイハットと躍動感溢れるテインバレ系パーカッションの組み合わせによって、独特のスピード感をもつトランシーな仕上がりを担っている。


313デトロイト

 このCDのタイトル「エリア・コード313」とは、デトロイトの市外局番からネーミングされたものだ。ここには、アンダーグラウンドなデトロイト・テクノ8作品が収録されている。

 オープニングは、ケニー・ラーキンのニュー・プロジェクト『ダーク・コメディ』。彼はデトロイト・テクノ・ファンならお馴染みのカナダのレーベル「+(プラス)8」で活躍したアーチスト。このカナダ産デトロイト・テクノのレーベルは、その名の通り、ターンテーブルのピッチを「+(プラス)8」にしてDJプレイをさせるのをコンセプトにした超高速デトロイト・テクノ。しかし『ダーク・コメディ』プロジェクトでは、ドラマティックな雰囲気をもつデトロイト・テクノをクリエイトしている。

 リール・バイ・リールは、ジュアン・アトキンスのメトロプレックス発。ジュア

ン・アトキンスは、“マジック”ジュアンの愛称で親しまれるデトロイト・テクノ界のゴッド・ファーザー。彼が参加したリール・バイ・リールの新曲なだけに、独特のグルーヴ感が加味されたサウンドになっている。カール・クレイグといえば『プラネットE』。彼が主宰するこのレーベルは、いま日本でも大人気の新興デトロイト・テクノ・レーベルである。ピース『フリー・ユア・マインド』もそうだが、特にこのCDのラストを飾る69(シックスナイン)『ディザイア』が推薦。アンビエント・ハウス界の「ファンキー・ドラマー」(?)と呼ばれるこの曲を、カール自身はジャズ・ファンクだという。もちろん「いわゆるジャズ・ファンク」とは違うが、既成のデトロイト・テクノとは差別化されるべきそのベース・ラインは、まさに新たな90年代ジャズ・ファンクのカタチなのかも知れない。おそらくいま一番輝いているいるデトロイトのアーチスト、エディー・“フラッシング”フォルクス『ワーウィック』もおもしろい。彼はベルリンのレーベル『トレゾー』からもリリースするなど、その活動の範囲も幅広く、当然彼がクリエイトするサウンドも単なるテクノには止まらない。アンダーグラウンド・レジスタンス『アイ・オブ・ア・ストーム』にも通ずるソウルフルなテクノ・ハウスは、まさに21世紀のディスコ・サウンドに違いない。

 先に述べたとうりデリック・メイ『ヌード・フォト』のライターとして知られるトーマス・バーネットのサボタージュは、極上のアンヴィエント性をもったデトロイト・テクノ・プロジェクト。ドリーミーなアンヴィエントトランス(アンヴィエントートランスを掛け合わせた造語)をダンス・フロアーに享受する無次元クラブ・サウンドといえるだろう。サントニオは、インナーシティ、リース・プロジェクトで有名なケヴィン“マスターリース”サンダーソンとパートナーシップを組んだシングル『ロック・トゥ・ザ・ビート』の大ヒットで知られる人物。またK.E.L.S.E.Y.のマーク・キンシェンは、かってケヴィン・サンダーソンのKMS(彼の頭文字)レコーズからもリリースしていたデトロイト・テクノのパワフル・エイジ。現在はモビーと共同プロダクションを経営する傍ら、B-52's、シェイメンなどのリミックスを手掛ける多忙ぶり。彼のエリア10・レーベルからリリースされていたこの曲は、完全無欠のアンダーグランド・テクノ・チューン。

 インフォネットが企画したこのCDは、すでに昨年末には輸入されて、日本の高感度なナイト・クラヴァーたちにはマスト・スタッフ。最近では入手も困難だったため、実に待望の国内盤リリースだろう。

 デトロイト・テクノとインフォネット、いまイチバン、目が離せないクラブ・トレンドの同期せよ。

1993.4 NOBBYSTYLE

1993年3月21日日曜日

MEGA RAVE PROJECT 「RAVE TECHNOPOLIS TOKYO」


このアルバムを今手にしている人達の大半が
2通りの人種に分かれるのではないかと思う。
1つは「YMOオタク」で、往年のYMOの名曲が
現代テクノ風にアレンジされリミックスされたとは一大事!
一体どんなものになってしまったのだろう?と手に入れてしまった人。
そしてもう一つは「ジュリアナイケイケギャル&フリーク」とその予備軍で、
「えっあのDJジョン・ロビがリミックスしたアルバムなの!」と
YMOの実体はさておき、「ジュリアナ・トーキョー」というブランドが
ヴィトンやベルサーチと共に必須アイテムになってしまっている人達だ。
まぁいずれにせよ「YMO」という1つのテーマに於いて
全く逆の人種が共通感を見い出せるというのは素晴らしい事である。

それにしても実際現在のジュリアナで
レイヴっちゃってるグルーヴァー達が20歳くらいだとすると
YMO全盛の79~80年頃は小学校のて学年、ということは
ほとんどYMOがなんなのかということも知らない人も多いのではないだろうか?
まぁ僕がリアルタイムで聴いていたのも中学1,2年位だから無理もないか…。

ちなみにそんな迷い子チャン達にちょっと説明しておくと、
YMOというのは紛れも無く日本が世界に誇れる最高のアーティスト集団であり、
テクノロジーの象徴ともいえるべく
70年台後期~80年台中期に活躍していたテクノグループである。
メンバーは坂本龍一、細野晴臣、高橋ユキヒロの3人。
この3人の名前は当然知ってると思うが、
グループ解散後もそれぞれが大活躍しており、
まさに時代のクリエイターとして
10年以上も君臨しつづけている偉大なグループなのである。

5年位前から世界的なブームとなり、
現在ではダンスグルーヴものの基本とも成りえている「ハウスミュージック」。
その基本的な流れにおいても大きく貢献したYMOは、
現在でも多くのアーティストに影響を与え、
テクノ系のアーティストや、それを操るDJ達の間でも彼らは神様的存在である。
もともとテクノ系の音源のクリック音を主とする「アシッドハウス」や「テクノ・ハウス」は、
YMOやクラフトワークに影響を受けた次世代の手によるムーヴメントであり、
「ソウルの原点ゴスペルにあり」的な感覚の従属関係を持っているはずだ。
そして何よりもそれらを構成する機材類がYMOブーム周辺に大流行した
アナログ系の機材であるということがそれらを証明している。
リズム・ボックスのTR-808、909、現在入手困難なTB-303など
YMO世代が提案した新たな音楽構築の世界は今でも受け継がれているのだ。

さてさて話が大分飛躍してしまったが、
昨年あたりから何やらYMO周辺が騒がしくなってきている。
YMO作品の発売元であるA社からは様々なYMO企画アルバムが発売され、
リミックスものなども何枚か登場している。
808ステイツやウイリアムオービットなどYMOに想いを寄せるそうそうたるメンバーが
リミックスを担当したリミックスものなどが(内容はともかくとして)その代表格であるが、
本作品がおそらく関連ものとしては最後のプロダクツになるであろう。
なぜならばYMO辞退が再結成され、
多分夏頃にオリジナルアルバムが出てしまうからである。
ここ1、2年彼らの再結成の噂が出ては消えるという事がくりかえされてきたが、
今回はどうやら"マジ"らしい。
既にレコーディングに入っているというのも業界筋の常識の様だ。
これはYMOファンが心待ちにしていた最高の状態になったわけである。

さて、そうなってくると気になるのは音の方、
僕が聞いた当初の噂だと「今回は実は全部生楽器らしい」とか
「君に胸キュン調の歌謡テクノだ」とか様々な噂が流れていたが、
僕のある友人が坂本氏に直接問いかけたところ「それはノーコメント」と言いつつも
「最近オーブとかどう? 君DJやってるんだろう? "アンビエント"とか好き?」と、
逆に聞かれたそうだ。
それから一歩的に予測すると
「環境音楽とかをテーマにしたアンビエント系のテクノ」というのが濃厚な線だろう。
(と、僕は勝手に思っている。)
まあ僕達の様なポストYMOキッズ(?)にとっては
「BPM速くて踊れるやつがいいよー」とごねたくなるところだが、
それはこのYMOカヴァーを聴いて納得することにしたい。

という訳で、イケイケのジュリアナギャル達もYMOがいかに偉大なグループか、
そして今年、YMOムーヴメントが
いかに注目されているかということがおわかりになっただろうか。
今からでも充分間に合うので、YMOの動きを抑えておけば、
きっと今年も目立ちまくれるからチェックしてみてくれ。

さてさて今回のこのアルバム、
実にうまくYMOの名曲の数々をハードコアテクノ風にアレンジしており、
お立ち台でグルーヴできちゃう乗り乗りのテクノハウスに仕上がっている。
それもこれもジョンロビンソンの
常にグルーヴを大事にしているNo.1 DJとしての力量であるのだが。
そのジョンがプレイしているジュリアナ・トーキョーは
現在の日本のNo.1ディスコであり、その噂は誰もが周知の通りである。
芝浦にあるボーリング場の1階にあるこの大型ディスコは
一昨年5月にオープンして以来日に日に噂が噂を呼び週末ともなると
3000人もの人数を動員するスゴイ"箱"である。
「ジュリアナギャル」と呼ばれるミニスカ・ボディコンのおネーさま方が
お立ち台でひらひらセンスを振り回しながらレイヴっちゃって
DJジョンのMCにあおられ、ダンスフロアーはまさに興奮(レイヴ)状態。
ここに行けばバブルも不況も忘れてしまうという「夢の楽園」なのである。

現在はディスコ不況時代と言われている。
がしかし、ジュリアナの状況を見てるとそんな事は全く感じられない。
確かに全国的にディスコやクラブの数は減ってきてるし、
ジュリアナ以外はどこもあまり良い状況ではなかった。
しかし最近になって少し状況が変わりはじめている。
ジュリアナに影響を受けた全国のディスコが「ハードコアテクノ」を中心とした選曲と
「イケイケのノリ」によって息を吹き返してきたのである。
日本のディスコ変遷を見ても常に隆盛の裏には
「ハイエナジー」と「ユーロビート」などの"イケイケ"なダンスビートが影を操っていた。
故に「ディスコは"ハードコアテクノ"と"ジュリアナ"に救われる」という見解も
あながち間違いではなさそうだ。
年間60本以上も全国のディスコをまわっている僕もそう思っているのだからまちがいない(笑)。
そして何より今年予測されるYMOムーヴメントと共に
新しいテクノ元年としての動向に期待がかかる。
ジュリアナイケイケギャルがYMOを理解した時、
そんな瞬間がハウス後進国と言われている日本の大逆襲が始まる時ではないだとうか。
このアルバムがそんなムーヴメントの橋渡しをする
「MIDIケーブル」であると僕は実感している。

MOTSU(MORE DEEP)

1993年3月20日土曜日

ビザール INC 「エナジーク」


フリーキーなTECHNO-RAVEからラヴリーなDISCO-TECHへ
これがビザール・インクのエナジー・ディスコティーク!

  いきなり極私的なお話で恐縮なんだけど、昨年の秋頃、トニー・ハンフリーズのCDを制作した佐藤&杉沢両氏に呼ばれてパーティーのDJをやらせて頂いた時のこと。結構夜も更けてクラウドもダレはじめた時、佐藤研さんがそれまでのステディなガラージ・ハウスから、何ともテクノな、でもすっごく黒くウネるインストものにチェンジしたんです。ワォ、格好いいってDJブースでクレジットを確かめたらこれが何とハッピー・マンデイズのシングル。この一曲で僕、目覚めちゃいましてねぇ。初めてシカゴ・ハウスを知った時みたくレコード屋さんまわりしたら、テクノ・ビート+ディスコ・フレイヴァーな、近未来っぽくて、でもどっかラヴリーでレトロなマンデイズタイプのサウンドはちょっとしたブームになってたみたいで、そのテが続々と見つかるんです。

 このマンデイズのシングルをリミックスしたのがテリーファーレイ&ピート・ヘラーのバレアリック・チームだったので、同じくUKバレアリック・シーンの親玉、ポール・オークンフォードが手掛けたELISAの「LOVE VIBRATION」ってのを最初に買ったらこれが大当たり。それからはCOCO STEEL & LOVE BOMBの「YOU CAN'T STOP THE GROOVE」に、ノマドの新曲(バーバラ・ペニントンのカヴァー・ディスコ!)、ヘヴン17までがBROTHERS IN RHYTHMをリミキサーに従えてDISCO-TECHしてたり、ついにはあのブラン・ニュー・ヘヴィーズもDAVE LEE(JOEY NEGROの方が解りやすい?)ミックスによるレトロ・ディスコなヴァージョンを作ったり。そして、ダメ押しの輸入版I-D誌「AGE OF D」(DISCOの時代)と云う特集。レイヴ・パーティーでキレまくってたロンドンっ子の移り気は今、ディスコ。刺激の強いハードコア・オンリーから、それらテクノのトゲと昔のディスコものが発してたいかがわしくもラヴリーなノリをミックスした世界こそがINNらしいのだ。

 で、さっそく。僕はダンスもの雑誌「PUMP」から依頼されてたコラムのタイトルを"MAGIC TOUCH DISCO-TECH"とさせて貰った。第一回目のレヴューは勿論ビザール・インク。そして程なく彼らの日本盤発売の知らせ。そしてついには今週付ビルボード・クラブ・チャートでC+Cのニュー・プロジェクトを抑さえて堂々の1位。USでも成功してたんだね。頑張れ、ビザール・ディスコ!

 このアルバムの話をしよう。スリーヴをみて頂けば解ると思うけど、このアルバムは前半部が、レーベルメイトのEONのミックスを含む1991年のマンチェスター録音。僕がひつこい位にDISCO-TECH!と指摘しているのは6以降の後半部で、92年ロンドンで録音されている。つまりはレイヴ・シーンの花形として活躍していた時期から、もう一歩進んだコンセプトを得るまでの歩みをスッキリと打ち出してみせた訳だが、全篇後半部の勢いで占めてほしい僕には納得のゆかない選曲でもある。これに対しメンバーのディーンは"レーベル側がそうしてほしいって云ったから"と淡白でちょい残念…。逆に全曲、前半部のようなハードコアを期待した昔からのファンもしっくりいかないんじゃないかな。デビュー当初の彼らってまさしくレイヴ・テクノの始祖だったしね。ハードコア・テクノは彼らからはじまったと云っても過言じゃない程の過去を彼らはもってるのさ。

 カール・ターナー、ディーン・メレディス、アンディ・ミーチャムの3人から成るビザール・インクは89年、スタフォードで結成されている。「イギリスで最も退屈な街」と云うここでディーンは現ALTERN 8のマーク・アーチャーと知り合い、4人はビザール・インク最初のヒット「TECHNOLOGICAL」を作る。しかし、マークの余りに芝居がかったKLFもどきにヘキエキした3人はすぐさま彼と訣別。「スタフォードがテクノ・シティなんて言う奴もいたけど、それはマークん家のベッドルームだけの話さ」続いて彼らはレイヴに陽性なノリを織り込んだ「IT'S TIME TO GET FUNKY」「SUCH A FEELING」をヒットさせるが「エナジーク」→ENERGY DISCOTHEQUEと云うコンセプトからズレてしまった上記3曲は本作に収録されていない。それにしても、ハードコア・シーンの牽引車だった彼らがUSアンダーグラウンド派もまっ青のソウル・テクノ(?)でアルバム・デビューを果たしたのは何故?

「どんなに成功したって俺達はアンダーグラウンド・ピープルを忘れない。アンダーグラウンド・シーンのパワーは俺達の基本だからな」とアンディ。

「俺達はこのアルバムで自分達自身のアンダーグラウンド性を上手くアピールできたと思うよ。テクノからディスコまで、見事にクロスオーヴァーしてるだろ?アンダーグラウンドはサウンドのスタイルじゃない。スピリットなんだ。」とカール。

 どうやら彼らのテクノから今日の姿までの転身は、クラブやレイヴの熱気を充分に吸い込んだ彼らならではのスポンティニアスな姿勢によるものらしい。前述のテリー・ファーレイやポール・オークンフォードも今でこそレーベル・オーナーやNO.1プロデューサーだけど、元々はイビザ帰りのパーティー大好き青年。現場の空気を吸ってる奴らは本当、早いなぁ。流行先取型遊び人の君、今月からカー・ステにはJリアナと、DISCO-TECHネタもよろしく!

 さて、スペースの都合もあり全曲についてコメントは出来ないのだけど、USでも大当たりの6でビザール・ディスコにハマった人には是非8 9 10そして11の繰り返しプレイをすすめる。テクノ好きなガールフレンドと一緒なら1~5だろうけどね。あと、このテのサウンドをもっと追及したい人は、AVEX TRAXのCDを買いあさって下さい!

[1993.1.15 本根 誠]

1993年1月25日月曜日

808State 「Gorgeous」


 808ステイトが'91年初めに出したアルバム『Ex:el』は、今聴いてもほんとうにすごいアルバムだと、心からそう思う。「パシフィック・ステイト」に代表される、オーガニックで流麗なサウンドと、激しく躍動するテクノ・サウンドが奇跡のように結びついたこの『Ex:el』は、エレクトロニクスが生んだ精巧なアンドロイドのようなものだったのではないだろうか。

 僕たちがかつて聴いたことのないフューチャー・サウンドに彩られたこの『Ex:el』は当然のように売れに売れまくり、イギリスではトップ5アルバムとなり、ゴールド・ディスクにまでなった。「イン・ヤー・フェイス」「リフト」「ウープス」という、3つのシングル・ヒットを生み、ツアーを行なえば地元マンチェスターのG-MEXをソールド・アウトさせるのは当然、なおかつアメリカやここ日本でもソールド・アウトに近い売れ行きを示した808ステイト。彼らの「イン・ヤー・フェイス」や「キュービック」は、'91年から'92年にかけてダンス・ミュージック・シーンを席巻するテクノ・ブームの火付け役をみごとに果たし、中には“キュービック22"なんていうモロパクリのグループまで登場してしまうくらいの影響をシーンに与えたのである。

 また、808ステイトもしくはグレアム・マッシー名義でのリミックス・ワークも相変わらず数多くこなしてもきた。フィニトライブのシングル「101」やプライマル・スクリームの「ドント・ファイト・イット・フィール・イット」を始めとして、珍しいところではイエスの「ロンリー・ハート」やデヴィッド・ボウイの「サウンド・アンド・ヴィジョン」のリミックスで世間をあっと言わせたりしている。そしてもうひとつ忘れられないリミックスが存在する。それは、メンバーが師とあおぐ日本のテクノ集団YMOの超有名曲「ライディーン」と「灯(LIGHT IN DARKNESS)」のグレアム・マッシー/808ステイト・ヴァージョンだ。これは、彼らのほかにシェイメンやオルタネイト、LFO、スウィート・エクソシストなど、ここ1~2年シーンをにぎわしているイギリスのブリープ・ハウス~ハードコア・テクノ系のアーティストによるYMOのリミックス・アルバム「ハイ・テック/ノー・クライム」に収められたもの。折からのテクノ・ブームに乗っかって、そのパイオニアであるYMOの再評価熱が高まってきた昨今だが、このシェフィールド/マンチェスターという、イギリス北部の二大テクノ・シティのアーティストを中心にしたこのリミックス盤は、大いに話題を呼んだ。その中でも、グレアムの手による「ライディーン」のリミックスは意外な展開で非常に興味深いもので、808ファンは必聴だ。

 という感じで、808ステイトは『Ex:el』で自らテクノ・ブームの種をまき、ツアーのステージでも、ソフトな曲調のものよりも、はるかにヘヴィなサウンドを持つ曲を中心に強固な世界を構築することによってその芽を育ててきた。

 その結果、世はまさにテクノ天国の様相を呈してくるわけだけれども、そうなった後の808ステイトは、何となく意識的にそうしたシーンから一歩引いて、少し離れた部分からそれをながめていたような気もする。というより、もともとそうしたシーンを作ったつもりでもなければ、そこに身を置くつもりもないといった風情でもあったのだろう。彼らは'91年中に前述した3枚のシングルを『Ex:el』からカットした後、ピタリと自身のディスクを出さなくなってしまう。

 そんな折入ってきた大ニュース。それは、4人のメンバーのうちでは最年長者で、バンドのスポークスマン的役割を果たしてきたマーティン・プライスの脱退という、暗いニュースだった。

 音楽紙などで見る限り、マーティンの脱退の理由はこういう感じだ。"『Ex:el』がリリースされた後、808ステイトがもたらしたテクノ/ハードコア・ブームは、808ステイト自身にまで逆に影響をおよぼし始めた。音楽シーンは急速度で変っているのに、808ステイトはメジャー・レーベルの反応の遅さのせいでそのスピードに乗り遅れるようになってきた。マーティンは、リリース・スケジュールの制限と遅れ、そして終りのないミーティングの連続にいや気がさしたのである"――

 このことについては、808ステイトが3人で来日公演を行なった'92年春、グレアムに直接話を聞くことができたので紹介しておこう。「実は(マーティンには)やめてもらったんだよ。なぜかというと、これはもう方向性の違いとしかいいようがない。彼は、昔の808、マニアックなクラブ・サウンドをやる808に戻したがってたんだけど、そういう回帰は12インチ・シングルなんかにはいいだろうし、オタッキーなファンもつくかもしれない。彼はそのためにも12インチ・シングルのリリースを中心とした活動をするよう主張を始めたんだ。でも、僕らはそれには全然賛成できなくて、もっと拡がりのある、より多くの人に聞いてもらえるようなレコードを作りたかった。僕ら3人はそう言ったんだけど、彼はいやだと言うんで、仕方なくやめてもらったという次第だよ」(ポップ・ギア誌'92年6月号/吉村栄一氏によるインタビューより)

 マーティン・プライスは、ジェラルド・シンプソン(ア・ガイ・コールド・ジェラルド)が在籍した頃の808ステイト、クリード・レコードからデビュー・アルバム「NEWBUILD」をリリースした頃の、ゴリゴリのアシッド・ハウス時代に戻りたがっていたのだろうか。元々マーティンは、マンチェスターのレコード・ショップ、イースタン・ブロックの3人のオーナーのうちのひとりだった。それゆえ、コンテンポラリーなダンス・ミュージックの動向についてはメンバーの中でもずば抜けて詳しかったわけである。現在マーティンは、スウィッツランド(SWITZLAND)なるプロジェクトをスタートさせているときくが、それよりも重要なブレーンを失った808ステイトの行く末を案じたのは僕だけではあるまい。

 だが、そんな日本人の不安などどこ吹く風と言わんばかりに、3人になった808ステイトは'92年2月末、2度目の来日を果たす。題して「THE TECHNOTAKU TOUR」。おいおい、何てネーミングだよこれわあ おこるぞこら。

 が、ステージは悪くなかった。すべては杞憂に終わったようである。

 「パシフィック・ステイト」「キュービック」などのヒット・ナンバーに加え、3曲の新曲「レモン」「ノーマン」「10×10」、そして何とアフリカ・バンバータの「プラネットロック」のカヴァーまで演ってしまった新生808ステイトは、目も眩むようなレーザー・ビームの乱舞の中で、よりヘヴィでポップな姿を僕たちに見せてくれたのだ。

 それから半年。'92年8月には新生808ステイトのニュー・マテリアルが我々のもとに到着した。そのシングル「タイムボム」は、ヴォコーダーが誇らし気に「エイト・オー・エイト」を連呼する(YMOの「テクノポリス」を思い出してしまったぜ)、短いながらも激しいテクノ・チューンである。

 次いでは本稿執筆時点では未発売だが、おそらく11月末にはもう1枚のシングル「ワン・イン・テン」のリリースがあるはず。そして年明け早々、世間の期待を担うニュー・アルバムが、いよいよそのヴェールを脱ぐ。


 タイトルは『ゴージャス』。


 何とも凄いタイトルだ。『Ex:el』だって相当なものだと思うけど、今回はさらにその上を行ってる。そういえば、『Ex:el』のライナーも僕が担当させてもらったんだけど、あの拙文を僕は「これはいい。何というゴージャスなここちよさだろう」というセンテンスで始めていたんだった。先見の明ありでしよ(笑)。

 それはさておき、このタイトルについてはグレアム・マッセイからのメッセージがある。「この“ゴージャス”という言葉には、いろいろな意味がある。“すばらしい”という意味だけど、それはシリアスにもなるし、逆にすごくふざけた感じでも使えるんだ。808ステイトの音楽はいつも深刻なわけじゃなくて、ユーモアのセンスにあふれていることを人々は見落としがちなんだ。YMOだってそうだったようにね。“ゴージャス”という言葉も、そんな二面性があるから、まさにこのアルバムのサウンドを反映していると思う」

 うーん、しかし本当にこのアルバムは“ゴージャズ”だ。サウンド的にも、ムード的にも、そしてゲスト陣も、である。

 前作『Ex:el』では、ニューオーダーのバーナード・サムナーと、シュガーキューブスのビョーク(彼女は最近、808ステイトのヘルプでソロ・アルバムを完成させたようだ)という豪華ゲストの参加が話題になったけれど、その点ではこの『ゴージャス』も抜かりはない。

 まずは2曲目の「MOSES」を聴いてほしい。僕も初めは耳を疑った。まさか……! この曲を808ステイトと共作し、ヴォーカルもとっているのは、元エコー&ザ・バニーメン、現在はソロで活躍する酔いどれマックことイアン・マッカロクその人なのである。両者の結び付きはとても意外なものだったが、この邂逅をもたらしたのは、この二組に共通するライティング・マンだったという。イアンはこれまで808ステイトの音楽を実際に耳にしたことがなかったという(ホントかよ?)。で、たまたまこの『ゴージャス』のデモ・トラックを何曲か耳にして、それまで嫌いなタイプの音楽だと思っていた808のエレクトロニック・ミュージックが、実はとてもいいものだということに気づいたんだそうだ。808のメンバーも、イアンの声に魅力を感じていたということで、両者のコラボレーションが実現したのである。その結果はお聴きのとおり。マイナー・キーの哀愁を帯びたバック・トラックに、マックのエモーショナルなヴォーカルはきわめてしっくりとはまっているのがわかるはずだ。そういえばグレアムが「マックは今、KLFのビル・ドラモンドと何かやっているみたいだよ」と語っていたが次のマックのアルバムは全篇ダンス・サウンドになったりして、ね。

 ゲスト・ヴォーカリストとしてはもうひとり、6曲目の「EUROPA」で浮遊感覚あふれる声を聴かせるキャロライン・シーマンにも触れておこう。彼女は4ADレーベルのオーナー、アイヴォ・ワッツ・ラッセルのプロジェクトであるディス・モータル・コイルのセカンド・アルバム「銀細工とシャドー」('87年)で、ワイヤーの「アローン」や、オリジナルの「レッド・レイン」で美しいヴォーカルを聴かせていた女性シンガーである。808ステイトがベルギーでフォト・セッションを行った時のカメラマンのガールフレンドが彼女で、その時メンバーは彼女のテープを受けとった。後になってそれを聴いて、彼らはすぐに彼女に電話したんだそうである。808ステイトは彼女の声にほれ込んでいて、今後また共作の可能性もあるらしい。

 アルバムからの2枚目のシングルでもある5曲目の「ワン・イン・テン」は、バーミンガムのインターナショナル・レゲエ・グループ、UB40の初期のヒット・ナンバー(UKチャート7位)の808ヴァージョンである。この意外なアイディアは、ダレン・パーティントンの作ったドライヴ用のテープに始まった。彼は古いポップ・レコードとダンスのブレイクビーツをミックスしたテープをいろいろ作ってるそうなんだけど、その中でUB40とテクノを組み合わせてみたら、けっこういいものになったから、ということらしい。この曲のベースラインがまたクセモノで、オリジナルも似ているんだけど、こうして808ステイト・ヴァージョンで聴くと、シンセ・ベースがもうモロにクラフトワークのモデル(アルバム「人間解体」に収録)のそれなんだよね。

 そして、この『ゴージャス』の中でも、おそらくマニアの話題を一手に集めそうなのが3曲目「CONTRIQUE」。わかる人にはわかるこのベースライン。そう、これはマンチェスターの誇るカルト(?)バンド、ジョイ・ディヴィジョンの「シーズ・ロスト・コントロール」(アルバム「アンノウン・プレジヤース」に収録)のベースラインなんだ!!

 「これは僕のアイディア。ダンス・レコードにすごくダークなものを持ち込むというね。いい効果をもたらしたと思う。早くてエキサイティングなムードの曲の中に、いきなりジョイ・ディヴィジョンが出てくるなんて、誰も思いもしないだろ? コントラストが効いてるし、クラシカルなムードももたらされていると思う。マンチェスターのクラブでこの曲をプレイすると、すごく盛り上がるよ。オリジナルはダンス・フロアには絶対流れないと思うけどね(笑)」

 この『ゴージャス』は、テクノ・ブームに対する808ステイトからの返答であるのだろうか?

 「確かに“キュービック”や“イン・ヤー・フェイス"のヒットが多くの人々をヘヴィな音楽に向かわせるきっかけを作ったことは事実だ。だが、それはいいことばかりではなかった。ここ一年くらいで、イギリスのヘヴィ・テクノは本当につまらなくなってしまった。それはほとんどロック・ミュージックといっていいようなものであり、でも僕たちが追求していたのはもっとイマジネイディヴな音楽だからね。『Ex:el』はそういったイマジネイディヴ・ミュージックのいい例さ。あの中には確かにヘヴィなテクノもあったけどそればかりじゃないだろう? しかし実際にはハードコアな方向ばかりが取り沙汰されてしまったんだ。『Ex:el』がそういったブームの火付け役となったのは確かだけど、もっと別の方向への影響だったらよかったよね。808ステイトの音楽は、よりイマジネイディヴでクリエイティヴなものだ。この『ゴージャス』は、ちまたにあふれる中身のないハードコアものへの挑戦状と受けとってもらってかまわない」(グレアム)

 そう、この『ゴージャス』は、もはや一般レベルで考えられる"テクノ・アルバム”ではないのだ。確かに新しいテクノロジーはガンガン使われているし、複雑になってもいる。しかし何よりすごいのは、テクノロジーを駆使すればするほど陥りやすい罠から、808ステイトは完全に逃れていることだ。まず、このアルバムは、アッパーイケイケなムード(「10×10」「タイムボム」など)と、ゆったりとくつろいだムード(「BLACKMORPHEUS」など)がバランスよく共存することによって、モノトナスになる危険性を回避している。そしてもうひとつ、ここで聴けるエレクトロニック・ミュージックが決して“非人間的”なものではないということ。808ステイトはこれまでも、高度なテクノロジーを使いつつも、アナログ的な質感を大事にすることによって、マシーナリーになることなく暖かみのあるサウンドをクリエイトしてきた。しかるに808ステイトは、『ゴージャス』において、そのサウンドに香るような“なまめかしさ”を加えてきたのである。もうこれは“色気”といいかえてもいい。このあまりに艶っぽい音の感触は、凡百の808コピー・バンドがいくらがんばっても、絶対に追いつけない領域にまで達している。

 この『ゴージャス』を聴いた後では、“エレクトロニック・ミュージックは魂や感情に欠ける”といった物言いはもはや無効である。これは、最新のテクノロジーが生み出した、'90年代のソウル・ミュージックなのだ。これが本物なのだ。もはや寄り道していることは許されない。ここにのみ、真実がある。

 かくして、テクノは新たな段階へと進んだ。そのあかし、それがこの『ゴージャス』である。

[1992年9月29日(NOVEMBERREMIX) 杉田元一]

1992年12月16日水曜日

Urban Hype 「Conspiracy to Dance」

 


 今、ロンドンのクラブ・シーンは恐ろしく複雑化している。例えば週末にクラブに行こうと思ったとしても、自分の好みにあった曲をかけてくれる店にめぐり逢えるまでに何軒もはしごして、結局それを見つけられないまま、朝になってしまうかも知れない。レイヴに行くような人達や、黒人などの間では、倍速のブレーク・ビーツとヘヴィなベースが特徴の「ラガ・テクノ」または「ブレイクビーツ・テクノ」が人気だし、わりと裕福でトレンド好きな人は、バレアリックの流れを汲む「プログレッシブ・ハウス」を聴いている。家でも聴けるようなディテールに凝ったトランシーな音は「インテリジェント・テクノ」なんて呼ばれてるし、ドイツ、ベルギーの硬質なハードコア、エネルギッシュなイタロなども健在だ。

 アーバンハイプは、かなり強烈にこの辺の事情を理解しているように思う。いきなり全英トップ5にランクインし、クラブだけでなくポップスのフィールドでも話題をさらった「トリップ・トゥ・トランプトン」は、表面的には高速ブレークビーツを強調したレイヴ・チューンなのだが、音の洗練のされ方や、曲の途中でピアノのブレークが入り、曲調ががらっと変わるところなどに、ハードなだけに終始しない、彼らのしたたかなポップセンスが伺える。実は、この「トランプトン」というのはこども向けのテレビ人形劇のタイトルで、途中で出てくる変な歌は、登場人物の名前を連呼する主題歌からのサンプリングだ。この手の洒落は、イギリス人の得意とするところで、ハウス系でもFABの「サンダーバード」とか、プロディジーの「チャーリー」とか、数え出すと結構出てくる。今一番記憶に新しいところでは、スマートE'ズの「セサミストリート」が思い浮かぶが、あれは原曲をそのまま頂いてて、売らんかなの姿勢がミエミエでやな曲だった。こういう、心無い盗人達のために、アーバン・ハイプまでもが、一部の人達の間で『子供だましのカートゥーン・テクノ』とくくられてしまったのは残念なことだ。しかし、このデビューアルバムで、そんな悪評は一気にふっ飛んでしまうことだろう。今のところ、手元には10月に出たシングル「ザ・フィーリング」の音しかないのだが、これを聴く限り、「トランプトン」とは全く違う世界が展開されており、どちらかと言うと、プログレッシブ・ハウスに近い音で面白い。恐らくこれは、彼らの原盤をリリースしているフェイズ2レーベル(ロザーラなどの所属するパルス8の下部レーベル)のカラーに、より近いのではないだろうか。フェイズ2の音は、気持ちの良いハウス・ビートを主体にしながらも、あらゆる種類の音楽を取り込んで、幻想的なグループを作り出している。(最近のヒットでは、INTUITIONの“DANCE WITH ME”が素晴らしく良かった。エイベックストラックスよりリリースされているので是非聴いてみてほしい。)その他にも、幻のデビューシングルに収められていた「テクノロジー」という曲も入っているし、アンビエント・テイストの曲もあると言うことで、アーバン・ハイプのすべてが分かる決定版と呼んでも差し支えないようなアルバムになっている。

 アーバンハイプは、ボビーDと、マーク・ルイスという2人のユニットだ。「トリップ・トゥ・トランプトン」のビデオで見たことのある人も多いかと思うが、SFチックな衣裳に身を包み、いかれた痙攣ダンスをする彼らの姿は、テクノ狂以外の何者でもない。実際、「トランプトン」のスリーブには、尊敬の念を示すとして、シェイズ・オブ・リズム、GTO、ベルトラム、リアクト2リズム、などの名前が挙げられている。いずれも現在のテクノ・シーンをリードしているアーティスト達だが、この顔触れには、彼らの音を匂わせるところが少なからずあるので、「ウ~ン、そうか」とうなずける人も結構いるんじゃないかな。特に、シェイズ・オブ・リズムという名前には注目すべきだ。彼らは、N-JOY、シェイメンなどと並んで、ライブを重視するテクノ系アーティスト達の間では神格化された存在なのだ。ということは、やはりアーバン・ハイプも、ライブに力を入れているということだろう。資料によれば、アーバン・ハイプは、「トランプトン」がヒットする前から既に、レインダンスやアムネシアといったレイヴを始めとして、イギリス中のクラブ/レイヴをツアーして回っていたらしい。以前は、テクノはライブ出来ない、またはやっても意味が無い、みたいな事が半ば常識的に言われていたが、今や、それは覆され、第一線で活躍するアーティストの大半がライブを精力的に行なっている。逆に言えば、ライブもできず、自己完結してしまっているような奴にはヒットする曲は作れないってことかも。プロディジーだって、ユタ・セインツだって、プラガ・カーンだって、ALTERN 8だって、アンダーグラウンド・レジスタンスだって…世界中の未来派電子音楽作家達は、既にDJの叩き出す永遠の反復ビートに天国状態になっているダンサー達を、自分達の曲で更なる高みに連れていこうと、日夜クラブやレイヴのステージで戦っているのだ。アーバン・ハイプのステージは、見たことが無いのでどんなものなのか分からないが、「トリップ・トゥ・トランプトン」の麻薬のようなリズムが精製された現場であることは、間違いないだろう。

 いずれにしても、彼らが今後日本でも大きくなっていくのは、ほぼ確信できる。このCDを手に取ったとき、あなた自身も半信半疑だったとしても、今は、自分の選択眼に自信を持っていいと思う。まだまだ、この手の音を大音量でかけてくれるクラブが日本には少ないのが残念だが、アーバン・ハイプの作り出すめくるめくビートに腰を思いっ切り揺らして、その快感にレイヴの匂いを感じて欲しい。そのうち、生の彼らを見られる日もやって来るかも知れないぞ!

(KEN=GO→)

L.A.スタイル「THE ALBUM」


L.A.スタイルはディスコの救世主である。
DJにとっても、ディスコ・フリークにとっても‥‥。

(1991年初め、ディスコは死んでいた)

 1980年代中盤までは日本のディスコは
独自の音楽センスで作り上げられていた。
ロックあり、ソウルあり、ポップスありと、
一般の人達の理解できる範囲内でダンス・シーンを作り上げていたのである。
ところが1980年代も中盤を過ぎると、
海外からの情報や12inchレコードが容易に手に入る様になり、
DJ達は特殊な知識を頭に入れながらプレイをする様になる。
DJとしての地位を確立する為にある者はマイナーな音源に走り、
ある者はニューヨークやロンドンのヒット・チャートを
羅列するだけの選曲をしてみたりと、
前提条件(客層、時間、空気)を無視する事が増えていったのである。
もっともそこに拍車をかける様に、雑誌や放送媒体では
RAPやハウスを「今は、この時代」なんて紹介するので、
小心者のDJ達(もっとも僕も足を入れてしまった口だが)は
あたかも自分が世界のダンス・ミュージックの先端を走っていると思い込み、
ダンス・フリーク達の二ーズとかけ離れ始めたのであった。
90年を迎える頃になると俗に言う常連客達も
「やっぱ、今はハウスよね!!」なんて事を言い出したのだから、
ますます店はアングラの方向に進まざるを得ないのだが、
ドラッグや泥酔のない日本のディスコに受け入れられるパワーは乏しく、
DJとディスコ・フリーク達はお互いに「何か必要なのか!?亅が解っていながら
啀み合いの時を過ごしていたのだ。
そんな時、ディスコに於ける暗雲を断つ様に
デス・テクノ~L.A.スタイル~が登場したのである。

(L.A.スタイルとディスコの再燃)

 L.A.スタイル。
オランダ人のミュージシャン&プロデューサーのデンジル・スレミングと
MC(ラップ)のスタンリー・フートのユニット。
仕事でスレミングがロスアンゼルス(L.A.)に行った時、
ナイト・クラブで酔った男が「ジェームズ・ブラウン・イズ・デッド!!」と
繰り返し叫んでいた事にショックを受け、
名作「ジェームズ・ブラウン…」を作った話はあまりにも有名。
 とにもかくにも今のディスコにLAスタイルが作った功績は大きい。
それはダンス・フロアーで現在狂気乱舞されているヒット曲のベースは
「ジェームズ・ブラウン…」であるし、DJはダンス・フリークのニーズを
新しいジャンル(デス・テクノ~L.A.スタイル~)で提供できた事もそうだ。
「もしこの曲が日本に紹介されていなかったら、今ディスコは?」
なんて考えると身の毛がよ立つ思いに駆られる。
そしてこのデンジル・スレミング(L.A.スタイル)という男、
これからも常にとんでも無い事を考え出して、
世界にショックを与え続けるのだろうな。

DJ&FM番組制作 中根"POPPO"康尋

1992年10月25日日曜日

オーパスIII・フィーチャリング・カースティ 「イッツ・ア・ファイン・デイ」

 

 「イッツ・ア・ファイン・デイ」は一聴して迷わず買ったシングルだった。オーパスIIIというプロジェクト名は初めてみる名前だったけれど、美しく透明なヴォーカリゼーションとバックのテクノ・サウンドが妙にマッチしていて、その何とも形容しがたい魅力に一発で惹かれてしまったのである。

 原曲が1983年にチェリー・レッド・レコードからリリースされたジェーンの歌うアカペラの、日本ではCFにも使われたあれだということはすぐにわかった。が、1992年のヴァージョンは原曲のような、精神と自然との普遍的な情景をアコースティック・サウンドで創出しようとしたチェリー・レッドならではのスタティックな響きとは大いに位相を異にしたものである。1992年のヴァージョンにはダイナミズムがあった。快楽的な味わいがあった。

 オーパスIIIの話に入る前にこのプロジェクトを裏で支える380レコードというプロダクションについて触れておきたい。ここの中心人物がピート・ウォーターマンだということを言えば、多くのダンス・ミュージック・ファンはピンと来るであろう。ウォーターマンはマイク・ストック、マット・エイトケンとともにプロデューサー・チームを組み、80年代のダンス・カルチャーをメジャーな場で先導していった代表的な人物である。このライナーを書いている今、最新号(92年9月号)の英『FACE』誌をパラパラとめくっていたら、たまたまディスコ文化に関する記事に出くわし、そこには80年代の重要なダンス・クリエイターとしてマドンナ、ペット・ショップ・ボーイズ、イエローらに混じって、ストック/エイトケン/ウォーターマンの名が記されていた。「ストック/エイトケン/ウォーターマン、ディスコ・マシーンの彼らはディスコを活性化し続ける・・・」

 ハウスやテクノによって日本でもダンス・ミュージックが注目されているが、そのムーヴメントは80年代の終りに始まったことでは決してない。すでに70年代の終りから、ポピュラー・ミュージックはダンスへと向かっていった。パンク熱が冷えた70年代の終りから80年代初頭にかけて、たとえばロンドンの街を席巻したのはニュー・ロマンティックスと呼ばれた人達だった。デビッド・ボウイやロキシー・ミュージックなどの流れを継承する彼らは、目一杯着飾っては夜な夜なクラブ遊びをして、ダンス・ミュージックを楽しんだ。これが後に英国のジャーナリズムに「ナイト・クラビング」と呼ばれるライフスタイルの原形を作っていったわけだ。

 ナイト・クラビング・カルチャーは、ハイエナジーやユーロビートを支持し、一方ウエスト・エンドではレア・グルーヴなどソウルリヴァイヴァルをも促していった(ちなみにハイエナジーの中心的クラブ<ヘヴン>は後のアシッド・ムーブメントでも重要な働きをした)。こうした状況からレイヴァー(RAVER)が出現してくるわけだが、このナイト・クラビング・カルチャーをメジャーで展開したもののひとつが、かのバナナラマであった。そして、バナナラマのメジャー大ヒットを仕掛けたのがストック/エイトケン/ウォーターマンなのである。ナイト・クラビングのロマンスを、この3人はメジャー・シーンで表現することに成功したのだった。

 話は少しそれるが、ハウス・ミュージックをロンドンで真っ先に支持したのがニュー・ロマンティックス(ハイ・エナジー)の連中で、また、イビサ島へ赴き遊び惚けて、最初にバレアリック・ビートの虜になったのも彼らだった。この流れと、ウエスト・エンドから来るソウル・ウィークエンダーズ(レア・グルーヴ)の熱狂、それからデトロイトからのテクノなどが入り交じって、88年英国のダンス・ミュージック爆発の通称セカンドサマー・オブ・ラヴは用意されたのである。

 ストック/エイトケン/ウォーターマンは87年からP.W.L.プロダクションを設立する。そしてカイリー・ミノーグやジェイソン・ドノヴァンなどを見出しそれらは見事に大ヒット、P.W.L.はダンス・ミュージックのプロフェッショナルとして不動の地位を築いてしまったのである。

 ちなみに、今年になって解散してしまったThe KLFのジミー・コーティが現在ブルー・パールのユースと80年代半ばに組んでいたディスコ・バンドのブリリアントはWEA在籍時のアルバムで、やはり当時WEAでA&Rをやっていたビル・ドラモンドの計らいから、プロデュースをストック/エイトケン/ウォーターマンに依頼している。ところが、それなりに売れたこのアルバムはしかし3人に払ったプロデューサー料より売り上げが低かったために、結局ブリリアントは長く続かなかったわけである。まあ、それでもビルドラモンドはインタビューでストック/エイトケン/ウォーターマンのことを高く評価していたのだから、この3人の存在はよほど大きなものなのだろう。

 さて、オーパスIIIである。ダンス・ミュージックのプロフェッショナル、ピート・ウォーターマンを中心にした380レコードが92年に放った注目の新人である。これは注目するに相応しい新しい才能であろう。それではオーパスIIIのメンバーを紹介する。

 まずもっとも注目すべきはヴォーカリストのカースティ。ジャケットに映っている彼女の容姿はなるほど今までに出会ったことのない雰囲気を漂わせている。その彼女をバックアップしているのがイアン・マンロウ、ナイジェル・ウォルトン、ケヴィン・ドッズ。

 「イッツ・ア・ファイン・デイ」はもともとはこの3人で、原曲に打ち込みを加えたものとしてプレイしていた。が、それならいっそヴォーカリストを入れてカヴァーとして演った方がいいということでカースティをスカウト、オーパスIIIが生まれた。ところで、カースティとの出会いのエピソードが面白くて、3人のメンバーがロンドンの北、ハートフォード州の森で、小鳥の声をサンプリングしている時にハーブを摘みに来ていたカースティと偶然出会ったというのだ。カースティは作曲家のアラン・ホークショウの娘で、少女の頃からクラシックの教育を受けていたそうだ。父アランの名は今作でもコンポーザーとして記されている。

 デビュー・シングル「イッツ・ア・ファイン・デイ」は見事にナショナルチャートの一位に輝いた。僕は冒頭に、この原曲をリリースしたチェリー・レッドを「精神と自然との普遍的な情景をアコースティック・サウンドで創出しようとした」と形容したけれど、91年のオーパスIIIのカヴァー・シングルは、繰り返すようだが、そこに躍動感が加わった。躍動感はウォーターマンらがダンス・カルチャーのなかで獲得したものだろうと僕は考えている。大袈裟かもしれないけれど、自然の霊性を満喫すること、体をリズムにのせること、この両者はある意味で非常に近しい行為なのかもしれない。

 セカンド・シングルの「風に語りて」はキング・クリムゾンのファースト・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』2曲目に収録されたものだが、原曲の厭世的で文学的な部分が、それをダンスビートにのせることで、よりスマートに表現できている。原曲の厭世的な雰囲気よりも、うたのモチーフになっている「風」の部分が突出してて清らかでさえあると思う。

 だいたい曲名がいい。「スターズ・イン・マイ・ポケット」「シー・ピープル」「エヴォリューション・ラッシュ」・・・・・・。80年代初頭のチェリー・レッドにはその後エヴリシング・バット・ザ・ガールで成功するトレーシー・ソーンがいたわけだが、今回デビューしたカースティは乱暴な言い方かもしれないけれど、当時のチェリー・レッド周辺(トレーシー・ソーン、モノクローム・セット、フェルト、ベン・ワット、ファイヴ・オア・シックス等々)が指標した詩情を、この1992年のサウンドで表現しようとする存在ではないのか。チェリー・レッドは先に述べたニュー・ロマンティックスとは交わらぬ、ある種の精神宇宙を獲得しようとする動きであった。ジェーンの「イッツ・ア・ファイン・デイ」はアカペラであるがゆえに女性のもつ神秘性と自然観を表現できた。それはナイト・クラビング・カルチャーとは無縁であろうとする意志でもあった。が、ナイト・クラビング・カルチャーは80年代の終りからニュー・エイジ思想と交わり、やがてアンビエント・ハウスなる音楽まで創出してしまう。ナイト・クラビングの側から自然をテーマにした音楽が生まれてしまったのである。オーパスIIIはそれをさらに明確な形で表した。オーパスIIIは対角線上に位置していたナイト・クラビング・カルチャーとニュー・アコースティック・ムーヴメントの、その両者を結ぶ存在のような気がする。カースティは隣の女の子ではなく、どう見ても森のフェアリー(妖精)である。しかもこの妖精は舞う妖精だ。過去のウォーターマンが手がけたアーティストにはこういうキャラクターはいなかった。

 僕が「イッツ・ア・ファイン・デイ」を迷わず買った理由はそういうことである。

野田努