(古くはD.A.FやDIE KRUPPS、最近ではKMFDMなど)。
そしてその78年、この日本に〈YMO〉(イエロー・マジック・オーケストラ)が登場するのである。
完全なる〈クラフトワーク〉の影響下にあったにせよ、
東洋的オリエンタルな旋律が海外でも高い評価を受け、
(日本国内での反応は先に触れた通り)
特にニューロマンティック・ムーブメント※前夜のイギリスでは、
そのムーブメントの仕掛け人達〈スティーブ・ストレンジ〉(VISAGE)や〈ミッジ・ユ一口〉
(後にULTRA VOXのリード・ヴォーカルになる)等によって広く紹介され、
ロンドンの最先端CLUBでは、
ニューロマンティック・ファッションに着飾った若者達が夜毎に、
この東洋のコンピューターサウンドで乱舞していたという
(※パンク・ムーブメント以降、NEW WAVEと呼ばれていたシーンの中で、
最も大きな動きをしていたムーブメントで、
〈DURAN DURAN〉などがこのシーンから誕生した)。
又、イギリス国内からも、「エレポップ」(エレクトロニック・ポップスの略)と呼ばれる
サウンドが。あちこちから聞こえてくるようになり、
(O.M.D、HUMAN LEAGUE、SOFT CELL、HEAVEN 17、etc……)
クラブからDISCOへとまたたく間にテクノ―エレクトリック・ビートが浸透していったのである。
80年代初期~中期にかけて、DISCOは12インチ・シングルと共に、
よりディスコ向けのサウンドを必要とする様になり、「HI・ENERGY」サウンドが生まれる。
それとは別に、オリジナル・テクノを継承するアーティストとして、〈デペッシュ・モード〉が、
ギ夕-サウンドにテクノロジーを融合することによって
全く新しいダンス・ミュージックを〈ニュー・オーダー〉が奏で、
そのヨーロッパ的なメロディ・ラインを引き継ぎ「ハイ・エナジー」は「ユ一口・ビート」へと変化する。
この辺りでは、<デッド・オア・アライブ〉や〈ペット・ショップ・ボーイズ〉といったアーティスト達が、
あからさまにクラブ/ディスコをターゲットにしたシングルをリリースして、
この日本でも一大ディスコ・ブームが到来する。
そして「サンプリング」という優れた技術がー連のZTTのアーティスト達を送り出した。
くフランキー・コース・トウ・ハリウッド〉〈アート・オブ・ノイズ〉〈プロパガンダ〉等である。
同時期、アメリカ大陸では、全く違ったアプローチから、
また新しいダンス・ミュージックが生まれた。
2台のターン・テーブルと1台のディスコ・ミキサーを駆使して、
その上にラップを重ねるといったこのスタイルは「HIP HOP」と呼ばれ、
世界中に猛威を発揮する。
そして更にクラブの黒人クリエイター達は、安物のリズム・マシンをつかい
「HOUSE」という踊るための音楽を作りだすのである
(この時期、初期のクラフトワークの曲や、エレポップの曲などがネタとしてよく使われた)。
「ハウス・ミュージック」は80年代後半にロンドンに飛び火、
「アシッド・ハウス」が生まれ、人々は更に刺激的なサウンドを求めて
「エレクトリック・ボディ・ミュージック」が急浮上する。
又、アシッド・ハウスから別な流れも派生し「テクノ・ハウス」が誕生する。
「90Sテクノ・レボリューション」である。
テクノ・ハウスは、よりリラックスできる「アンビエント・ハウス」と、
ベルギー産ボディ・ミュージックを吸収した
「ハード・コア・テクノ」へと二分化する(T99、CUBIC22)。
ハード・コア・テクノは、イギリス・レイブ(野外パーティー)シーンで一大旋風を巻き起こし、
ヨーロッパ・アメリカへとその威力を発揮(これには〈KLF〉の功績も大きい)。
所々言葉が足りない所もあるが、大体の流れはこういう事である。
そして「オー・ボニック」登場である。ダンス・ミュージック―テクノの流れを考えれば、
アメリカからこのてのアーティストが出てくるのは当然のことなのである。
しかしながら、当然とは言っても、
オー・ボニックの様なアーティストが沢山いる訳ではなく、
彼等はアメリカ・レイブシーンのパイオニア的存在といえるだろう。
ニューヨークにあるサウンド・ラボ「ZOO」で作られたそのサウンドは、
テクノのフィーリングを活かしつつ、
更にアメリカの持つダイナミックなエネルギーが注入され、パワー全開に展開されている。
70年代後半に誕生した「テクノ」は、様々な文化、歴史を飲み込み、90年代に蘇った。
これから先、ダンス・ミュージックは、よりいっそうテクノヘと向かい、更に加速し続けるであろう。