1993年3月21日日曜日

MEGA RAVE PROJECT 「RAVE TECHNOPOLIS TOKYO」


このアルバムを今手にしている人達の大半が
2通りの人種に分かれるのではないかと思う。
1つは「YMOオタク」で、往年のYMOの名曲が
現代テクノ風にアレンジされリミックスされたとは一大事!
一体どんなものになってしまったのだろう?と手に入れてしまった人。
そしてもう一つは「ジュリアナイケイケギャル&フリーク」とその予備軍で、
「えっあのDJジョン・ロビがリミックスしたアルバムなの!」と
YMOの実体はさておき、「ジュリアナ・トーキョー」というブランドが
ヴィトンやベルサーチと共に必須アイテムになってしまっている人達だ。
まぁいずれにせよ「YMO」という1つのテーマに於いて
全く逆の人種が共通感を見い出せるというのは素晴らしい事である。

それにしても実際現在のジュリアナで
レイヴっちゃってるグルーヴァー達が20歳くらいだとすると
YMO全盛の79~80年頃は小学校のて学年、ということは
ほとんどYMOがなんなのかということも知らない人も多いのではないだろうか?
まぁ僕がリアルタイムで聴いていたのも中学1,2年位だから無理もないか…。

ちなみにそんな迷い子チャン達にちょっと説明しておくと、
YMOというのは紛れも無く日本が世界に誇れる最高のアーティスト集団であり、
テクノロジーの象徴ともいえるべく
70年台後期~80年台中期に活躍していたテクノグループである。
メンバーは坂本龍一、細野晴臣、高橋ユキヒロの3人。
この3人の名前は当然知ってると思うが、
グループ解散後もそれぞれが大活躍しており、
まさに時代のクリエイターとして
10年以上も君臨しつづけている偉大なグループなのである。

5年位前から世界的なブームとなり、
現在ではダンスグルーヴものの基本とも成りえている「ハウスミュージック」。
その基本的な流れにおいても大きく貢献したYMOは、
現在でも多くのアーティストに影響を与え、
テクノ系のアーティストや、それを操るDJ達の間でも彼らは神様的存在である。
もともとテクノ系の音源のクリック音を主とする「アシッドハウス」や「テクノ・ハウス」は、
YMOやクラフトワークに影響を受けた次世代の手によるムーヴメントであり、
「ソウルの原点ゴスペルにあり」的な感覚の従属関係を持っているはずだ。
そして何よりもそれらを構成する機材類がYMOブーム周辺に大流行した
アナログ系の機材であるということがそれらを証明している。
リズム・ボックスのTR-808、909、現在入手困難なTB-303など
YMO世代が提案した新たな音楽構築の世界は今でも受け継がれているのだ。

さてさて話が大分飛躍してしまったが、
昨年あたりから何やらYMO周辺が騒がしくなってきている。
YMO作品の発売元であるA社からは様々なYMO企画アルバムが発売され、
リミックスものなども何枚か登場している。
808ステイツやウイリアムオービットなどYMOに想いを寄せるそうそうたるメンバーが
リミックスを担当したリミックスものなどが(内容はともかくとして)その代表格であるが、
本作品がおそらく関連ものとしては最後のプロダクツになるであろう。
なぜならばYMO辞退が再結成され、
多分夏頃にオリジナルアルバムが出てしまうからである。
ここ1、2年彼らの再結成の噂が出ては消えるという事がくりかえされてきたが、
今回はどうやら"マジ"らしい。
既にレコーディングに入っているというのも業界筋の常識の様だ。
これはYMOファンが心待ちにしていた最高の状態になったわけである。

さて、そうなってくると気になるのは音の方、
僕が聞いた当初の噂だと「今回は実は全部生楽器らしい」とか
「君に胸キュン調の歌謡テクノだ」とか様々な噂が流れていたが、
僕のある友人が坂本氏に直接問いかけたところ「それはノーコメント」と言いつつも
「最近オーブとかどう? 君DJやってるんだろう? "アンビエント"とか好き?」と、
逆に聞かれたそうだ。
それから一歩的に予測すると
「環境音楽とかをテーマにしたアンビエント系のテクノ」というのが濃厚な線だろう。
(と、僕は勝手に思っている。)
まあ僕達の様なポストYMOキッズ(?)にとっては
「BPM速くて踊れるやつがいいよー」とごねたくなるところだが、
それはこのYMOカヴァーを聴いて納得することにしたい。

という訳で、イケイケのジュリアナギャル達もYMOがいかに偉大なグループか、
そして今年、YMOムーヴメントが
いかに注目されているかということがおわかりになっただろうか。
今からでも充分間に合うので、YMOの動きを抑えておけば、
きっと今年も目立ちまくれるからチェックしてみてくれ。

さてさて今回のこのアルバム、
実にうまくYMOの名曲の数々をハードコアテクノ風にアレンジしており、
お立ち台でグルーヴできちゃう乗り乗りのテクノハウスに仕上がっている。
それもこれもジョンロビンソンの
常にグルーヴを大事にしているNo.1 DJとしての力量であるのだが。
そのジョンがプレイしているジュリアナ・トーキョーは
現在の日本のNo.1ディスコであり、その噂は誰もが周知の通りである。
芝浦にあるボーリング場の1階にあるこの大型ディスコは
一昨年5月にオープンして以来日に日に噂が噂を呼び週末ともなると
3000人もの人数を動員するスゴイ"箱"である。
「ジュリアナギャル」と呼ばれるミニスカ・ボディコンのおネーさま方が
お立ち台でひらひらセンスを振り回しながらレイヴっちゃって
DJジョンのMCにあおられ、ダンスフロアーはまさに興奮(レイヴ)状態。
ここに行けばバブルも不況も忘れてしまうという「夢の楽園」なのである。

現在はディスコ不況時代と言われている。
がしかし、ジュリアナの状況を見てるとそんな事は全く感じられない。
確かに全国的にディスコやクラブの数は減ってきてるし、
ジュリアナ以外はどこもあまり良い状況ではなかった。
しかし最近になって少し状況が変わりはじめている。
ジュリアナに影響を受けた全国のディスコが「ハードコアテクノ」を中心とした選曲と
「イケイケのノリ」によって息を吹き返してきたのである。
日本のディスコ変遷を見ても常に隆盛の裏には
「ハイエナジー」と「ユーロビート」などの"イケイケ"なダンスビートが影を操っていた。
故に「ディスコは"ハードコアテクノ"と"ジュリアナ"に救われる」という見解も
あながち間違いではなさそうだ。
年間60本以上も全国のディスコをまわっている僕もそう思っているのだからまちがいない(笑)。
そして何より今年予測されるYMOムーヴメントと共に
新しいテクノ元年としての動向に期待がかかる。
ジュリアナイケイケギャルがYMOを理解した時、
そんな瞬間がハウス後進国と言われている日本の大逆襲が始まる時ではないだとうか。
このアルバムがそんなムーヴメントの橋渡しをする
「MIDIケーブル」であると僕は実感している。

MOTSU(MORE DEEP)

1993年3月20日土曜日

ビザール INC 「エナジーク」


フリーキーなTECHNO-RAVEからラヴリーなDISCO-TECHへ
これがビザール・インクのエナジー・ディスコティーク!

  いきなり極私的なお話で恐縮なんだけど、昨年の秋頃、トニー・ハンフリーズのCDを制作した佐藤&杉沢両氏に呼ばれてパーティーのDJをやらせて頂いた時のこと。結構夜も更けてクラウドもダレはじめた時、佐藤研さんがそれまでのステディなガラージ・ハウスから、何ともテクノな、でもすっごく黒くウネるインストものにチェンジしたんです。ワォ、格好いいってDJブースでクレジットを確かめたらこれが何とハッピー・マンデイズのシングル。この一曲で僕、目覚めちゃいましてねぇ。初めてシカゴ・ハウスを知った時みたくレコード屋さんまわりしたら、テクノ・ビート+ディスコ・フレイヴァーな、近未来っぽくて、でもどっかラヴリーでレトロなマンデイズタイプのサウンドはちょっとしたブームになってたみたいで、そのテが続々と見つかるんです。

 このマンデイズのシングルをリミックスしたのがテリーファーレイ&ピート・ヘラーのバレアリック・チームだったので、同じくUKバレアリック・シーンの親玉、ポール・オークンフォードが手掛けたELISAの「LOVE VIBRATION」ってのを最初に買ったらこれが大当たり。それからはCOCO STEEL & LOVE BOMBの「YOU CAN'T STOP THE GROOVE」に、ノマドの新曲(バーバラ・ペニントンのカヴァー・ディスコ!)、ヘヴン17までがBROTHERS IN RHYTHMをリミキサーに従えてDISCO-TECHしてたり、ついにはあのブラン・ニュー・ヘヴィーズもDAVE LEE(JOEY NEGROの方が解りやすい?)ミックスによるレトロ・ディスコなヴァージョンを作ったり。そして、ダメ押しの輸入版I-D誌「AGE OF D」(DISCOの時代)と云う特集。レイヴ・パーティーでキレまくってたロンドンっ子の移り気は今、ディスコ。刺激の強いハードコア・オンリーから、それらテクノのトゲと昔のディスコものが発してたいかがわしくもラヴリーなノリをミックスした世界こそがINNらしいのだ。

 で、さっそく。僕はダンスもの雑誌「PUMP」から依頼されてたコラムのタイトルを"MAGIC TOUCH DISCO-TECH"とさせて貰った。第一回目のレヴューは勿論ビザール・インク。そして程なく彼らの日本盤発売の知らせ。そしてついには今週付ビルボード・クラブ・チャートでC+Cのニュー・プロジェクトを抑さえて堂々の1位。USでも成功してたんだね。頑張れ、ビザール・ディスコ!

 このアルバムの話をしよう。スリーヴをみて頂けば解ると思うけど、このアルバムは前半部が、レーベルメイトのEONのミックスを含む1991年のマンチェスター録音。僕がひつこい位にDISCO-TECH!と指摘しているのは6以降の後半部で、92年ロンドンで録音されている。つまりはレイヴ・シーンの花形として活躍していた時期から、もう一歩進んだコンセプトを得るまでの歩みをスッキリと打ち出してみせた訳だが、全篇後半部の勢いで占めてほしい僕には納得のゆかない選曲でもある。これに対しメンバーのディーンは"レーベル側がそうしてほしいって云ったから"と淡白でちょい残念…。逆に全曲、前半部のようなハードコアを期待した昔からのファンもしっくりいかないんじゃないかな。デビュー当初の彼らってまさしくレイヴ・テクノの始祖だったしね。ハードコア・テクノは彼らからはじまったと云っても過言じゃない程の過去を彼らはもってるのさ。

 カール・ターナー、ディーン・メレディス、アンディ・ミーチャムの3人から成るビザール・インクは89年、スタフォードで結成されている。「イギリスで最も退屈な街」と云うここでディーンは現ALTERN 8のマーク・アーチャーと知り合い、4人はビザール・インク最初のヒット「TECHNOLOGICAL」を作る。しかし、マークの余りに芝居がかったKLFもどきにヘキエキした3人はすぐさま彼と訣別。「スタフォードがテクノ・シティなんて言う奴もいたけど、それはマークん家のベッドルームだけの話さ」続いて彼らはレイヴに陽性なノリを織り込んだ「IT'S TIME TO GET FUNKY」「SUCH A FEELING」をヒットさせるが「エナジーク」→ENERGY DISCOTHEQUEと云うコンセプトからズレてしまった上記3曲は本作に収録されていない。それにしても、ハードコア・シーンの牽引車だった彼らがUSアンダーグラウンド派もまっ青のソウル・テクノ(?)でアルバム・デビューを果たしたのは何故?

「どんなに成功したって俺達はアンダーグラウンド・ピープルを忘れない。アンダーグラウンド・シーンのパワーは俺達の基本だからな」とアンディ。

「俺達はこのアルバムで自分達自身のアンダーグラウンド性を上手くアピールできたと思うよ。テクノからディスコまで、見事にクロスオーヴァーしてるだろ?アンダーグラウンドはサウンドのスタイルじゃない。スピリットなんだ。」とカール。

 どうやら彼らのテクノから今日の姿までの転身は、クラブやレイヴの熱気を充分に吸い込んだ彼らならではのスポンティニアスな姿勢によるものらしい。前述のテリー・ファーレイやポール・オークンフォードも今でこそレーベル・オーナーやNO.1プロデューサーだけど、元々はイビザ帰りのパーティー大好き青年。現場の空気を吸ってる奴らは本当、早いなぁ。流行先取型遊び人の君、今月からカー・ステにはJリアナと、DISCO-TECHネタもよろしく!

 さて、スペースの都合もあり全曲についてコメントは出来ないのだけど、USでも大当たりの6でビザール・ディスコにハマった人には是非8 9 10そして11の繰り返しプレイをすすめる。テクノ好きなガールフレンドと一緒なら1~5だろうけどね。あと、このテのサウンドをもっと追及したい人は、AVEX TRAXのCDを買いあさって下さい!

[1993.1.15 本根 誠]