1993年1月25日月曜日

808State 「Gorgeous」


 808ステイトが'91年初めに出したアルバム『Ex:el』は、今聴いてもほんとうにすごいアルバムだと、心からそう思う。「パシフィック・ステイト」に代表される、オーガニックで流麗なサウンドと、激しく躍動するテクノ・サウンドが奇跡のように結びついたこの『Ex:el』は、エレクトロニクスが生んだ精巧なアンドロイドのようなものだったのではないだろうか。

 僕たちがかつて聴いたことのないフューチャー・サウンドに彩られたこの『Ex:el』は当然のように売れに売れまくり、イギリスではトップ5アルバムとなり、ゴールド・ディスクにまでなった。「イン・ヤー・フェイス」「リフト」「ウープス」という、3つのシングル・ヒットを生み、ツアーを行なえば地元マンチェスターのG-MEXをソールド・アウトさせるのは当然、なおかつアメリカやここ日本でもソールド・アウトに近い売れ行きを示した808ステイト。彼らの「イン・ヤー・フェイス」や「キュービック」は、'91年から'92年にかけてダンス・ミュージック・シーンを席巻するテクノ・ブームの火付け役をみごとに果たし、中には“キュービック22"なんていうモロパクリのグループまで登場してしまうくらいの影響をシーンに与えたのである。

 また、808ステイトもしくはグレアム・マッシー名義でのリミックス・ワークも相変わらず数多くこなしてもきた。フィニトライブのシングル「101」やプライマル・スクリームの「ドント・ファイト・イット・フィール・イット」を始めとして、珍しいところではイエスの「ロンリー・ハート」やデヴィッド・ボウイの「サウンド・アンド・ヴィジョン」のリミックスで世間をあっと言わせたりしている。そしてもうひとつ忘れられないリミックスが存在する。それは、メンバーが師とあおぐ日本のテクノ集団YMOの超有名曲「ライディーン」と「灯(LIGHT IN DARKNESS)」のグレアム・マッシー/808ステイト・ヴァージョンだ。これは、彼らのほかにシェイメンやオルタネイト、LFO、スウィート・エクソシストなど、ここ1~2年シーンをにぎわしているイギリスのブリープ・ハウス~ハードコア・テクノ系のアーティストによるYMOのリミックス・アルバム「ハイ・テック/ノー・クライム」に収められたもの。折からのテクノ・ブームに乗っかって、そのパイオニアであるYMOの再評価熱が高まってきた昨今だが、このシェフィールド/マンチェスターという、イギリス北部の二大テクノ・シティのアーティストを中心にしたこのリミックス盤は、大いに話題を呼んだ。その中でも、グレアムの手による「ライディーン」のリミックスは意外な展開で非常に興味深いもので、808ファンは必聴だ。

 という感じで、808ステイトは『Ex:el』で自らテクノ・ブームの種をまき、ツアーのステージでも、ソフトな曲調のものよりも、はるかにヘヴィなサウンドを持つ曲を中心に強固な世界を構築することによってその芽を育ててきた。

 その結果、世はまさにテクノ天国の様相を呈してくるわけだけれども、そうなった後の808ステイトは、何となく意識的にそうしたシーンから一歩引いて、少し離れた部分からそれをながめていたような気もする。というより、もともとそうしたシーンを作ったつもりでもなければ、そこに身を置くつもりもないといった風情でもあったのだろう。彼らは'91年中に前述した3枚のシングルを『Ex:el』からカットした後、ピタリと自身のディスクを出さなくなってしまう。

 そんな折入ってきた大ニュース。それは、4人のメンバーのうちでは最年長者で、バンドのスポークスマン的役割を果たしてきたマーティン・プライスの脱退という、暗いニュースだった。

 音楽紙などで見る限り、マーティンの脱退の理由はこういう感じだ。"『Ex:el』がリリースされた後、808ステイトがもたらしたテクノ/ハードコア・ブームは、808ステイト自身にまで逆に影響をおよぼし始めた。音楽シーンは急速度で変っているのに、808ステイトはメジャー・レーベルの反応の遅さのせいでそのスピードに乗り遅れるようになってきた。マーティンは、リリース・スケジュールの制限と遅れ、そして終りのないミーティングの連続にいや気がさしたのである"――

 このことについては、808ステイトが3人で来日公演を行なった'92年春、グレアムに直接話を聞くことができたので紹介しておこう。「実は(マーティンには)やめてもらったんだよ。なぜかというと、これはもう方向性の違いとしかいいようがない。彼は、昔の808、マニアックなクラブ・サウンドをやる808に戻したがってたんだけど、そういう回帰は12インチ・シングルなんかにはいいだろうし、オタッキーなファンもつくかもしれない。彼はそのためにも12インチ・シングルのリリースを中心とした活動をするよう主張を始めたんだ。でも、僕らはそれには全然賛成できなくて、もっと拡がりのある、より多くの人に聞いてもらえるようなレコードを作りたかった。僕ら3人はそう言ったんだけど、彼はいやだと言うんで、仕方なくやめてもらったという次第だよ」(ポップ・ギア誌'92年6月号/吉村栄一氏によるインタビューより)

 マーティン・プライスは、ジェラルド・シンプソン(ア・ガイ・コールド・ジェラルド)が在籍した頃の808ステイト、クリード・レコードからデビュー・アルバム「NEWBUILD」をリリースした頃の、ゴリゴリのアシッド・ハウス時代に戻りたがっていたのだろうか。元々マーティンは、マンチェスターのレコード・ショップ、イースタン・ブロックの3人のオーナーのうちのひとりだった。それゆえ、コンテンポラリーなダンス・ミュージックの動向についてはメンバーの中でもずば抜けて詳しかったわけである。現在マーティンは、スウィッツランド(SWITZLAND)なるプロジェクトをスタートさせているときくが、それよりも重要なブレーンを失った808ステイトの行く末を案じたのは僕だけではあるまい。

 だが、そんな日本人の不安などどこ吹く風と言わんばかりに、3人になった808ステイトは'92年2月末、2度目の来日を果たす。題して「THE TECHNOTAKU TOUR」。おいおい、何てネーミングだよこれわあ おこるぞこら。

 が、ステージは悪くなかった。すべては杞憂に終わったようである。

 「パシフィック・ステイト」「キュービック」などのヒット・ナンバーに加え、3曲の新曲「レモン」「ノーマン」「10×10」、そして何とアフリカ・バンバータの「プラネットロック」のカヴァーまで演ってしまった新生808ステイトは、目も眩むようなレーザー・ビームの乱舞の中で、よりヘヴィでポップな姿を僕たちに見せてくれたのだ。

 それから半年。'92年8月には新生808ステイトのニュー・マテリアルが我々のもとに到着した。そのシングル「タイムボム」は、ヴォコーダーが誇らし気に「エイト・オー・エイト」を連呼する(YMOの「テクノポリス」を思い出してしまったぜ)、短いながらも激しいテクノ・チューンである。

 次いでは本稿執筆時点では未発売だが、おそらく11月末にはもう1枚のシングル「ワン・イン・テン」のリリースがあるはず。そして年明け早々、世間の期待を担うニュー・アルバムが、いよいよそのヴェールを脱ぐ。


 タイトルは『ゴージャス』。


 何とも凄いタイトルだ。『Ex:el』だって相当なものだと思うけど、今回はさらにその上を行ってる。そういえば、『Ex:el』のライナーも僕が担当させてもらったんだけど、あの拙文を僕は「これはいい。何というゴージャスなここちよさだろう」というセンテンスで始めていたんだった。先見の明ありでしよ(笑)。

 それはさておき、このタイトルについてはグレアム・マッセイからのメッセージがある。「この“ゴージャス”という言葉には、いろいろな意味がある。“すばらしい”という意味だけど、それはシリアスにもなるし、逆にすごくふざけた感じでも使えるんだ。808ステイトの音楽はいつも深刻なわけじゃなくて、ユーモアのセンスにあふれていることを人々は見落としがちなんだ。YMOだってそうだったようにね。“ゴージャス”という言葉も、そんな二面性があるから、まさにこのアルバムのサウンドを反映していると思う」

 うーん、しかし本当にこのアルバムは“ゴージャズ”だ。サウンド的にも、ムード的にも、そしてゲスト陣も、である。

 前作『Ex:el』では、ニューオーダーのバーナード・サムナーと、シュガーキューブスのビョーク(彼女は最近、808ステイトのヘルプでソロ・アルバムを完成させたようだ)という豪華ゲストの参加が話題になったけれど、その点ではこの『ゴージャス』も抜かりはない。

 まずは2曲目の「MOSES」を聴いてほしい。僕も初めは耳を疑った。まさか……! この曲を808ステイトと共作し、ヴォーカルもとっているのは、元エコー&ザ・バニーメン、現在はソロで活躍する酔いどれマックことイアン・マッカロクその人なのである。両者の結び付きはとても意外なものだったが、この邂逅をもたらしたのは、この二組に共通するライティング・マンだったという。イアンはこれまで808ステイトの音楽を実際に耳にしたことがなかったという(ホントかよ?)。で、たまたまこの『ゴージャス』のデモ・トラックを何曲か耳にして、それまで嫌いなタイプの音楽だと思っていた808のエレクトロニック・ミュージックが、実はとてもいいものだということに気づいたんだそうだ。808のメンバーも、イアンの声に魅力を感じていたということで、両者のコラボレーションが実現したのである。その結果はお聴きのとおり。マイナー・キーの哀愁を帯びたバック・トラックに、マックのエモーショナルなヴォーカルはきわめてしっくりとはまっているのがわかるはずだ。そういえばグレアムが「マックは今、KLFのビル・ドラモンドと何かやっているみたいだよ」と語っていたが次のマックのアルバムは全篇ダンス・サウンドになったりして、ね。

 ゲスト・ヴォーカリストとしてはもうひとり、6曲目の「EUROPA」で浮遊感覚あふれる声を聴かせるキャロライン・シーマンにも触れておこう。彼女は4ADレーベルのオーナー、アイヴォ・ワッツ・ラッセルのプロジェクトであるディス・モータル・コイルのセカンド・アルバム「銀細工とシャドー」('87年)で、ワイヤーの「アローン」や、オリジナルの「レッド・レイン」で美しいヴォーカルを聴かせていた女性シンガーである。808ステイトがベルギーでフォト・セッションを行った時のカメラマンのガールフレンドが彼女で、その時メンバーは彼女のテープを受けとった。後になってそれを聴いて、彼らはすぐに彼女に電話したんだそうである。808ステイトは彼女の声にほれ込んでいて、今後また共作の可能性もあるらしい。

 アルバムからの2枚目のシングルでもある5曲目の「ワン・イン・テン」は、バーミンガムのインターナショナル・レゲエ・グループ、UB40の初期のヒット・ナンバー(UKチャート7位)の808ヴァージョンである。この意外なアイディアは、ダレン・パーティントンの作ったドライヴ用のテープに始まった。彼は古いポップ・レコードとダンスのブレイクビーツをミックスしたテープをいろいろ作ってるそうなんだけど、その中でUB40とテクノを組み合わせてみたら、けっこういいものになったから、ということらしい。この曲のベースラインがまたクセモノで、オリジナルも似ているんだけど、こうして808ステイト・ヴァージョンで聴くと、シンセ・ベースがもうモロにクラフトワークのモデル(アルバム「人間解体」に収録)のそれなんだよね。

 そして、この『ゴージャス』の中でも、おそらくマニアの話題を一手に集めそうなのが3曲目「CONTRIQUE」。わかる人にはわかるこのベースライン。そう、これはマンチェスターの誇るカルト(?)バンド、ジョイ・ディヴィジョンの「シーズ・ロスト・コントロール」(アルバム「アンノウン・プレジヤース」に収録)のベースラインなんだ!!

 「これは僕のアイディア。ダンス・レコードにすごくダークなものを持ち込むというね。いい効果をもたらしたと思う。早くてエキサイティングなムードの曲の中に、いきなりジョイ・ディヴィジョンが出てくるなんて、誰も思いもしないだろ? コントラストが効いてるし、クラシカルなムードももたらされていると思う。マンチェスターのクラブでこの曲をプレイすると、すごく盛り上がるよ。オリジナルはダンス・フロアには絶対流れないと思うけどね(笑)」

 この『ゴージャス』は、テクノ・ブームに対する808ステイトからの返答であるのだろうか?

 「確かに“キュービック”や“イン・ヤー・フェイス"のヒットが多くの人々をヘヴィな音楽に向かわせるきっかけを作ったことは事実だ。だが、それはいいことばかりではなかった。ここ一年くらいで、イギリスのヘヴィ・テクノは本当につまらなくなってしまった。それはほとんどロック・ミュージックといっていいようなものであり、でも僕たちが追求していたのはもっとイマジネイディヴな音楽だからね。『Ex:el』はそういったイマジネイディヴ・ミュージックのいい例さ。あの中には確かにヘヴィなテクノもあったけどそればかりじゃないだろう? しかし実際にはハードコアな方向ばかりが取り沙汰されてしまったんだ。『Ex:el』がそういったブームの火付け役となったのは確かだけど、もっと別の方向への影響だったらよかったよね。808ステイトの音楽は、よりイマジネイディヴでクリエイティヴなものだ。この『ゴージャス』は、ちまたにあふれる中身のないハードコアものへの挑戦状と受けとってもらってかまわない」(グレアム)

 そう、この『ゴージャス』は、もはや一般レベルで考えられる"テクノ・アルバム”ではないのだ。確かに新しいテクノロジーはガンガン使われているし、複雑になってもいる。しかし何よりすごいのは、テクノロジーを駆使すればするほど陥りやすい罠から、808ステイトは完全に逃れていることだ。まず、このアルバムは、アッパーイケイケなムード(「10×10」「タイムボム」など)と、ゆったりとくつろいだムード(「BLACKMORPHEUS」など)がバランスよく共存することによって、モノトナスになる危険性を回避している。そしてもうひとつ、ここで聴けるエレクトロニック・ミュージックが決して“非人間的”なものではないということ。808ステイトはこれまでも、高度なテクノロジーを使いつつも、アナログ的な質感を大事にすることによって、マシーナリーになることなく暖かみのあるサウンドをクリエイトしてきた。しかるに808ステイトは、『ゴージャス』において、そのサウンドに香るような“なまめかしさ”を加えてきたのである。もうこれは“色気”といいかえてもいい。このあまりに艶っぽい音の感触は、凡百の808コピー・バンドがいくらがんばっても、絶対に追いつけない領域にまで達している。

 この『ゴージャス』を聴いた後では、“エレクトロニック・ミュージックは魂や感情に欠ける”といった物言いはもはや無効である。これは、最新のテクノロジーが生み出した、'90年代のソウル・ミュージックなのだ。これが本物なのだ。もはや寄り道していることは許されない。ここにのみ、真実がある。

 かくして、テクノは新たな段階へと進んだ。そのあかし、それがこの『ゴージャス』である。

[1992年9月29日(NOVEMBERREMIX) 杉田元一]