1991年4月25日木曜日

808State 「Ex:el」


  これはいい。何というゴージャスなここちよさだろう。

 808ステイトのニュー・アルバム「EX:EL」――ライナー・ノーツを書くためにレコード会社から渡されたテープを、冗談抜きに朝から晩まで聴き続けたオフィスではウォークマンで、そして家ではスピーカーから流れるエレクトロニクス・サウンドにどっぷりと浸る日は10日ほど続いただろうか。

 まったく飽きないのだ、不思議なことに。2、3日前にCDを手に入れてからは、ほとんどリピートでかけっぱなしにしているのだが、未だに新鮮さを感じるのだ。

 僕は、これを聴きながらThe ORBのアレックス・パターソンの言葉を思い出していた。「ディープにも、意味ありげになってもいけない。心を開き、アンビエンスの中に入り込めばいい。それこそがハウス・ミュージックの美学なのだ。精神を開かれたものにすること――最良のアンビエント・ハウスは決して退屈なものではない。繰り返し一晩中聴き続けたとしても。最良のハウス・ミュージックは、トリガー・メカニズムを持っている。音が唇に降り注ぎ、顔には微笑を浮かべさせてしまうような…」

 808ステイトの「EX:EL」は、そのアレックス・パターソンの定義に従えば、まさに“最良のハウス・ミュージック”に他ならない。だが、何かひっかかる。…。これは"ハウス”なのだろうか?"ハウス”というカテゴライズが、ここにあてはまるのか?もしそうでないとしたら、いったい…?


 808ステイトの成功は、イギリスにおけるハウス・ムーヴメントがアンダーグラウンドを抜け出してオーバー・グラウンドへと躍り出ていった、そのサイクルにちょうどシンクロしている。88年春、マンチェスターで結成された808ステイトが、自分たちのレーベル、Creedから出したファーストアルバム「NEWBUILD」は、アンダーグラウンドなアシッド・ハウス・シーンの一部で話題になったに過ぎなかった。だが、89年夏にリリースしたミニ・アルバム「Quadrastate」で、オーガニックでなめらかなサウンドに転じ、その中の「パシフィック・ステイト」がクラブ・シーンでヒットを記録したことで彼らの運命が変わった。この「パシフィック・ステイト」こそ、808ステイトを一気にメジャー・シーンへと押し上げ、アンダーグラウンドの足かせから解放した上で、ハウス・ミュージックに新しい道を開いたという観点からも、重要な曲となったのである。

 このヒットにより、トレヴァー・ホーンのZTTレーベルとの契約にこぎつけた808ステイトは89年末、「パシフィック・ステイト」の別ヴァージョンを含むアルバム「ナインティ」をリリース、その地盤を着々と固めてゆく。808ステイトの名は、ハウス・シーンにおけるステイタス・シンボルとして注目を集め始め、特にエンジニアとしてのグラハム・マッシーのもとには、さまざまなアーティストのリミキサー/エンジニアとしての仕事依頼が殺到するようになる。インスパイラル・カーペッツの「Joe」を始め、シェイメンの「Human NRG」、元キリング・ジョークのユース率いるブルー・パールの「Naked In The Rain」、フラワーポット・メン改めサンソニックの「Driveaway」、ブライアン・イーノとの共同作業で知られるアンビエント・トランペッター、ジョン・ハッセルの「Voiceprint」など、数多くのレコードに彼らの名前を見出すことができる。「808Remix」というステッカーは、聴き手にとってもおおいに魅力的なものだ。

 これは確かに余技的な仕事にすぎない。しかし彼らはハウスのアーティストとしては珍しくいくつかのツアーをこなし、また昔から彼らと親しい白人ラッパー、MCチューンズのバックトラックを全面的に手掛けながら、808ステイトとしての作品を生み出すことに精力を傾けていくことを忘れたりはしなかった。「ナインティ」の後、「The Extended Pleasure of Dance」、そしてアメリカのみ特別に6曲が追加された米国盤「ナインテイ」およびシングル「Cubik」(ここには後に「EX:EL」に収められる「In Yer Face」が収められている。従って「Cubik」も「In Yer Face」も、アメリカで先にリリースされたということになる)をリリース、続いてイギリスで「Cubik/Olympic」の2枚のリミックス盤を出した808ステイトは、91年に入り、「In Yer Face」のリミックス・シングルを2枚リリースする。そして間もなく届いたのがこのアルバム「EX:EL」なのである。

 ジャケットの「808」のロゴが、ZTTと契約する前のアルバムで使われたタイプに戻っているという話題はさておき、このアルバムで最も注目されるのは、2人の驚くべきゲストの参加に違いない。

 2曲目の「スパニッシュ・ハート」でヴォーカルを披露するのは、マンチェスターのダンス・ムーヴメントの草分けとも言えるニューオーダーのバーナード・サムナー。ロックに、ヒップホップ等のダンス・リズムをいちはやく取り入れ、独自の音響記号論を展開していったニュー・オーダーは、808ステイトが彼らと同じスタンスにいることを見抜き、また808ステイトの方もニュー・オーダーをロックにダンスを取り込んだ開拓者として尊敬しているという具合で、交流もあったようだ。バーナードは808ステイトのギグに飛び入りし、「マジカル・ドリーム」を歌ったこともある。この「スパニッシュ・ハート」は、ニュー・オーダーの「テクニーク」に収められていても不思議はないほど(事実、この歌詞の内容は「テクニーク」の中の「ミスター・ディスコ」の続篇的なものだという)ニュー・オーダー的になっているが、それはやはりバーナードのヨロヨロしたヴォーカルのせいだろう。808のダーレンは言う。「僕たちはこの曲を意識的に"非ニューオーダー的”にしたつもりだったんだけど、バーナードのヴォーカルが入るとそれはあっという間にニュー・オーダーになってしまうんだ。ヴォーカルをとってしまうと全然そうは聴こえないんだけど…」

 「バーナードがベストなシンガーじゃないってことはみんな知ってるさ。でも彼はユニークだし、自分自身のスタイルを身につけてるよ」とマーテインが説明するのを待つまでもなく、バーナードはかつて言われたように、"無個性な“ヴォーカリストなどではまったくない。彼の声は、この曲にメランコリックな陰影を与えている。

 4曲目の「Qマート」と7曲目の「000PS」でヴォーカルをとるのは、アイスランドのちょっと風変わりなバンド、シュガーキューブスのコケティッシュな女の子、ビョークである。シュガーキューブスのサウンドは、およそハウスには無縁っぽいし、バンドのメンバーもインタヴューで「ハウスをとり入れることはありえないだろう」と語っているので、ビヨークが808ステイトのファンだったというのはちょっとした驚きではあった。彼女は808ステイトのオフィスに「あるアイスランドの女の子が808ステイトとの共演を望んでいる」とだけ伝え、シュガーキューブスの名を全く出さなかったという。ビョークは最初、ソロ・アルバムを作るつもりで808にコンタクトをとってきたらしいが、とりあえずはこの2曲のみになったようだ。ちなみにマーティンは「バースデイ」は好きだが、グラハムは、シュガーキューブスをあまり好きではないと語っている。いずれにしても、あのこぶしをきかせるビョークの独特の唱法は、ここでも変わることがない。

 以前に共演の噂があったモリッシーといい、今回のこの2人といい、ヘタをすれば主役を食ってしまいかねないゲストをあえて迎えてしまう808ステイトは、何と自信に満ちあふれているのだろう。彼らにとっては"ヴォーカルもひとつの素材にすぎない”んだろうけど…。

 サウンド的におもしろいのは、前作のサクソフオーンにかわって、今回はトラディショナルな楽器としてエレクトリック・ギターがフィーチャーされていることがある。6曲目の「リフト」は、流麗なストリングスとピアノがムーディーな曲だが、その中間部で突然ギターが金切り声をあげるのだ。この曲は、僕の手許にあるデモカセットでは「Guitar」という単純明快なタイトルになっている。また、10曲目の「キュービック」のハード・ロック風ギターは、もうシングルでもおなじみだと思う。

 このアルバムの裏ジャケットには、彼らの使用器材がまとめて掲載されている。それを見て驚くのは、そこにはこれと言って特筆するような器材はほとんどないということだ。日本でだって、少しマニアックなテクノ小僧なら持ってるようなものばかりだ。結局、音楽とは、ハウスとは、テクノロジーに頼るのではなく、それをいかに使いこなすかという、センス次第なのだということを彼らはここでアピールしているのだろう。また、おなじみのTR808、909の他に、ミニムーグやローランドのSHシリーズ、ヤマハのCSシリーズなどの、アナログ・モノフォニック・シンセが多用されているのも目立つ。デジタル全盛のこの時代にあっても、かつての不安定なアナログにこだわるアーティストは多い。その不安定さが逆に音の暖かみや厚みにつながるのだが、808は以前からそうしたアナログ的な部分にも目を配ってきた。その最初の成果が「パシフィック・ステイト」だったわけだが、この「EX:EL」では、デジタルとアナログの共存が、ひとつの究極的なスタイルとなって結実している。アヴァンギャルドでありながらオーセンティック、ノイジーでありながらピュア、そんな排反する要素が拮抗しながら、ひとつの理想を生み出す――それがこの「EX:EL」なのだ。

 それにしても、このアルバム全曲を通して流れるこのここちよさは、いったいどう表現したらよいのだろう。「ナインティ」にもあった、フィージョン的な肌ざわりのよさを持つサウンドは、よりなめらかさを増し、ほのかな色気すら漂わせる。

 先日、テレビで放映されていたスキーのワールドカップ大会で、BGMで808ステイトの「キュービック」が使われていたが、彼らのサウンドは、ある意味でサウンドトラック的な要素も持ちあわせているのではないだろうか。この「EX:EL」には、何か映像的イメージを喚起するある種のパワーが確かにある。先にアレックス・パターソンが言ったように、優れたハウスにはそうした力が宿っているものなのだろう。

 しかし、この「EX:EL」は、もはやそうした“優れたハウス”というカテゴリーを超えている。ここに内包されたXLサイズの強大なパワーを前にしては、もはやカテゴライズなど何の意味も持たない。ここには「踊ることもでき、聴くこともでき、無視することもでき、瞑想に導くこともできる」音楽があるのみなのだ。


 808ステイトは、あらゆる情報をとり入れながら、その創造力をふくらませつづけている。彼らが行きつく果てがどのようなものなのかそれを見ることは、この時代に生きる我々にのみ許された特権なのだ。

[1991年3月 杉田元ー]