1992年12月16日水曜日

Urban Hype 「Conspiracy to Dance」

 


 今、ロンドンのクラブ・シーンは恐ろしく複雑化している。例えば週末にクラブに行こうと思ったとしても、自分の好みにあった曲をかけてくれる店にめぐり逢えるまでに何軒もはしごして、結局それを見つけられないまま、朝になってしまうかも知れない。レイヴに行くような人達や、黒人などの間では、倍速のブレーク・ビーツとヘヴィなベースが特徴の「ラガ・テクノ」または「ブレイクビーツ・テクノ」が人気だし、わりと裕福でトレンド好きな人は、バレアリックの流れを汲む「プログレッシブ・ハウス」を聴いている。家でも聴けるようなディテールに凝ったトランシーな音は「インテリジェント・テクノ」なんて呼ばれてるし、ドイツ、ベルギーの硬質なハードコア、エネルギッシュなイタロなども健在だ。

 アーバンハイプは、かなり強烈にこの辺の事情を理解しているように思う。いきなり全英トップ5にランクインし、クラブだけでなくポップスのフィールドでも話題をさらった「トリップ・トゥ・トランプトン」は、表面的には高速ブレークビーツを強調したレイヴ・チューンなのだが、音の洗練のされ方や、曲の途中でピアノのブレークが入り、曲調ががらっと変わるところなどに、ハードなだけに終始しない、彼らのしたたかなポップセンスが伺える。実は、この「トランプトン」というのはこども向けのテレビ人形劇のタイトルで、途中で出てくる変な歌は、登場人物の名前を連呼する主題歌からのサンプリングだ。この手の洒落は、イギリス人の得意とするところで、ハウス系でもFABの「サンダーバード」とか、プロディジーの「チャーリー」とか、数え出すと結構出てくる。今一番記憶に新しいところでは、スマートE'ズの「セサミストリート」が思い浮かぶが、あれは原曲をそのまま頂いてて、売らんかなの姿勢がミエミエでやな曲だった。こういう、心無い盗人達のために、アーバン・ハイプまでもが、一部の人達の間で『子供だましのカートゥーン・テクノ』とくくられてしまったのは残念なことだ。しかし、このデビューアルバムで、そんな悪評は一気にふっ飛んでしまうことだろう。今のところ、手元には10月に出たシングル「ザ・フィーリング」の音しかないのだが、これを聴く限り、「トランプトン」とは全く違う世界が展開されており、どちらかと言うと、プログレッシブ・ハウスに近い音で面白い。恐らくこれは、彼らの原盤をリリースしているフェイズ2レーベル(ロザーラなどの所属するパルス8の下部レーベル)のカラーに、より近いのではないだろうか。フェイズ2の音は、気持ちの良いハウス・ビートを主体にしながらも、あらゆる種類の音楽を取り込んで、幻想的なグループを作り出している。(最近のヒットでは、INTUITIONの“DANCE WITH ME”が素晴らしく良かった。エイベックストラックスよりリリースされているので是非聴いてみてほしい。)その他にも、幻のデビューシングルに収められていた「テクノロジー」という曲も入っているし、アンビエント・テイストの曲もあると言うことで、アーバン・ハイプのすべてが分かる決定版と呼んでも差し支えないようなアルバムになっている。

 アーバンハイプは、ボビーDと、マーク・ルイスという2人のユニットだ。「トリップ・トゥ・トランプトン」のビデオで見たことのある人も多いかと思うが、SFチックな衣裳に身を包み、いかれた痙攣ダンスをする彼らの姿は、テクノ狂以外の何者でもない。実際、「トランプトン」のスリーブには、尊敬の念を示すとして、シェイズ・オブ・リズム、GTO、ベルトラム、リアクト2リズム、などの名前が挙げられている。いずれも現在のテクノ・シーンをリードしているアーティスト達だが、この顔触れには、彼らの音を匂わせるところが少なからずあるので、「ウ~ン、そうか」とうなずける人も結構いるんじゃないかな。特に、シェイズ・オブ・リズムという名前には注目すべきだ。彼らは、N-JOY、シェイメンなどと並んで、ライブを重視するテクノ系アーティスト達の間では神格化された存在なのだ。ということは、やはりアーバン・ハイプも、ライブに力を入れているということだろう。資料によれば、アーバン・ハイプは、「トランプトン」がヒットする前から既に、レインダンスやアムネシアといったレイヴを始めとして、イギリス中のクラブ/レイヴをツアーして回っていたらしい。以前は、テクノはライブ出来ない、またはやっても意味が無い、みたいな事が半ば常識的に言われていたが、今や、それは覆され、第一線で活躍するアーティストの大半がライブを精力的に行なっている。逆に言えば、ライブもできず、自己完結してしまっているような奴にはヒットする曲は作れないってことかも。プロディジーだって、ユタ・セインツだって、プラガ・カーンだって、ALTERN 8だって、アンダーグラウンド・レジスタンスだって…世界中の未来派電子音楽作家達は、既にDJの叩き出す永遠の反復ビートに天国状態になっているダンサー達を、自分達の曲で更なる高みに連れていこうと、日夜クラブやレイヴのステージで戦っているのだ。アーバン・ハイプのステージは、見たことが無いのでどんなものなのか分からないが、「トリップ・トゥ・トランプトン」の麻薬のようなリズムが精製された現場であることは、間違いないだろう。

 いずれにしても、彼らが今後日本でも大きくなっていくのは、ほぼ確信できる。このCDを手に取ったとき、あなた自身も半信半疑だったとしても、今は、自分の選択眼に自信を持っていいと思う。まだまだ、この手の音を大音量でかけてくれるクラブが日本には少ないのが残念だが、アーバン・ハイプの作り出すめくるめくビートに腰を思いっ切り揺らして、その快感にレイヴの匂いを感じて欲しい。そのうち、生の彼らを見られる日もやって来るかも知れないぞ!

(KEN=GO→)

L.A.スタイル「THE ALBUM」


L.A.スタイルはディスコの救世主である。
DJにとっても、ディスコ・フリークにとっても‥‥。

(1991年初め、ディスコは死んでいた)

 1980年代中盤までは日本のディスコは
独自の音楽センスで作り上げられていた。
ロックあり、ソウルあり、ポップスありと、
一般の人達の理解できる範囲内でダンス・シーンを作り上げていたのである。
ところが1980年代も中盤を過ぎると、
海外からの情報や12inchレコードが容易に手に入る様になり、
DJ達は特殊な知識を頭に入れながらプレイをする様になる。
DJとしての地位を確立する為にある者はマイナーな音源に走り、
ある者はニューヨークやロンドンのヒット・チャートを
羅列するだけの選曲をしてみたりと、
前提条件(客層、時間、空気)を無視する事が増えていったのである。
もっともそこに拍車をかける様に、雑誌や放送媒体では
RAPやハウスを「今は、この時代」なんて紹介するので、
小心者のDJ達(もっとも僕も足を入れてしまった口だが)は
あたかも自分が世界のダンス・ミュージックの先端を走っていると思い込み、
ダンス・フリーク達の二ーズとかけ離れ始めたのであった。
90年を迎える頃になると俗に言う常連客達も
「やっぱ、今はハウスよね!!」なんて事を言い出したのだから、
ますます店はアングラの方向に進まざるを得ないのだが、
ドラッグや泥酔のない日本のディスコに受け入れられるパワーは乏しく、
DJとディスコ・フリーク達はお互いに「何か必要なのか!?亅が解っていながら
啀み合いの時を過ごしていたのだ。
そんな時、ディスコに於ける暗雲を断つ様に
デス・テクノ~L.A.スタイル~が登場したのである。

(L.A.スタイルとディスコの再燃)

 L.A.スタイル。
オランダ人のミュージシャン&プロデューサーのデンジル・スレミングと
MC(ラップ)のスタンリー・フートのユニット。
仕事でスレミングがロスアンゼルス(L.A.)に行った時、
ナイト・クラブで酔った男が「ジェームズ・ブラウン・イズ・デッド!!」と
繰り返し叫んでいた事にショックを受け、
名作「ジェームズ・ブラウン…」を作った話はあまりにも有名。
 とにもかくにも今のディスコにLAスタイルが作った功績は大きい。
それはダンス・フロアーで現在狂気乱舞されているヒット曲のベースは
「ジェームズ・ブラウン…」であるし、DJはダンス・フリークのニーズを
新しいジャンル(デス・テクノ~L.A.スタイル~)で提供できた事もそうだ。
「もしこの曲が日本に紹介されていなかったら、今ディスコは?」
なんて考えると身の毛がよ立つ思いに駆られる。
そしてこのデンジル・スレミング(L.A.スタイル)という男、
これからも常にとんでも無い事を考え出して、
世界にショックを与え続けるのだろうな。

DJ&FM番組制作 中根"POPPO"康尋