1992年2月21日金曜日

X-101 「X-101」


ロンドンのクラブ・シーンに異常アリ!

 1991年ロンドンを中継基地として世界に同時多発したテクノ・ムーヴメント。
ゲリラ的ともいえるその台頭は、まさに衝撃的だった。
「テクノなんて…」と一笑にふしていたひとたちが次々と、寝返る光景もいまでは決して珍しくない。
それぐらいテクノが一般化したのだ。

 これはロンドンでも、同じこと………。
登場以来アンダーグラウンド・シーンを支えてきた老舗
ブラック・マーケット・レコードが、ついにテクノ戦略を打ち出したのだ。
ちょっとでもロンドンのクラブ・シーンに明るいひとなら、これが大変な出来事だと分かるはず。
ガラージュ・ハウス(ソウルから派生したハウス)や
ヒップ・ホップに代表される黒人文化をベースに、
ブラック・マーケットは常に保守的立場をとってきたのだから。
しかしミュートとの融合が生み出したD・Jマッシヴ「マッシヴ・オーヴァー・ロード」の大ヒットで、
新しいブラック・マーケットがここに誕生したのだ。

 アナタがいま手にしているこのCDは、ブラック・マーケットが贈るテクノ戦略第2弾、
アンダーグラウンド・レジスタンス―X-101、である。
もしも何の予備知識もなく、不気味なジャケットや謎めいたアーティスト名から、
直観的に、アナタがこのCDをチョイスしたのなら、素・晴・ら・し・い!。
 まずは、ブラヴォーの一言を贈りたい。

 さてX-101の解説をはじめる前に、
アンダーグラウンド・レジスタンスについて、少しふれておこう。
アンダーグラウンド・レジスタンスは、デトロイトに拠点を置く2人組
ジェフ・ミルズとマイケル・バンクスによるプロジェクトである。
そして同時に、レーベル名も兼ねる。
これは、KLFコミュニケーションズ唯一のアーティストがKLFなのと似ているケースだ。
詳細は不明だが、レーベル結成は'91年初めごろ。
アンダーグラウンド・レジスタンスの名の通り、
既成のクラブ・シーンに対する革命的地下抵抗組織として機能しはじめる。
現在までのリリースは、ダブル12インチを含む12枚。
アンダーグラウンド・レジスタンス名義で8枚、
ヴィジョン、ブレイク・バクスター、パニッシャー、そしてこのX-101、がそれぞれ1枚ずつである。
女性ヴォーカリスト、ヨランダをフィーチャーした2曲'ユア・タイム・イズ・アップ'、
'リヴィング・フォー・ザ・ナイト'(オリジナル&リミックス)の3枚を除けば、
アンダーグラウンド・レジスタンスは完全なるテクノ・レーベルと位置づけられる。
特に初期の2枚(『ソニック』『ウェイヴフォーム』)はその傑作として、
いまなおクラブで"キープ・オン・スピニング"されている。
彼らの人気を不動にしたのは、ダブル12インチ『ライオット』の成功だろう。
ベルギー産デス・テクノ(初期ハードコア・テクノはいまや殺人的暴力的である)の
異常なまでの過熱ぶりで、一気にメジャー・シーンに引き上げられたのだ。
好むと好まざるとに拘らず…。
確かに12インチのセールスと人気とが比例しながら上昇していった。
こうした背景に、X-101は登場した。

 ここでアンダーグラウンド・レジスタンス誕生以前のデトロイトと、
ハードコア・テクノ~デス・テクノヘの変遷、についてもおさえておこう。
もともとデトロイトのクラブ・シーンは、テクノと密接に関係することで形成されてきた。
デトロイト・テクノと呼ばれる独特なテクノを生み出した、
3人のオリジネーターの存在を忘れてはいけない。
ジュアン・アトキンス、ケヴィン"マスターリース"サンダーソン、デリック・メイ、である。
マジック・ジュアンとも呼ばれるデトロイト・テクノの創始者J・アトキンスと
メイデイことD・メイはトランスマット・レコードを、いっぽうK・サンダーソンは
自らが主宰するKMS (頭文字の略)レコードを中心に、活動を開始した。
デトロイト・テクノをメジャーにしたのは紛れもなく、
K・サンダーソンが女性ヴォーカリスト、パリス・グレイと組んだプロジェクト
"インナー・シティー"の成功によってである。
デビュー・シングル『ビッグ・ファン』はまさに、デトロイト・テクノの覚醒を伝える名曲だった。
インコグニート・レコードからは、現アンダーグラウンド・レジスタンスの
ブレイク・バクスター(といってもおそらくは単発契約だと思う)がリリースしている。

サウンド的特徴としては、スピード感あふれるそのピッチの速さが挙げられる。
128~132BPMもあるハウスなんて、デトロイト・テクノ以外考えられなかった。
この伝統(?)はいまでも新興レーベルのアトモスフィアー、プラスー8、
もちろんアンダーグラウンド・レジスタンスにも継承されている。

 またハードコア・テクノ~デス・テクノヘの変遷過程においては、
いったいどう関与したのだろうか。
ニュー・ビートとも呼ばれるインダストリアル・ダンス系アーティスト
(例えばフロント242、スキニー・パピー、ミニストリーなど)に
デトロイト・テクノの要素を加えたのが、ハードコア・テクノのはじまりだった。
KLFの代表作『ホワット・タイム・イズ・ラヴ?』を
ニュー・ビートでリメイクしたベルギーのネオンやディアイゾンD、
革新的インダストリアル・アーティスト、グレーター・ザン・ワンのハードコア・プロジェクト、GTO。
デトロイトからの影響をもっとも強く受けたと思われる
R&Sレコードのスペクトラム、B・アート、ザ・プロジェクト、スペース・オペラ、デジタル・ヴァンプなど。
先述したJ・アトキンスによる、R-YHEもR&Sからライセンシングでリリースされている。
このようにハードコア・テクノの基礎確立には、
デトロイト・テクノとのゆるやかな関係が不可欠だったのである。

こうした背景に、T99『アナスターシャ』や
キュービック22『ナイト・イン・モーション』といったデス・テクノの傑作が誕生する。
『アナスターシャ』のイントロで印象的に叫ばれる
「ミュージック・イズ・マイ・ストロング、プリーズ!」のセリフも、
来るべきデス・テクノ・ブームへの号令だったのだ。
LAスタイル『ジェームス・ブラウン・イズ・デッド』がリリースされるころには、
デス・テクノ最初の絶頂期を迎える。
『ナイト・イン・モーション』で成功したJBサンプルへの逆説的メッセージに、
クラシック風リズムで料理したのがLAスタイルだ。
ネクスト・ステージは、ザ・R『レイヴ・ザ・プラネット』の登場となる。
踊れる限界のスピード、ヘヴィー・メタルのような激しいドラム・フィル、
めまいしそうな急激な展開と、なにもかもがヴァイオレンスなのだ。

 ここまでくるとデス・テクノが本来もつその殺人的暴力的な姿勢に加え、
残虐性をも伴ったテクノに発展してゆく。
もはやこれ以上、デス・テクノの成長はありえない。

 テクノは原点に還るしかなくなった。
 「シンプル・イズ・ザ・ベスト」を唱えるものも増えてきた。
 「オリジナルこそ、すべて!」というものも増えてきた。
みんなが、待っていたのだ。
X-101の出現を…。

 X-101については、ほとんど詳細が知らされてない。
アンダーグラウンド・レジスタンスの2人とヴィジョン
(『ジャイロスコピック』を同レーベルからリリースしている)によるプロジェクトだ、ということ以外は。

 曲目の解説に入ろう。
①は第1弾シングル・カット曲。
インパクトのあるリフが、カッコE!激しいなかにも豊かなセンスが感じられる名曲だ。
②は海外ではクラブよりも盛り上がるレイブ・シーンに対するX-101のテーマ曲。
マイナー進行でウネルようなベース・ラインがいい。
リヴァーヴ処理されたホウィッスルの使い方も効果的。
③はフル・ヴォリュームで聴いて欲しい。爆音体験が未知なる境地へ誘うはず。
ブリープ(発信音)が絶妙のタイミングだ。
④は①のシングルB面だった曲なので、もうおなじみの一曲だろう。
タイトル通りジェット機でG体験をしてるような錯覚に陥るかもしれない。
ちなみにシングルでは逆ミゾになっていたのも話題を呼んだ
(アンダーグラウンド・レジスタンスの多くのレコードは逆ミゾである)。
⑤は攻撃的に、⑥は柔らかくパーカッシヴに攻める、どちらもX-101らしいチューンだ。

 今年いちばんのテクノ革命児、ここに現れる。
なぞ・謎・ナソに包まれた戦略もいい。
KLFだって、最初はそうだったのだから。

NOBBY STYLE(宇野正展)