1992年12月16日水曜日

L.A.スタイル「THE ALBUM」


L.A.スタイルはディスコの救世主である。
DJにとっても、ディスコ・フリークにとっても‥‥。

(1991年初め、ディスコは死んでいた)

 1980年代中盤までは日本のディスコは
独自の音楽センスで作り上げられていた。
ロックあり、ソウルあり、ポップスありと、
一般の人達の理解できる範囲内でダンス・シーンを作り上げていたのである。
ところが1980年代も中盤を過ぎると、
海外からの情報や12inchレコードが容易に手に入る様になり、
DJ達は特殊な知識を頭に入れながらプレイをする様になる。
DJとしての地位を確立する為にある者はマイナーな音源に走り、
ある者はニューヨークやロンドンのヒット・チャートを
羅列するだけの選曲をしてみたりと、
前提条件(客層、時間、空気)を無視する事が増えていったのである。
もっともそこに拍車をかける様に、雑誌や放送媒体では
RAPやハウスを「今は、この時代」なんて紹介するので、
小心者のDJ達(もっとも僕も足を入れてしまった口だが)は
あたかも自分が世界のダンス・ミュージックの先端を走っていると思い込み、
ダンス・フリーク達の二ーズとかけ離れ始めたのであった。
90年を迎える頃になると俗に言う常連客達も
「やっぱ、今はハウスよね!!」なんて事を言い出したのだから、
ますます店はアングラの方向に進まざるを得ないのだが、
ドラッグや泥酔のない日本のディスコに受け入れられるパワーは乏しく、
DJとディスコ・フリーク達はお互いに「何か必要なのか!?亅が解っていながら
啀み合いの時を過ごしていたのだ。
そんな時、ディスコに於ける暗雲を断つ様に
デス・テクノ~L.A.スタイル~が登場したのである。

(L.A.スタイルとディスコの再燃)

 L.A.スタイル。
オランダ人のミュージシャン&プロデューサーのデンジル・スレミングと
MC(ラップ)のスタンリー・フートのユニット。
仕事でスレミングがロスアンゼルス(L.A.)に行った時、
ナイト・クラブで酔った男が「ジェームズ・ブラウン・イズ・デッド!!」と
繰り返し叫んでいた事にショックを受け、
名作「ジェームズ・ブラウン…」を作った話はあまりにも有名。
 とにもかくにも今のディスコにLAスタイルが作った功績は大きい。
それはダンス・フロアーで現在狂気乱舞されているヒット曲のベースは
「ジェームズ・ブラウン…」であるし、DJはダンス・フリークのニーズを
新しいジャンル(デス・テクノ~L.A.スタイル~)で提供できた事もそうだ。
「もしこの曲が日本に紹介されていなかったら、今ディスコは?」
なんて考えると身の毛がよ立つ思いに駆られる。
そしてこのデンジル・スレミング(L.A.スタイル)という男、
これからも常にとんでも無い事を考え出して、
世界にショックを与え続けるのだろうな。

DJ&FM番組制作 中根"POPPO"康尋

1992年10月25日日曜日

オーパスIII・フィーチャリング・カースティ 「イッツ・ア・ファイン・デイ」

 

 「イッツ・ア・ファイン・デイ」は一聴して迷わず買ったシングルだった。オーパスIIIというプロジェクト名は初めてみる名前だったけれど、美しく透明なヴォーカリゼーションとバックのテクノ・サウンドが妙にマッチしていて、その何とも形容しがたい魅力に一発で惹かれてしまったのである。

 原曲が1983年にチェリー・レッド・レコードからリリースされたジェーンの歌うアカペラの、日本ではCFにも使われたあれだということはすぐにわかった。が、1992年のヴァージョンは原曲のような、精神と自然との普遍的な情景をアコースティック・サウンドで創出しようとしたチェリー・レッドならではのスタティックな響きとは大いに位相を異にしたものである。1992年のヴァージョンにはダイナミズムがあった。快楽的な味わいがあった。

 オーパスIIIの話に入る前にこのプロジェクトを裏で支える380レコードというプロダクションについて触れておきたい。ここの中心人物がピート・ウォーターマンだということを言えば、多くのダンス・ミュージック・ファンはピンと来るであろう。ウォーターマンはマイク・ストック、マット・エイトケンとともにプロデューサー・チームを組み、80年代のダンス・カルチャーをメジャーな場で先導していった代表的な人物である。このライナーを書いている今、最新号(92年9月号)の英『FACE』誌をパラパラとめくっていたら、たまたまディスコ文化に関する記事に出くわし、そこには80年代の重要なダンス・クリエイターとしてマドンナ、ペット・ショップ・ボーイズ、イエローらに混じって、ストック/エイトケン/ウォーターマンの名が記されていた。「ストック/エイトケン/ウォーターマン、ディスコ・マシーンの彼らはディスコを活性化し続ける・・・」

 ハウスやテクノによって日本でもダンス・ミュージックが注目されているが、そのムーヴメントは80年代の終りに始まったことでは決してない。すでに70年代の終りから、ポピュラー・ミュージックはダンスへと向かっていった。パンク熱が冷えた70年代の終りから80年代初頭にかけて、たとえばロンドンの街を席巻したのはニュー・ロマンティックスと呼ばれた人達だった。デビッド・ボウイやロキシー・ミュージックなどの流れを継承する彼らは、目一杯着飾っては夜な夜なクラブ遊びをして、ダンス・ミュージックを楽しんだ。これが後に英国のジャーナリズムに「ナイト・クラビング」と呼ばれるライフスタイルの原形を作っていったわけだ。

 ナイト・クラビング・カルチャーは、ハイエナジーやユーロビートを支持し、一方ウエスト・エンドではレア・グルーヴなどソウルリヴァイヴァルをも促していった(ちなみにハイエナジーの中心的クラブ<ヘヴン>は後のアシッド・ムーブメントでも重要な働きをした)。こうした状況からレイヴァー(RAVER)が出現してくるわけだが、このナイト・クラビング・カルチャーをメジャーで展開したもののひとつが、かのバナナラマであった。そして、バナナラマのメジャー大ヒットを仕掛けたのがストック/エイトケン/ウォーターマンなのである。ナイト・クラビングのロマンスを、この3人はメジャー・シーンで表現することに成功したのだった。

 話は少しそれるが、ハウス・ミュージックをロンドンで真っ先に支持したのがニュー・ロマンティックス(ハイ・エナジー)の連中で、また、イビサ島へ赴き遊び惚けて、最初にバレアリック・ビートの虜になったのも彼らだった。この流れと、ウエスト・エンドから来るソウル・ウィークエンダーズ(レア・グルーヴ)の熱狂、それからデトロイトからのテクノなどが入り交じって、88年英国のダンス・ミュージック爆発の通称セカンドサマー・オブ・ラヴは用意されたのである。

 ストック/エイトケン/ウォーターマンは87年からP.W.L.プロダクションを設立する。そしてカイリー・ミノーグやジェイソン・ドノヴァンなどを見出しそれらは見事に大ヒット、P.W.L.はダンス・ミュージックのプロフェッショナルとして不動の地位を築いてしまったのである。

 ちなみに、今年になって解散してしまったThe KLFのジミー・コーティが現在ブルー・パールのユースと80年代半ばに組んでいたディスコ・バンドのブリリアントはWEA在籍時のアルバムで、やはり当時WEAでA&Rをやっていたビル・ドラモンドの計らいから、プロデュースをストック/エイトケン/ウォーターマンに依頼している。ところが、それなりに売れたこのアルバムはしかし3人に払ったプロデューサー料より売り上げが低かったために、結局ブリリアントは長く続かなかったわけである。まあ、それでもビルドラモンドはインタビューでストック/エイトケン/ウォーターマンのことを高く評価していたのだから、この3人の存在はよほど大きなものなのだろう。

 さて、オーパスIIIである。ダンス・ミュージックのプロフェッショナル、ピート・ウォーターマンを中心にした380レコードが92年に放った注目の新人である。これは注目するに相応しい新しい才能であろう。それではオーパスIIIのメンバーを紹介する。

 まずもっとも注目すべきはヴォーカリストのカースティ。ジャケットに映っている彼女の容姿はなるほど今までに出会ったことのない雰囲気を漂わせている。その彼女をバックアップしているのがイアン・マンロウ、ナイジェル・ウォルトン、ケヴィン・ドッズ。

 「イッツ・ア・ファイン・デイ」はもともとはこの3人で、原曲に打ち込みを加えたものとしてプレイしていた。が、それならいっそヴォーカリストを入れてカヴァーとして演った方がいいということでカースティをスカウト、オーパスIIIが生まれた。ところで、カースティとの出会いのエピソードが面白くて、3人のメンバーがロンドンの北、ハートフォード州の森で、小鳥の声をサンプリングしている時にハーブを摘みに来ていたカースティと偶然出会ったというのだ。カースティは作曲家のアラン・ホークショウの娘で、少女の頃からクラシックの教育を受けていたそうだ。父アランの名は今作でもコンポーザーとして記されている。

 デビュー・シングル「イッツ・ア・ファイン・デイ」は見事にナショナルチャートの一位に輝いた。僕は冒頭に、この原曲をリリースしたチェリー・レッドを「精神と自然との普遍的な情景をアコースティック・サウンドで創出しようとした」と形容したけれど、91年のオーパスIIIのカヴァー・シングルは、繰り返すようだが、そこに躍動感が加わった。躍動感はウォーターマンらがダンス・カルチャーのなかで獲得したものだろうと僕は考えている。大袈裟かもしれないけれど、自然の霊性を満喫すること、体をリズムにのせること、この両者はある意味で非常に近しい行為なのかもしれない。

 セカンド・シングルの「風に語りて」はキング・クリムゾンのファースト・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』2曲目に収録されたものだが、原曲の厭世的で文学的な部分が、それをダンスビートにのせることで、よりスマートに表現できている。原曲の厭世的な雰囲気よりも、うたのモチーフになっている「風」の部分が突出してて清らかでさえあると思う。

 だいたい曲名がいい。「スターズ・イン・マイ・ポケット」「シー・ピープル」「エヴォリューション・ラッシュ」・・・・・・。80年代初頭のチェリー・レッドにはその後エヴリシング・バット・ザ・ガールで成功するトレーシー・ソーンがいたわけだが、今回デビューしたカースティは乱暴な言い方かもしれないけれど、当時のチェリー・レッド周辺(トレーシー・ソーン、モノクローム・セット、フェルト、ベン・ワット、ファイヴ・オア・シックス等々)が指標した詩情を、この1992年のサウンドで表現しようとする存在ではないのか。チェリー・レッドは先に述べたニュー・ロマンティックスとは交わらぬ、ある種の精神宇宙を獲得しようとする動きであった。ジェーンの「イッツ・ア・ファイン・デイ」はアカペラであるがゆえに女性のもつ神秘性と自然観を表現できた。それはナイト・クラビング・カルチャーとは無縁であろうとする意志でもあった。が、ナイト・クラビング・カルチャーは80年代の終りからニュー・エイジ思想と交わり、やがてアンビエント・ハウスなる音楽まで創出してしまう。ナイト・クラビングの側から自然をテーマにした音楽が生まれてしまったのである。オーパスIIIはそれをさらに明確な形で表した。オーパスIIIは対角線上に位置していたナイト・クラビング・カルチャーとニュー・アコースティック・ムーヴメントの、その両者を結ぶ存在のような気がする。カースティは隣の女の子ではなく、どう見ても森のフェアリー(妖精)である。しかもこの妖精は舞う妖精だ。過去のウォーターマンが手がけたアーティストにはこういうキャラクターはいなかった。

 僕が「イッツ・ア・ファイン・デイ」を迷わず買った理由はそういうことである。

野田努


1992年10月21日水曜日

The Prodigy 「‎エクスペリエンス」


THE PRODIGY~ブレイクビーツテクノのポップスター登場。

~ニューウェイヴ・テクノよ、さらば!~
 レイヴ・サウンドトラックがぐうっとハードコア・テクノ主導型に傾くきっかけとなったのは文句なくKLFの「WHAT TIME IS LOVE」のヒットからだろうけど、彼ら自身は登場の時点ですでにハードコア・アーティストとしては失格な、ニュー・ウェイヴ~プログレッシヴ・ロックを引きずった“残党”だったと思うんです(そこが彼らの面白さでもあるんだけど)。彼らって、世が世ならピンク・フロイドとか、フリップ&イーみたいなことやってポップスターになりたかったにちがいない。でも彼らはそんなにストイックじゃなかったし、時代も別に聖人君主なんか求めてなかった。で、彼らはそこに生じるジレンマを数々のラジカルな行動で紛らわしたり、クラバー達のドラッグ好きを逆手にとってCHILL OUT=プログレ・オマージュ活動したり、楽曲の中に、彼らのルーツであろうEL&PやMC5を挿入したり…。

 何かこう、切ないって云うか、やりきれないんだ。モロ手を挙げてさわげないんだよ、ニューウェイヴ・ロックの“残党”が作るハードコアでは。KLFを筆頭としたロック・ノリ・ハードコアのファンが、マッシュルームカットの"残党員"と扇子振り乱し系のボディ・コンシャス軍団にばっくり分かれるのも、好きじゃない。ハードコアは君の過去を引きずって楽しむものじゃない。ハウスの変種なんかじゃない。ハードコアは、君のT-シャツを汗だくにするための、全く昔ながらの“単なるダンス音楽”なんだ。XX思想の香りで、よろしく!ってとこで改めて紹介しよう、エセックスのテクノ・ヴィザード、ライアム・ハウレット率いるプロディジーで、さわげー!

~プロディジーはレイヴ・エイジのアイドル~
 (2NDシングル「チャーリー」の爆発的ヒットについて)『正直、あんなに当たるとは思ってなかった。ちょっとウンザリしてるよ。僕は常にアンダーグラウンドシーンを意識して曲作りをしてるのに、メジャーヒットを出してしまったから、もうアンダーグラウンドとは呼ばれなくなっちゃったんだ』。

 何と云う志の低さ!素晴らしい。メジャーなチャートで健闘するより、自らの立脚するレイヴ・シーンで人気者でいられなくなる事を心配するハウレット君は20才の正真正銘レイヴ・エイジ、アンダーグラウンドなら任せろってフリして、チャート・セールスに有効な国内売上を伸ばす為に初回プレス分を輸出ストップさせるKLFおぢさんズとは、思考の原点が違うよな。もう何度も云ってる事だけど、ロバート・ジョンスン。彼はもの凄く偉大なブルーズ・ミュージシャンだけど、果たして、『後世に残る、素晴らしい黒人演奏家になろう』と思っていただろうか。答えはメイビー・ノー、だろう。偉大な人もそうでない人にとってもセールスはフトコロを潤す大事な要素だけど、音楽衝動の発端と云えば何と云っても自分の目の前でさわいだり、泣いたり踊ったりしてくれるクラウドからのレスポンスだと僕は思う。そう云う点からみればハウレットの志の低さが現代英国流舞踏会、レイヴ・バーティーを活気づけているのは確かだと思うし、ハウレット君てじつは、すごくミュージシャン・シップに富んだ男の子だと思うんだけど。
 では、ハウレット君=プロディジーがレイヴ人気者になるまでの背景を追ってみよう。エセックス生まれのハウレット君は幼い頃からクラシックの勉強をするピアニストだったけど、イギリスにラップが上陸するとすぐさま反応、CUT TO KILLと云うラップ・チームのDJになるが、その暗いメッセージの数々に幻滅。抬頭していたレイヴ・シーンに触発され、サンプラー、シークェンサーを購入しハードコアをオタクで作りはじめる。'91年2月リリースの1STシングル『WHAT EVIL LURKS』はハードコア賛歌としてレイヴ・シーンで圧倒的な支持を受け、続く『CHARLY』では、イタリアでのポップスターなみの支持のあおりを受け、プリ・リリースからトップ40入り。ラップ・チーム時代の経験をフルに発揮したブレイクビーツ・テクノの(早くも)クラシック、『EVERYBODY IN THE PLACE』(4曲入り)は発売2週目でナショナルチャートの2位を獲得。
 すっごいですねえ。キーボード類を買ったのが89年の12月で翌年2月にいきなりデビュー。そして、うなぎのぼりのレイヴ・スター。何故こんなにも短期間で大きな成功をものに出来たのかと云えば、レイヴ・パーティーには不可欠のライヴ・パフォーマンス(レイヴP.A.と呼ばれる)でレイヴァーを中心としたファンを着実につかんでいったからに他ならない。ライヴではハウレットの繰り出すハード・ビートに合わせてダンス担当のリロイ&キース、ラガなまりの狂騒的なMCのマキシマム・リアリティがあおるあおるの大熱演をくり広げるらしいのだ。
 『XLとして契約するか否かは次の二点で決まる。まず、プロモ段階でレイヴDJ達のウケがいいかどうか。いくら周到なビデオ作ってもXLとしてはレイヴから離れてヒットは作れない。そして、プロディジーがいい例だけど、レイヴ・P.A.がキマるかどうか。ライヴのノリはすごく重要だ。XLは90年代のモータウンを目指しているからね(笑)』。―XL-RECORDINGSのA&R担当リチャード・ラッセル氏―
 なるほど、プロディジーの所属するXL・レーベルごとレイヴー色で、かなり焦点絞った活動してるんだ。それで、ブラガ・カーンやキュービック・22とか、ここのレーベルと契約したアーティストは次々人気者になるのね。

~ブレイクビーツテクノでさわげ! RAVE ON~
 と云う事で、レイヴ・シーンが作り出した初のレイヴスター、プロディジーのプロフィールについては何となく解って貰えたと思う。ここで話を再びKLFにあたりとの違いについて戻すと、極言すればプロディジーの音作りは、シーンをにぎわす他のどんなアーティストともキレまくった違いを見い出せはしまいか。そう、プロディジーはひたすらコピずに、引きずってナイ。ここが格好いいんだよな。
 T-99/クオドロフォニア、R&S系のニューウェイヴ残党ノリとも。ALTERN8のホワイトノイズ・テクノとも。2アンリミテッド~L.A.スタイルのポップ・ハードコアとも。プロディジーは全くシンクロしてません。比較解説(?)でちょっと恐縮だけど、そう思うでしょ?プロディジーのブレイクビーツ・テクノは君がこの、全く意味を持たない音でハッピーになれるかどうかだけで決まる、理屈抜きにヒップなダンスミュージックなんだ。
 『デトロイト・テクノ?ケヴィンやジュアンは確かにテクノの功労者としてはグレイトだけど、本当はあんまり影響されてない。ボクが本当に影響を受けてるのはレイヴに集まってくるヤツらさ。彼等に対して、いかにハードなRAVE―さわぎーを与え続けられるかがプロディジーのテーマなんだよ』。
 レイヴ・エイジのポップスター、プロディジーのサウンドが、レイヴを離れた所でも威力発揮するのは、このアルバムを手にしている君達がよーくわかってくれてると思う。
 さあ、ヴォリュームをグッと上げて!
(1992.8.14 本根 誠)

VARIOUS「XL RECORDINGS THE SECOND CHAPTER」


ハードコア・テクノの輝ける金字塔。
全てはこのアルバムから始まった!

 ハードコア・テクノのマスター・ピースを一枚、紹介しよう。
「XL RECORDINGS THE SECOND CHAPTER」。
サブタイトルは「HARDCORE EUROPEAN DANCE MUSIC」、である。

 今や一時期のユーロ・ビートをも凌ぐ程の
一大ムーブメントとなっている新種のダンス・ミュージックとして、
ハードコア・テクノは今、最も注目されている音楽ジャンルと言える。
この現象はハードコア・テクノ発祥の地、
ベルギーやイタリア、オランダ等のヨーロッパの国々はもとより、
レイヴ・パーティーでハードコア・テクノを盛り上げたイギリス、
そしてこの日本でもジュリアナTOKYOの圧倒的な集客力と、
ハードコア・テクノの魅力を早くから理解し、プレイし続け、
毎夜何千人もの人々を狂わせているD.J.ジョン・ロビンソンらの力によって、
L.A.スタイル、T99、2アンリミテッドら、
ハードコア・テクノのアルバムが世界一売れる国となったのである。
そして今やアメリカでも白人を中心としたクラバー達の間で
ハードコア・テクノが流行りつつ有り、
メジャー、マイナー共テクノのコンピレーションが数多くリリースされている、
といった具合に正に全世界的に猛威を奮っているという現状なのである。

 さて、そんな中でそもそも何かキッカケで始まったのかというと、
そんな質問が有る時必ず、真っ先に紹介しているのがこのアルバム、
そう、つまりあなたか今手にしている
「XL RECORDINGS THE SECOND CHAPTER」なのである。
昨年9月にリリースされて以来
現在まで今だに、売れ続けているというモンスターアルバムで、
この日本盤のリリースにより、
これまで以上に多くの人々に楽しんでもらう事が出来る事と、確信している。
このXLレコーディングスのオムニバスのシリーズは、
90年の「THE FIRST CHAPTER」、
91年のこの「THE SECOND CHAPTER」、
同91年の「THE THIRD CHAPTER」と、
これまで3枚のシリーズか出ているので、
これからハードコア・テクノを窮めてみようという方は是非、
他の2枚にもトライしてみていただきたい。
尚、今年中には第4弾が、
そしてエイベックス・トラックスからは何やら又々凄い企画が有るらしい。
一体ハードコア・テクノは、これからどんな展開を見せるのだろう?
全くもって目の離せない状況である。

 この「THE SECOND CHAPTER」、一体どこがそんなに凄いのだろう。
先ずは曲目と照らし合せて、その魅力を探っていってみよう。

●T99
イントロが始まって数秒後に飛び出すヒステリックなサンプルド・ボイスのリフ。
最早ハードコア・テクノのテーマと言ってもいいだろう。
この気違いじみた曲目当てにこのアルバムを探し回る人も多かった。
XLでは19番目のシングルとしてカットされた。

●CHANNEL X
デトロイト・テクノを白人流に解釈するとこうなる。
リズムに限って言えば、デトロイト・テクノそのものである。

●HOLY NOISE
ハードコア・テクノのもう一つのマスター・ピース、
L.A.スタイルの"JAMES BROWN IS DEAD"のアンサー・ソング、
"JAMES BROWN IS STILL A凵VE"の大ヒット曲で知られる彼らは、
同曲収録のアルバムもリリースしている。
これまた相当アブストラクト・クレイジーだ。

●JOHN + JULIE
今後新曲も続々とリリースされる予定の有る彼ら、大ブレイクも時間の問題だろう。
ブードゥーの呪いにも似た、何とも不気味な曲。XL23番目のシングル。

●SET UP SYSTEM、EXTERNAL GROUP、
「SET UP SYSTEM」は、XL22番目のシングル、
このフレーズもハードコア・テクノ定番中の定番である。
「EXTERNAL GROUP」を聞いて、
シカゴ・ハウスのタイリーを思い浮かべたあなたは、かなりのハウス通。
シカゴ・ハウスからUK産ブリープ物へと続く歴史の様な物が見えてくハズだ。
しかし、良く勉強しているヤツらだ。

●CUBIC 22
この曲も、このアルバムの目玉のーつ。
これ又ハードコア・テクノのテーマ曲である。
途中で狂人が見せる極めてまともな顔の様な美しいストリングと
センチメンタルなメロディーラインも、よけいにこの曲の異常さを際立たせている。
それにしてもこの曲の“PARTY TIME!”には
いつも体を突き動かされる。XL20番目のシングル。

●DIGITAL BOY、FREQUENCY
2曲ともダンスフロアでの評判もすこぶる良い曲。
特に「DIGITAL BOY」のアッパーさはどうだ!

●THE PRODIGY
XLがこの秋から最もプッシュするのが、この「PRODIGY」。
何というか、もしサイバー・パンクの子供向けアニメみたいな物が有るとしたら、
こんなBGMになるのではないだろうか。
ループしたブレイクビーツの使用法に、XLのその後の流れが見て取れる。
何とも可愛くて変わっている曲だ。XL21番目のシングル。

●INCUBUS
これも「PRODIGY」タイプのゲーム・ミュージック的な曲。
子供の頭の中の音である。

●PRAGAKHAN
一時期ブリープ・ハウスとして紹介された音の流れを汲む正に"RAVE SOUND"である。
この曲でパーティーはクライマックスへと続く。

 以上でこの「XL RECORDINGS THE SECOND CHAPTER」は幕を閉じる。
いかがだろうか?
この爆発的人気を得ている新しいダンス・ミュージックの魅力に
十分に満足していただけただろうか。
とはいえ、スタイルの移り変わりの早いこの手のサウンドは、
早くも新しい展開を見せている。
このシリーズをチェックし終わっても
まだまだ楽しんでみるべきポイントも数多く残っているのだ。
安心してはいられない。僕も皆さんといっしょに精進して行きたいと思っている。
又、このハードコア・テクノが生まれた背景等については、
このエイペックス・トラックスの「SUPER CLUB GROOVIN' VOL.7」で触れているので
興味の有る方はそちらも読んでみたらいかがだろう。
(佐藤 研)

1992年8月1日土曜日

T-99「マキシマイザー/アナスタシア」


T-99は1988年、スタジオ・プロジェクトとして生まれた。

 ベルギーのインディペンデント・レーベルのプロデューサーで、テクノトロニックやクアドロフォニアという世界的大スターを育て、影で仕掛けた男、パトリック・デ・マイヤーが自らのプロジェクトとしてはじめたのである。その当時、ヨーロッパで流行の兆しを見せていたニュー・ビートやロンドン発ハウス・サウンドの影響を大きく受けたファースト・シングル「Invisible Sensuality」は、アンダーグラウンドのハウス・シーンでは絶賛をあびるが、チャートでは不発に終わる。

 その後、「Slidy」、「Too Nice To Be Real」といったシングルをリリースするがいずれもインターナショナルなチャートでは成功におよばず、アンダーグラウンド・ヒットに終わる。しかし日本を含めた"早い物好き”のクラプDJやテクノ/パンク・ファンには、T-99の名前はすでにビッグ・ネームになりつつあった。

 そのT-99に大きな変化がおとずれたのは、クアドロフォニアのメンバーで、プログラマーであり、そしてコンピューター・キッズであったオリバー・アベルースがプロジェクトに参加してからである。昔のホラー映画のサントラや古いアナログのシンセなどが好きで、趣味はコンピューターであると言い切る、根っからのテクノ・オタク=オリバーは、ニュー・ビート全盛時代のベルギーのクラブでDJもこなしていたという変態人間である。

 彼ら2人のプロジェクトとして再出発した初めてのシングルが、なんとあの「アナスタシア」であった。オリバーが自ら理想の女性の名前を冠したというこのシングルは、テクノ、ハウス、ニュー・ビートなどすべてのダンス・ミュージックの影響を受け、なおかつ、脳に直接刺激を送るような爆発的サウンドで、まずDJ連の圧倒的支持を得、クラブ・フリークの人気をあつめるようになっていった。

 1991年初頭にまずベルギーで発売され、爆発的に大ヒットを記録。その後ヨーロッパ各地のチャートを制圧したのち、イギリスに上陸。イギリス各地のレイヴ・パーティなどで圧倒的な支持を得て、ついにはナショナル・チャートの14位に初登場。ラッパー、ゼノンと3人のヴォーギング・ガールズというライヴ用T-99がイギリスでショウ・ケースを行なううちにシングル盤はあれよあれよと上昇を続け、ついにナショナル・チャート第2位を記録する大ヒット曲となってしまったのである。

 この大ヒットに刺激されたフォロワー達が無数に現れてきたのは、いかにこの「アナスタシア」という曲のインパクトが強かったかということを物語るものだと言える。キュービック22、LAスタイル、2アンリミテッドなどいまだにチャートに現れては消えるテクノ・ミュージックの発火点はこの「アナスタシア」であったのだ。

 前述の“ライヴ用T-99”はその後、スペイン、イビサ、ドイツ、フランス、ベルギーなどをツアー。パワーあふれるゼノンのラップと世にも奇怪な姿をしたヴォーガー達がくりひろげる謎のステージは、T-99の音楽そのもの、脳みそぐちゃぐちゃステージである。そのステージの評判と共に、T-99は各国でスーパー・スターとなっていった。その後ステージ用バンドは“レベッカ”というヴォーカリストを加え、アメリカにも上陸。アメリカ・コロンビアというメジャー・レーベルからのリリースも決定し、ますます活動を加速させている。

 おなじ頃、アメリカや日本のクラブ/ディスコ・シーンでも、長い間なかったディスコだけのヒット・ソングとして熱狂的に迎えられ、昨年ダンス・フロアーNO.1のヒット・シングルとなった。現在、日本全国の主なディスコで、ここ一番の盛り上がりの時に必ずかかる曲、かければ必ず盛り上がる曲、それが「アナスタシア」であり、T-99である。

(unknown)

1992年7月21日火曜日

X-102 ‎「リングス・オブ・サタン」


  アンダーグランド・レジスタンス(以下、U.R.)の日本でのリリース第2作目にあたるこのX-102は、第1作X-101に続き、彼ら自身がX-プロジェクトと名付けるプロジェクトの第2作目だ。U.R.はデトロイトを拠点に活動するレコーディング・ユニットで、メンバーはマイケル・バンクスとジェフ・ミルズの二人。U.R.についてふれる前に、彼らの成立基盤を形成したデトロイトのインディペンデント・レーベルについてざっと振り返ってみよう。

 デトロイト・テクノは、1986年にインディペンデント・レーベル、『TRANSMAT』が第1作“X-RAY"をリリースしたことをきっかけに、シカゴ、ニュー・ヨーク等のおなじくハウス系インディペンデント・レーベルの乱立と相乗して成立していく。そうしたインディペンデント・レーベルは、クラブDJによって使用される、ブラックあるいはホワト・スリーブと呼ばれる無地ジャケット12インチ・ディスクのリリースを目的に設立されている。注目すべき点は、それらのレーベルが、従来のマスプロダクツによるレコード生産および流通からは切り離されたシステムの上に成立し勢力を拡大していった点だ。デトロイトの主なレーベルを挙げてみると、まずデリック・メイとジュアン・アトキンスの二人のDJ・リミキサーを中心に、幻想的な、あるいは攻撃的なシンセサイザー・サウンドをアナログリズムマシンのビートとともにミキシングするデトロイト・サウンドを確立したTRANSMAT。デトロイト・テクノがメジャー・マーケットにとりざたされるきっかけとなった、ケヴィン"マスターリーズ"サウンダーソンの自己レーベル『KMS』。ケビィン・サウンダーソンはパリス・グレイと組んだユニット、インナーシティが有名だけれど、REEZE名義でのシングルリリースをインナーシティと平行して行っている。KMSは彼の他にも、MK、シンボル&インストゥルメンツといったリミキサーたちのシングルをはじめ、数多くの12インチをリリースしている。さらに、TRANSMATがディストリビュートし、デリック・メイとの競作も多いカール・クレイグを中心に活動するレーベル『FRAGILE』。ケニー・ラーキンの『PLUS8』、カール・グレイグやMKも参加している『RETOROACTIVE』。デトロイト・アンビエントの代表格OCTAVE ONEが参加する『430WEST』など……彼らとそのレーベルは現れては消え復活し、インディペンデントにふさわしい流動的な戦略で(金が原因だろうけど)活動している。

 そうしたさなかに現れてきたのがURなのだが、そこにはデトロイトを統合したような音楽性を聴くことができた。リリースは遅かったがなぜかUR001のナンバリングを持つ、女性ヴォーカル、ヨランダをフィーチャーした“Your time is up"の、まさにシンナーシティそのものシンコペーションできまるストリングス・シンセから、ダブル12インチ"RIOT"ハードコア、SONIC EP“ORBIT"のメイ&ジュアン以上にメイ&ジュアン的(?)なサウンドといった具合いに。レーベル自体がまさか2人組のユニットだとは当初は誰も思わなかった。

 現在進行形のムーヴメントに対して多くを語ることはできないけれども、僕らはベールに包まれていたU.R.=マイケル・バンクス&ジェフ・ミルズにFAXを送った。かなり長いタイプ原稿が送られてきたので、できるだけ脚色をつけず、この場をかりて掲載させていただく。


Q1.

U.R.にとって、デトロイトとはどういった都市ですか。

A1.

 まず、インタビューに答えるのが遅れたことをお詫びしなくてはならない。そして、君が我々に興味を持ってくれたこと、しかもデトロイトで生まれ育った黒人から見た“本当のアメリカ”を日本人に説明できる機会が与えられたことは名誉なことだ、と言っておこう。

 デトロイトの人口の80パーセントは黒人であり、ドラッグやさまざまな犯罪、暴力、人種差別=爆撃、といった問題を抱えている。そう! 慢性失業も忘れることはできない。街の地政図を見れば、郊外には巨大な白人居住区があり、そこに住んでいるのは単なる人種的偏見から市街を見捨てて出て行った人々なのだ。彼らは黒人の隣には決して住まないし、絶対にそのつもりはないのだ。市街地と郊外には目に見えない境界線が引かれている。もし黒人がこのボーダーラインを越えれば、警察権力に迫害を受けることになる。――ロドニィ・キングがロス警察から袋叩きにされたことと同じだ。――我々の間では誰もが知っている、“D.M.Z.ボーダー”というその長さ8マイルの道路を未だに横切ったことの無い奴もいるくらいなのだから。市街地には脱出を試みようとする野心を無くした人々がざらにいる。彼らの無気力状態は、動物園の動物が艦が開いているのに逃げようとしないのと変わらない。そうした中で逃走をもくろむ一握りの黒人は、たいてい軍への入隊や、スポーツ、音楽、そして死といった手段で脱出を図ることになる。湾岸戦争の"砂漠の嵐”作戦の間、世界中の人々が多くの黒人兵を目にしたこともこれが原因だ。連中はアメリカという現実の戦争地帯から逃げだそうとしているのだから!!

 君たちは、なぜ他の移民と同様に“アメリカン・ドリーム”に便乗しないのかと問うことだろう。そう、君たちはこの200年あまりのことをざっと理解する必要があるだろうね。黒人は働き続け、他の人々の“自由”と“夢”のために死んでいったのだから。そのあいだ彼らは人間とさえ思われてなかったのだ。

 そのあげく、我々の夢と希望は他の移民達とは全く違った場所に向けられることになる。他の移民の夢は、とにかく豊かになって家族に安定した将来をもたらすことにあったが、我々の目指すものははるかに単純で、はるかに意味のあることだ。それは“自由”なのだ。

 君たちに理解してもらいたいのは、我々黒人はそういった逆境を乗り越え、何とか自分達の職業を確保し(少なくとも君たちが想像し得るような)プロフェッショナルを生みだしてきた、というとこだ。

 我々は、この国で戦争が起こるたびに戦場に駆り出されてきたにも関わらず、今だにアメリカ人として認められていない。――ロドニィ・キングをめぐる状況は我々の置かれた状況が何も変化していないことを再確認する不快な事件だった――我々はいまだに自由ではなく、しかも自国の言葉や習慣、伝統も何もかも全く知らないのだ。君たち自身が伝統のない日本を想像してみてくれ!

 そんなデトロイトの未来をイメージできるかい?

 カゴの中のネズミと同じく、捕まえられた人間に埋めつくされた一大中心街――そこでは強駅な精神力と肉体、生存への意志を持たないものは死を選ぶか、衰退(DECAY)によって消費し尽くされるしか無いのだ!!

Q2.

デトロイト・テクノについて説明してください。

A2.

 つまり、デトロイト・テクノは“衰退(DECAY)”から派生した音楽だ。人々は希望さえ持てないほどひどい状況に置かれ、なんとか順応して生きながらも、ついに逆境を乗り越えようとやっきになり始めた。最近のこのような“突然変異”としてマイク・タイソンはその代表的な例だし、パブリック・エネネーも、我々U.R.も然り、我々は皆ミュータントなのだ。デトロイト・テクノは人間とその環境が生みだした“突然変異”であり、人間とそのイマジネーション、そして機械がいかにして地獄から抜け出せるかという実験なのだ@

Q3.

U.R.にとってハウス・ミュージックとはなんですか。

A3.

 ハウス・ミュージックはシカゴから派生したものだ。シカゴの状況はデトロイトと酷似している。ハウスは平和、希望、愛といったポジティブな意味での逃走に焦点をあてているが、それは平和を維持するためには不可欠な要素だと思う。我々はこのような夢のある人達に、心から敬意を抱いている。なぜなら“夢”がなければ何も始まらないからだ。

Q4.

U.R.は、ガラージ、アシッド、ディープといった様々なスタイルで音楽を制作していますが、U.R.にとって音楽スタイルとはどういうものなのでしょうか。

A4.

 我々は音楽スタイルではなく、エネルギーとトーン(一般的に言う楽音、音素)とに分けて考えている。異なる楽音は異なるエネルギーを表す、というわけだ。もしジェフや私が、ポジティブなエネルギー、自らの精神から生まれる愛情を持つアーティストをプロデュースする場合、我々の考え(MIND)と機材を活用してその感情エネルギーを可聴範囲内でヴィジュアライズしようと務めるだろう。もしそのアーティストが、違った視点をもつとき――Tte VisionやU.R.のようにフラストレーション、怒り、実験精神ect.――はそれにふさわしいサウンドを探査しつつトラックにいれていくことになるだろう。

Q5.

ジェフとマイケルの役割分担を教えてください。

A5.

 U.R.+Tte VisionがX-プロジェクトで共同作業するとき、我々はMind Projecticon(精神投射)を実践し、様々な場所に移動する。非物質世界に自己をオトし、我々だけが知っているトーン(音素)を使って精神の中で自己を移送するのだ。我々が単一ユニットとして一体化(身体+特神)し、共同トリップした結果が音楽となるわけだ。

Q6.

X-101とX-102はU.R.サウンドにおいてどういったポジションに位置するのですか。A6.

 X-プロジェクトのすべては実験的なもので、リスナーの想像力を刺激するように設計されている。その結果、人類の未来への前進が可能になり、宇宙体系への直観力が研ぎ澄まされることになる。

Q7.

未来に向けて音楽はどのように発展すると思いますか。

A7.

 バイオテクノロジーの発展により、人類は現時点では可聴域外にある周波数の音を聴くことができるようになり、3D映像に対しても高解像度の視力を持つことが可能になるだろう。さらにホログラフィがタッチレスポンスを持つ可能性もある。そういったテクノロジーがAV製品の生産につながり、それによって音楽は前進をとげる。未来を指向するミュージシャンは常に現在より一歩進んだ音楽を創り出す。今我々がやっているように。

Q8.

フェイリバリット・アーティストを教えてください。

A8.

 地球上にはフェイバリット・アーティストは存在しない。

Q9.

現在、最も興味をもっていることは何ですか。

A9.

 明日を見届けるためのサヴァイバル。

Q10.

今後のスケジュール、また音楽戦略について教えてください。

A10.

 我々のスケジュールは散発性のもので、制御不能であり生命のようにまったく予測のつかないものだ。我々の戦略に狂いはない。ひとつのムーヴメントに向けて照準を合わせており、その運動は未来を指向している。

インタビュー構成 / 中島浩 訳/大坪弘人 remix,AUTOBAHN,LTD.


1992年6月25日木曜日

U96 「Uボート」


 “Das Boot"の最初のリリースでハンブルクのDJ.Alex Christensen(24歳)通称U96は、すぐにMedia Control Chartsの上位に躍り出た。“Das Boot"はそもそもジャズ・ミュージシャン、Klaus Doldinger(Passport)の手による'Bavarian film'提供の同名映画“Das Boot"のサウンド・トラック用に書かれた作品である。

 U96の'91年版、テクノ・ヴァージョンはマイケル・ジャクソンさえも押さえNo.1となり、既に6週間に亙ってその座を維持している。シングルはゴールド・ディスク(25万枚)に輝いた。

 このU96の成功は歴史の流れを変え、ドイツ音楽産業の"ルール”にいくつかの疑問を投げかけた。

――“Das Boot"は7インチではなく、12インチ、もしくはCDマキシ・スタイルのみで発売された最初のNo.1ソングである。

――“Das Boot"は初めてのNo.1テクノ・ソングである。

――“Das Boot"はプロモーション・ビデオのない作品だった。つまり、Tele5やMTVといったメディアのサポートを受けていない。

――“Das Boot"は最初ラジオでオン・エアされなかった。なぜなら、ラジオ局のプログラム戦略と相容れなかったためである。

 次なる成功のため、第2弾の12インチ、CDXにU96はJFKを艦内に引きづり込んだ。"I wanna be a Kennedy"はまたしても、折り紙つきのテクノ・サウンドだが、今回は相当ヘヴィで、ありきたりのチャート・ミュージックに接近してはいない。DJや予約の情況から判断しても、これも又、100%大ヒット間違いない。

 5月初旬にUボート、タイプU96は新たな航海に出る。同名シングルの旧ヴァージョンのヒットに始まり、U96のデビュー・アルバムはリスナーを幾千もの素敵な深海のミステリーの世界へと誘って行く。


COME 2 GETHER
 U96への搭乗式典の始まりだ。グロッケンシュピールが伝統的なハウス・ビートを奏でる。“Come 2 gether"と女性Voは歌っているけれどU-Boatの座席はプレミア付きだ。

DER KOMMANDANT(The Commanding Officer)
 何事も起こらない船内。"これからの長い航海”しかし突然騒ぎが巻き起こる。"どうしたんだ? 指揮官はどこだ?"無線とモールス信号のノイズが、シンセ・ヴァイオリンの穏やかな旅を妨げる。

NO CONTROL
 U96は静かな海をゆったりと航行して行く。出所不明の無線がきこえるが、他に目につくものと言えば海の無限の拡がりだけだ。グロッケンシュピールの音が再び楽しげに響いてくる。

ART OF U96
 船上のロマンティックな憩いの時。雨音が静かに船内に響き渡り、ピアノの音が愛を暗示し、空はヴァイオリンの音色に満ちている。

I WANNA BE A KENNEDY
 アンビエント・ミュージックとJohn.F.Kennedyがどっしりと海中を航行し、魅惑的な女性Voと静かにランデヴーしていく。

AMBIENT UNDERWORLD
 クラシック・ハウス・パーティが催されている。“Give Me A Beat Sucker"という声と、ハウス風キーボードがスピーディで、心地良いビートと共に再び響いている。ソウル風のGoGoダンサーは"Get Crazy,Get Busy.Let the Music Take Control”なんて言っている。

SPORTY ANIMAL-LOVING EXTROVERT
 DJ U96の強烈なビートに、少々毛色の違ったサウンドが加わる。エンジン・ルームは全速力で航行させて、ノイズはメチャクチャだ。ラジオは壊れ、ザーザー、ガーガー鳴り続けている。無線は混信し、U-Boatは浮上する。

SONAR SEQUENCES
 海はアウトバーンへと姿を変える。クラフトワークが乗り込んだのか、少なくとも彼らのキーボードが船内にあるみたいだ。長い間ではないけれど、U96のサウンドの中に居場所を見つけ印象的なサウンドを奏でている。

 突然の攻撃、船体は吹っ飛び、U96は潜水し、水中できしみをあげている。“Das Boot"の'91年旧ヴァージョンは、U96のエキサイティングな旅を終らせる。
 乗員は満足げに身をまかせる。

 アルバム“Das Boot"、そして2枚のマキシシングルは古巣である、ハンブルク、アルトナの“Matiz"スタジオで制作された。Hayo Panarinfo , Ingo Hauss,Helmut Hoinkis,そしてもちろんU96ことAlex Christensenによるプロデュースチームは、一月近くカンヅメになり、真険に作業に取り組み、最高の結果を生み出した。信じ難いほど短期間で、彼らはアルバム制作に成功し、テクノ・シーンの最高峰に君臨するのみならず、ハウス・アンビエント・ミュージックに影響を与えるだろう。

 “Das Boot"はアルバムにおいても、最初にチャート・インしたテクノ作品として、ドイツ・ポップ界の歴史に名を残すチャンスを持っている。

('92年2月オフィシャル・バイオグラフィより)